ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

珈琲豆

2024-12-23 09:28:38 | グルメ

子供の頃は、インスタントコーヒーで満足だった。

もちろん砂糖とミルク入りである。インスタントコーヒー自体が当時も決して安くはなかったので、たまにしか飲まない贅沢品であった。さほど好きでもなかったから、物珍しさのほうが強かったかもしれない。

ところが私が高校生の頃には通貨が変動制となり、一ドル360円の制約から逃れて、次第にドル安円高基調となった。当時はその意味を理解していなかったが、その頃から輸入される珈琲豆の値段が下がったようで、街の小さな喫茶店でも本格的な焙煎珈琲が手頃な値段で楽しめるようになった。

そんな時に高校のWV部の先輩に本格的な珈琲を奢ってもらった。これが衝撃的な甘露であった。まだブラックで飲めるようにはならなかったが、珈琲用の黒砂糖を入れて飲んだその味は私を珈琲の虜にした。その頃から私は都内近辺の美味しい珈琲を出す喫茶店を探すようになった。

喫茶店巡りをしてみて次第に気が付いたのは、珈琲を入れる人の技量により相当に味が変わることだった。それと、やはりコーヒー豆自体の鮮度が重要で、繁忙店の方が美味しいことも驚きだった。インテリアに凝った店が多かったが、大事なのは豆の鮮度と温度管理、そして水だった。

水の重要さに気が付いたのは、大学生の頃WV部の春合宿の帰りに寄った神戸の街だった。ここは以前から珈琲とケーキが美味しい街だと聞いていた。その噂に間違いはなく、ケーキはどの喫茶店でも美味しかったが、予想外だったのは珈琲だった。いや、その前に入店してすぐに出された水の美味しさに感心した。

私は山登りの最中に湧き水や清流の水の美味しさに敏感だったので、あの柔らかで澄んだ水を水道水から味わえるとは思わなかった。余談だが、日本の浄水施設の技術向上は目覚ましく、東京でも多摩川水系から採れる水はかなり美味しくなっている。でも、今から40年前はさほど美味しくはなかった。

ちなみに神戸の次に立ち寄った大阪は・・・うん、食事は安くて美味しかった。でも水道水は褒められた味ではなかったと思う。まぁ東京も江戸川水系の水も似たり寄ったりだけどね。そんな美味しい珈琲巡りの最中、噂に聞いていたのが谷中珈琲である。東京ローカルのチェーン店なのだが、ここは美味しい珈琲を出すらしい。

でもなかなか訪れる機会がなかった。もう忘れかけていたのだが、意外なことに近くにあった。店があまりに小さくて分からなかった。私が昨年に越してきた神田の街は、蕎麦とカレーが有名なのだが、喫茶店はそうでもない。隣の神保町へ行けば、かつて通った著名店があるが、さすがに気楽には行けない。

半ば諦めていたら、交差点でいかにも焙煎したてのコーヒー豆の香りが漂ってきた。淡路町の交差点の脇に、なんとヤナカ珈琲店神田店があったのだ。正直、けっこうお高いのだが、スッキリ系というか飲み易い味であり、現在はたまの贅沢として焙煎したての豆を挽いてもらって家で楽しんでいる。

思わぬところで意外な出会いがあるって楽しいものですね。

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立場の違い

2024-12-20 09:20:58 | 社会・政治・一般

信じるだけでは救われない。

今年のノーベル平和賞は、日本の被団協が受賞した。長年の活動に対する評価であり、受賞そのものに異議はない。

被団協だけではないが、日本の反核団体が核兵器の恐ろしさを伝えてきたことは、間違いなく世界平和に貢献してきたと思うからだ。ただし、被団協の人たちの思いとは別の貢献の仕方ではある。

国家間に限らず、地域紛争、部族間の争いでも平和を維持する基本は武力均衡である。だが武力を揃えるのは大変だ。とりわけ近代の最新兵器は金がかかるだけでは済まない。操作の習熟にも多大な時間と金がかかる。とりわけIT機器を併用した最新兵器は、大卒レベルの学力が必要となるが、大半の国では読み書きさえ十分ではない。

