今朝も、山室川の流域に暮らすお年寄りは、早起きをして野良仕事を始めていた。”聖人”は杖を突きながら畑の外から、トマトやジャガイモの生育状況をじっと眺めていた。何を思い、なにを考えていたことか。
数日前、別の”聖人”は、道路のコンクリートの隙間に生えた草を丹念に毟っていたが、あそこまでいけば最早、趣味と呼んでも差し支えない気がした。盆栽をいじるのと違うのは、公共への奉仕とでもいった喜びや、満足感がその作業にはあるのかも知れない。あるいは、それが寒村に住む村民の慣習だとしたら、この人たちが去った後、われわれはその美風を後代に伝えられずに、失ってしまうかも知れない。
集団離村した芝平の人々は毎年今ごろ、かつて暮らした懐かしの村に帰り、道路の側溝などの掃除をしていく。「芝平管理委員会」という組織を作り、「この道路はわたしたちがきれいにしています」という立て札も立ててある。生まれ育った山奥の村に対する追慕の情がさせていることだろう。
北原のお師匠が法華道や北原新道に注いだ気持ちも、変わらないと思っている。離村の原因を作った「三六災害」から、もうすぐ56年が過ぎる。
「限界集落」とか「過疎化」とかよく耳にする。しかし、時代が進めば、また違った現象がきっと起きると予測している。何故なら、都会といえども効率化が進めば進むほど、人のやる仕事がなくなっていく。そうなれば大都市は、いつまでも大人口を維持していけなくなるのは間違いない。忘れたころにやってくる天災のことも気になる。
都会に暮らすメリットよりも、田舎で暮らすそれの方が大きくなれば、あの人のように「拙を守って田園に帰る」人が増えるだろう。東京の灼熱とおさらばするだけでも、どれほど気が楽になれることか。
Kよ、いつまでも見果てぬ夢なぞ追わず、速やかに故郷に帰れと、そのように今日も夏ゼミが鳴いてるゾ。
いよいよ明日開牧、牛が来る。
Tさん、カッコーの声で良い朝を迎えることができたとか、よかったです。またお出掛けください。巣鴨さんには直接会った時に話すことにします。かんとさん、いろいろありがとうございました。そう、ここではいろいろな出会いもありますね。Mおさんご一統、吉祥寺さん、そしてOさんもありがとうございました。町田隊へ、北原新道途中に、案内板を立てました。
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