体温38度、週末の寒気にやられたようです。よって今日は冬眠いたします。
戦争の際に一番勇猛果敢に戦いを鼓舞するのは、いつだって安全な場所にいる者だ。
自分は傷つかない、痛まない、失うものがない。だからこそ危機感もなく安易に戦争を賛美できる。他人に愛国心を強要し、自分は決して前線で銃をとることはない。あくまで傷つくのは他人であり、自分は安全な場所で他人を動かすだけ。
実に卑劣だと思うが、身の回りにもけっこういるはずだ。彼らは自らの正義と善意に酔い痴れているので、決して自身の無責任さや卑怯さを自覚することはない。
クマの駆除に反対する人たちは、私からすると安全な場所で、自らはリスクを負うことなく自身の正義と善意とを主張する人だと思う。そして何よりもクマの恐ろしさを知らない人だと確信しています。
クマを恐れなければいけない最大の理由は、その執念深さです。概ね、野生の獣は縄張り意識が強いものですが、クマは自分が強いことを知っているので縄張り内では暴君です。
クマに限りませんが、クマは獲物の肉がある程度腐敗しているほうが美味しいと思うようで、殺した獲物を一度地面に埋める性癖があります。しかも、すぐ分かるように浅く埋めます。
学生時代をWV部で過ごした私が、厳命されたことの一つに、クマに荷物を奪われたら決して取り返してはならないって事があります。クマに奪われたら、それはもうクマのもので、例え見つけても決して取り返してはいけません。クマは自分の獲物を奪われたことに激怒します。
これは実話として広まっている話ですが、ある大学WV部の部員が、テントに置いておいた食料やザックをクマに奪われました。しかし数日後、偶然そのザックが地中に埋まっているのを発見して、ラッキーとばかりに取り戻してしまいました。
クマは激怒して、その学生を付け回し、暗がりから突如襲い掛かかり、地面に倒して下腹部を爪で引き裂き内臓を貪り食いました。学生はまだ生きていましたが、クマに押し倒されて逃げることも出来ず、生きながら内臓を食われ、苦悶のうちに亡くなりました。
その後、そのクマは射殺されましたが、猟師の方の話ではクマは人間が苦しんでいるのを知りながら食い殺したはずだと。通常、クマは獲物の首を折り絶命させてから食べます。それをわざわざ下腹部から食べたのは、相手を苦しめるためだろうとの事。
そして、一度人間の味を覚えたクマは、その後も人間を襲うようになるだろうとも言っていました。食べ物というか獲物に対する執着心の強さは人間の想像を絶するものです。
先月ですけど、秋田にて街中に降りてきたクマがスーパーマーケットに立て籠もった事件がありました。そのクマは捕獲されて殺処分されましたが、その処置に対しての抗議が後を絶たないとの報道がありました。
本当にバカです。そのクマにとって最早スーパーマーケットは縄張りであり、その中で肉などを食べたのですから、もうそれはクマのもの。捕獲して山奥に戻しても、必ず戻ってくるのは明白です。そのスーパーマーケットの食材は、もうクマのもの。
ならば、それを横取り(クマ目線で)した人間に対して、どのような行動に出るのか明白過ぎる。一度、街中で人の食べる生ごみ等を漁ったクマにとって、もうそこはクマの縄張りであり、邪魔するものは敵なのです。だからそのようなクマは殺す以外にありません。
まぁ、クマを殺すなと抗議するような輩は、決してクマに襲われる危険性などないところから善意に酔い痴れているので、クマの正義など理解できないでしょう。人間が正しいと思うことと、クマの正義は両立することはない。それが野生の掟です。
一応隣国のことなので無視しては良いとは思わない。
でも呆れて関心を持つ気になれないのが南コリアの戒厳令騒動である。まったくもって100年以上前から進歩がない国である。
当時の半島は李氏朝鮮時代だが、独立国ではなくシナの清王朝の朝貢国であり、外交権と軍隊の保有を禁じられた実質属国扱いであった。しかし、元来約束など守らない気質であり、見栄っ張りの気性も手伝って好き勝手やっていた。
そこへ不凍港を求めて南下してきたロシア帝国と、明治維新による文明開化で国力を増大させた日本が開国を迫ってきた。そんな国家の存亡にかかる危機の状況下にあって内輪争いに夢中であったのが、当時の朝鮮政府であった。
いわゆる閔妃と大院君との政争であり、外交上の危機さえも権力争いの道具にしか考えず、結果的に清王朝と日本との武力介入となった。いわゆる日清戦争であり、その結果李氏朝鮮は清から独立を認められたが、すぐに日本帝国の属国となった。
