雨ニモ負ケズ!
昨日は、下に用事がありいつもより少し早目に下っていくと、途中で古くからの馴染み客のI氏に出会った。氏はまた北沢の方に釣りに来ていたようで、その帰路に入笠に立ち寄り、無聊をかこつているはずの管理人に高遠饅頭でも持っていき、日本茶を喫しながら四方山のことを語ろうと考えてくれたらしい。その気持ちに添えないことを詫びるしかなかったが、別れ際、「霧の入笠も素晴らしいですね」と、彼は言い残してくれた。
さて昨日の続き「雨請岳」についてだが、名前の由来である雨乞いなら、諏訪神社上社の奥宮である守屋山がよく知られている。しかし、こうした風習はこの辺りでは、かなり古くから一般的だったのではないだろうか。この牧場内にも雨乞いをしたと伝えられる「雷電様」がある。祠は江戸末期の作である。しかし「雨請岳」の”二つ名”を持つ入笠山には、雨乞いを連想するのはその山名ばかりで、牧場内の「雷電様」のような祠や碑は、あったかもしれないが、少なくとも今はない。
雷電様の祠
ここから勝手な空想を許してもらいたい。もしかしたら、雷電様での雨乞いは、「雨請岳」に向けて祈願したものだったのではないだろうか、ということだ。雷電様の祠の置かれている場所も、牧場内では高い場所になる。しかし、眼前にそれより高い山、雨請岳がある。普通なら、天に近いそこで雨乞いをしようと考えるはずだが、何故かそうしなかった。谷を挟み、雨請岳のよく見える雷電様が、雨乞いの場所として定着した、その理由は何か。
ここでさらに空想を膨らませるなら、当初は雨請岳で行っていた雨乞いが、例えば期待はずれの結果ばかりに終わったとか、もしくは何かの理由で雨請岳での雨乞いを中止し雷電様で行ったら、その霊験があまりにもあらたかだったとかしたなら、どうか。人々は雨乞いの場所を、里から近くて便利な雷電様に移そうとしたとしても納得できる。
「雨乞いの場所、もしくは対象がが入笠山で、何故右手隣の4.9メートル高い『名無しの権兵衛山』ではなかったのか」と問われれば、「ここに来ればよく分かるはずでござる」とだけ答えさせてもらいたい。そしてひとまず、本日の妄想もどきを終えることにする。
FujimiーH殿、これではあまり期待には応えれなかったかな、また。
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