だからこそ唯一の被爆国である日本が世界に向けて盛んに宣伝していた核兵器こそが、我が国の平和を守る最強の武器であると確信できた。たった一発で都市を崩壊させるだけでなく、残虐な後遺症さえ残す最凶の兵器であることは間違いない。

そう考えた国は多く、アメリカに続きソ連、フランス、イギリスそして共産シナの五か国が核兵器保有国として君臨している。先行した五か国はこれ以上、この恐るべき兵器を所有する国を増やしたくなかった。しかし、その恐ろしさ故にイスラエル、インド、パキスタン、南アフリカ、イランそして北コリアと徐々に保有国は増えつつある。

被団協の人たちの悲痛な核廃絶の思いとは裏腹に、核兵器はますます拡散しているのが現実である。いや、核兵器の悲惨さを世界に訴え続けた成果でもあるから、皮肉というにはあまりに残酷な結果だと思っている。

まさか被団協の人たちも自分たちの活動が核兵器拡散に貢献したとは思わなかっただろうし、それ以上に認識したくない現実だと思います。でも、この残酷な現実を認めない限り、核兵器廃絶は夢のまた夢である。

もし核兵器が廃絶されるとしたら、それは外部から核分裂反応を止められる方法が見つかるか、あるいは核兵器以上に強力な武器が開発された時だと思います。人の善意と良心を期待しての核兵器廃絶はまずありえない。

ノーベル財団も残酷な仕打ちをしてくれたものです。まぁ日本の平和愛好市民たちは、見たくない現実を見ないふりするのに慣れているので傷つくことはないでしょうけどね。

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どさくさ紛れ

2024-12-19 09:03:46 | 社会・政治・一般

遂に崩壊したシリアのアサド政権。

先週、月曜日に飛び込んできたビックニュースである。既にモスクワへ亡命済みのようだが、これで中東情勢はますます混迷を深めることは間違いない。長年にわたる独裁政権が残した爪痕は、そうそう簡単に癒せるものではない。

独裁者から解放されて明るい未来を期待する向きには悪いが、残念ながら事態はますます悪化するはずだ。アサド政権と反政府ゲリラとの戦いは、同じ民族同士の醜悪な憎しみ合いを産み、これを和解させて新たな国を作るのは極めて困難だ。

正直言えば、シリアの再建は強力な政府の指導の下で強要されない限り、決して上手くいくことはないだろう。更にいえば、国外に退避していた600万余のシリア難民の受け入れも加わるのだから、国民を食わせるだけでも大仕事である。

そんな混乱の最中に、イスラエルがやってくれた。未明にダマスクスの軍事施設を攻撃して破壊に成功したとの報道が、アサド政権亡命のニュースの最後にしれっと付け加えられていた。

シリアの軍自体が統制がとれずに混乱している最中のどさくさ紛れの攻撃である。実にずる賢い。これだからイスラエルは嫌われるのだろうと分かるが、アラブの海に浮かぶ小島に過ぎないイスラエルからすれば、敵の混乱時にこそチャンスがあると考えるのが論理的必然である。

戦争は古来より戦いに勝ったものよりも生き残ったものが最終的な勝利者となる。イスラエルはその意味で賢明な行動を取ったと評しても良い。平和を守る為の先制攻撃が極めて有効であることを証した戦いでもある。

日本の絶対平和主義者たちは、この卑怯で狡猾なイスラエルの戦い方をどう評するのでしょうかね。今のところ無視しているようですがね。

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日本カーオブザイヤー

2024-12-18 09:50:00 | 社会・政治・一般

若い人は知らないかもしれないが、日本の自動車にとって最大の転換点は1970年代のオイル・ショックであった。

中東の産油国が中心となって、原油の輸出を政治的武器として活用した結果がオイル・ショックであった。この経済的な衝撃は世界中に波及したが、それだけでは済まなかった。自動車がガソリンを燃焼させる過程で排出される環境汚染物質にまで波及した。

その結果、オイル・ショック以前と、その後では車の性能がまるで違ってしまった。それまでガソリンをジャブジャブと燃やす大排気量エンジンこそが正義であったアメリカでさえ、ガソリン価格の高騰と環境汚染物質に対しる世間の非難からは逃れられなかった。