太平洋戦争での日本の敗北後、コリアはやたらと日本を侵略者扱いして留飲を下げようとしているが、本当にするべきなのは外交上の危機を認識せず、内輪の政争に堕していた当時の李氏朝鮮の統治者たちの愚かさを反省することであろう。
それを侵略者・日本のせいにして本来するべき反省をせずに誤魔化してきた愚か者である。現実を直視するよりも、脳内理想の実現に汲々とする。アメリカのとの連携を重視する大統領と、北との友好を第一と捉える左派野党は、ロシアに擦り寄る北の脅威を無視し、アメリカからの不信感もないものとみなす。
だからこそ、夜に戒厳令を出し、朝には撤回するといった馬鹿げたことが出来るのであろう。自分たちの置かれた危機的な状況など全く考慮しない我儘な幼児の喧嘩そのものだ。断言しますけど、いずれ「日本が悪いニダ~」と言い出しますぜ。まぁ、日本側の一部の反日メディアが言い出しっぺになると思いますけどね。
令和6年はマスコミ没落元年だとしたい。
私は以前からマスコミ様に対して強固な不信感を抱いている。それでも、中には立派な報道、学ぶべき価値ある報道もあると信じている。でも、世の中のことが分かれば分かるほどにマスコミ様への不信感は募るばかりだ。
社会正義を守る木鐸として異常に高い自尊心を誇るマスコミ様は、近年の視聴率低下、購買数低下に悩まざるを得なかった。世論を主導するのは我々マスコミ様である。そう確信していたのに、一向に世論は従ってくれない。
兵庫県知事の弾劾では、マスコミ様が力を合わせて斎藤知事を辞任に追いやったのに、再選挙ではマスコミ様の意向を無視して兵庫県民は斎藤を支持しやがった。おかしい、おかしいだろう。エリート様でもあるマスコミ様の思惑がまるで通らない。何故だ、何故なのだ。
最近の年末恒例でもある「今年の流行語大賞」にしてから、まるで大衆から支持されていない。その典型ともいえるのが「ふてほど」だ。なんでもTBS放送のドラマ「不適切にもほどがある」の略称らしい。TVドラマをまったく見ない私が知らないのは当然だが、流行っているとの話も聞いたことがない。
っつうか、私なんぞ「ふてほど」と聞いた時、「不適切な報道」の略称かと思ったほどだ。実際、似たような感想を述べる人は多かったらしく、既存のマスコミ様は無視しているが、ネット上では拡散しているのが実情であろう。
意地の悪い私の邪推だと、要はマスコミ様が流行って欲しいと願っていることを流行語大賞として広めているだけだと思う。いわゆるK-ポップ商法と同様の手口だと思う。確かに日本人には右に倣えというか、自分で判断するより空気を読んで行動することが多々ある。
それにしたって、マスコミ様は思い上がり過ぎではないのか。世間がマスコミ様の意向に沿うように操作しようとすること自体、傲慢だと思えないところが痛い。だからこそ視聴率が下がり、購買部数が減少しているのが実情だろう。
まぁあのお方々はプライドが高すぎるので、自らの失策は認識したくないのでしょうけどね。それこそ自業自得ですな。
おそらく私は北欧とかアラスカ、カナダ北部では暮らせないと思っている。
そして、表題の書の舞台であるアイスランドも無理だろう。行ったこともない癖に傲慢に過ぎるとの誹謗は甘んじて受ける。でも原因は分かっているし、それはどうしようもないことなんだ。
まず寒いのがダメ。もっとも暑すぎるのもダメなので、これは私の我儘である。でも、それ以上にダメなのがあの暗い空である。緯度が高い地方では、夏は短く冬は長い。それは自然現象として仕方のないことではあるが、多分だけど私きっと鬱状態になる気がする。
日本ならば冬は寒くはあっても見事な快晴がある。星空だって一年で一番美しいのが冬だ。しかし、緯度が高い地域では極夜といい、一日中日が昇らない日々が続く。その替わりにオーロラなどが見えることもあるそうだが、おそらく私はダメだと思う。
ちなみに欧州へ旅行した時は夏であり、夜22時過ぎても明るいのに仰天したが、夏は短く冬の長い高緯度地方で暮らす気分にはなれない。暮らす気はないが、北欧を舞台にした小説などを読むのは好きだ。表題の作品は、北極圏の方が近いアイスランドの首都レイキャビク周辺で起きた殺人事件が主題のミステリーである。
もう、のっけっからいけない。薄暗い空から降る雨と謎の老人の死体。陰鬱な事件背景と暴力的な匂いの漂う犯人捜査。正直、読み始めは陰鬱な気分に陥るほどであったが、捜査が進むにつれて見えてくる意外な犯人像。雲の切れ間から太陽が差すような事件展開。
謎を追い詰める刑事の独特な個性と相まって目が離せなくなる面白さ。北欧生まれのミステリーもなかなかに侮れないと痛感した良作でしたね。