稜線に出てから2時間半ばかりをかけ、12時45分、白岩岳の山頂にに到着した。この間、登山道とは言えないまでもクマ笹や、灌木の生い茂る稜線にはかすかな踏み跡が認められ、登行の全てを藪漕ぎと言っては当たらないだろう。標高差で260メートルばかり登る間には、小ピークが幾つかある。ややもするとそれらの山腹を巻きたくなるし、そういう踏み跡が誘惑するが、努めて稜線から離れずに進んだ方が間違いない。
で、きょうの写真は白岩岳山頂で写した石柱である。「天保5年甲午八月五穀成就」は、「てんぽうごねん きのえ うまのこく はちがつ ごこくじょうじゅ」と読めばよいのか。天保(1830-1844)といえば大飢饉が続いた時代だ。百数十年も前、誰かがここまで登ってきて五穀の実りを祈願したのだ。
飢饉に苦しむ村を代表して来たのか、一人の肩に背負われて来たたのか、複数の人によってか、はたまたどんなルートを登ってきたのかと次々に湧いてくる疑問を抱きつつ、当時の人々の思いが胸に沁み、伝わってきた。
最後に、今回の登山コースの紹介、案内としてこれでは不十分であると承知している。しかし、多くのこのブログの読者にとっては退屈だろうと思うから、詳しいことについては今回も触れない。興味と体力、それと自信があれば是非、と言うだけにしておきたい。多分、大学のワンゲルあたりが試してみれば面白いと思う。問い合わせには喜んで応じたい。
旧営林署作業小屋からの登山道と比較して、われわれ3人のこのルートの評価はおおむね一致している。悪くはない。いいルートも考えられた。ただ、深い谷の奥の道なき尾根を何百メートルも登らなければという点では、やはりここを登山コースとして紹介するには早計だろう。
帰りは足を痛めた愛犬HALを背負って、旧営林署作業小屋へ下るコースを選んだ。どうも最近大勢の登山者が来たようで、その際に、標識布替わりにピンクの蛍光色のビニールテープを随分と括り付けて帰ったらしい。しかし、これもやり過ぎては目障り以上の何物でもない。
山から帰ると風呂を沸かし、かつて亡妻がしてくれたようにビールを持っていって、ゆっくりと風呂の中で飲んだ。あのころと同じような満足感が、全身に拡がっていった。
A山さん、O沢さん、コメントありがとうございました。今後もよろしく願います。