この衝撃に対する最初の回答が、HONDAの小型車シビックであった。小さいが十分なスペースを確保し、かつ燃費が良くて環境汚染物質も少ない。それゆえに世界的な大ヒット車となった。デカいから偉いが正義であったアメリカでさえシビックは大ヒットした。車の価値観が一変してしまったのだ。

しかし、小型軽量化したが故に車の乗り味は低下した。省エネを重視し、環境汚染物質を減らしたが故にエンジン出力は低下した。つまり退屈な車となった。ドライブ好きの車オーナーからしてみれば、我慢は出来るが楽しいとは言いかねる車であった。

元々車好きであり、ドライブ好きであった本田宗一郎は、そのことを分かっていた。いや、世界中の自動車メーカーの経営者、開発者も同じ思いであった。それ故に70年代後半から80年代にかけて自動車メーカーは省エネと環境問題に真剣に取り組む一方で、ドライバーを楽しませる車の開発に勤しんだ。

その影響は自動車メーカー側だけでなく、消費者にも多大な影響を及ぼした。すると当時隆盛を誇っていた自動車ジャーナリズムの世界も呼応した。それが1980年から始まった日本カーオブザイヤーである。審査員は著名な自動車評論家、カー雑誌編集長、そして引退したプロレーサーなどである。

第一回目の受賞車は、陸サーファーの必須アイテムと揶揄されたが、中身は誠実なファミリーカーであるマツダ・ファミリアであった。当時高校生であった私は免許も持っていなかったが、この選考は納得であった。特に二回目の受賞車であるトヨタ・ソアラはバブルの幕開けを象徴するもので、憧れの車であった。

日本カーオブザイヤは相応に権威ある賞として世間から認知された。同時に自動車メーカーもその価値を認めて選考委員に対して積極的な営業を仕掛けた。そのせいだと思うが、次第に良い車ではなく、メーカーが売りたい車が選ばれる雰囲気が出てきた。

それでも選考委員には実際にハンドルを握るドライブ好きが多く、またプロレーサーも数多く参加していたため、基本の走りの良い車が選ばれる傾向は守られた。でも、それに対して車の技術重視を訴える意見も出てきた。

かつては欧米の先行する自動車メーカーを追い掛ける立場であった日本の自動車メーカーだが、次第に技術面でも欧米に引けを取らない成果を出すようになっていた。しかし、それは一般ユーザーには分かりづらいものが多かった。それを改めてアピールする場も必要ではないか。

そこで立ち上がったのが第二のカーオブザイヤーと云われる日本RJCである。こちらはメカニック出身の選考委員が多く、独自の立場からその年を代表する車を選んでいる。近年はこちらのほうが良い選考をしているのではないかと思うことも多い。

一方、本家たる日本カーオブザイヤのほうは、やや評判を落としている。大企業たる日本の自動車メーカーにも堂々反論できるような大物自動車評論家の引退もさることながら、縮小していく日本の自動車市場が、メーカーとジャーナリストとの関係を密にしたことも影響があったと思う。

一例を挙げると、マツダはロードスターを一年間無償で選考委員に貸与し、その後は中古車価格で買い戻す手法で高評価を勝ち得ている。これは自動車評論家の福野氏が公表している事実である。ただし、ロードスター自体は非常に良い車で、運転していてこれほど楽しい車は稀だと私は思っている。

でも一年間も乗っていたら愛着沸くよね。もちろん受賞したのだが、正直賞の選考に問題がないとは言えないと思う。現在では、自動車メーカーが売りたい車が優先される傾向が強く、私はあまり良い印象を持っていない。

はっきり云えば、もう日本カーオブザイヤーは存在価値を減じたといって良いと思う。この先、日本国内の自動車市場は縮小していくことは避けられない。そして日本車は既に世界水準で一級の評価を受けていることを考えれば、そろそろ方針を変えた方が良い時期だと思いますね。

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冬眠は続く

2024-12-17 09:13:59 | 日記

昨日の夕方には39度近くになり、焦って病院へ。緊急外来はかなり忙しげで30分近く待たされましたが、幸いにしてコロナでもなく、インフルエンザでもありませんでした。処方された解熱剤だけいただき夜半に帰宅。今朝は37度ちょうど、まだ平熱よりは高いけど苦しくはないのが救い。でも用心して今日も冬ごもりいたします。

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