
Photo by UNT氏
牧を閉じて、もう1週間が経とうとしている。あまりにも早い。5か月の巣ごもりがまだ始まったばかりだというのにこの速さで日々が過ぎていくなら、ひと眠りしたら春が来ていたとなりかねない。
外食ばかりの日が続いたから、昨日は気合を入れて秋刀魚飯と鍋料理を作ってみた。近くの書店で求めた新書版を1冊読み飛ばし、その間に入浴を2回、洗濯もして、上から運んできたビール缶や酒瓶を産廃業者へ持っていった。
と、こう呟けば、まずまずの一日だったとも言えそうだが、実は産廃業者へ行ったのが昨日であったか一昨日であったか、記憶が曖昧で納品書で確認する必要があった。どうやらこのごろは、日時の単位が1日ではなく、2,3日単位で過ぎていくらしく、そのうち、週単位になりそうで心配だ。
本日の写真は10月の3,4日に番長、裏番長による笹平沢経由白岩岳行の折に撮ったものだという。この日にちも、持ち帰った作業日誌で確認したが、まさか、先月のことだったとは。それも数えてみれば2か月近くも前である、驚きだ。あやうく、「今月」と呟きそうになった。
それはさておき、このご両人には以前から白岩岳を紹介してあった。その予定が入った時、単調な尾根を標高差1000㍍も登るよりか、笹平沢から入渓し、消えてしまった林道は捨てて急な山腹を勘だけで登り、そこからは眺めを楽しみながら稜線を辿って白岩へ行ったらどうだと話した。
この登山路、とも言えない、を誰にでも「どうぞ」と言うわけではないが、この二人の実力、経験なら充分に大丈夫だろうと思ったから勧めたのだ。
ところが、いつまでも連絡がなく、ようやく稜線へ出たという連絡が入ったのは午後の2時を回っていた。何年か前、HALも連れて種平小屋夫妻と一緒に登った時は、この時間にはすでに白岩の頂上を踏んでいたはずから、一体何があったのかと案じた。
それが写真でも分かる通り、厄介な倒木がわんさとばかりにあって、それで難儀を重ね、時間を食ったことを後で知った。結局、二人は白岩岳の手前で1泊した。これも想定内の行動だったようだ。
沢がこれほど荒れていたとは全く思っても見なかったことで、われわれは両岸の古い林道を辿り、難なくこの登山の核心である急な落葉松林の斜面に取り付くことができた。そこからは地図に記された古い山道が頼りにならず、複雑に交差する獣道を右に左にと斜上を重ね稜線へ出た。
そもそも個人的には、富士見から高遠の山室の集落に至る古道に興味があって、その一部を踏査して見たくて行ったのだが、その後は再訪していない。それにしてもあの林道の跡が、それほど簡単に消えてしまったのだろうか。
赤羽さん、ありがとう。白岩はきっと懐かしいでしょう。
本日はこの辺で。