美和ダム
谷は大きく右に曲がったかと思うと左に切れたりと、先の見えない歩行が続いた。いつの間にか仙丈の峰も隠れてしまい、まだ1時間も行かないうちに、左手に大きな砂防ダムが出現した。ああこれでは魚はいないだろうと、ちょっと残念な気がした。そして、それ以上行くのは次回の楽しみにして、引き返すことにした。その日は軽い偵察のつもりだったし、まだ戸台川にも行きたかった。それに、昼の用意をしてこなかったから、仙流荘で昼食を摂るためには、2時前に入る必要があった。
谷から黒川の本流に戻るすぐ手前には大きな岩がある。40メートル、1ピッチぐらいの壁で、20代のころにこの壁を見付けていたら、きっと通い詰めただろうと思うような岩壁だった。このころ1年だけ田舎暮らしをし、また東京に戻っていったのだが当時は暇を持て余し、そんな岩登りのゲレンデを探してあちこちをフラフラしていたのだ。
目で、登れそうなルートを追ってみた。岩の勾配はほぼ垂直に近く、もろそうな箇所もある。ふと、こんな場所なぞ知らなくてよかったのかもしれないという気がしてきた。下手な岩登りは東京に戻ってからも続けたが、あれらが全てであって、こんな場所で細々と単独の練習でも続けていたら田舎に落ち着き、それが人生の分かれ道になってしまったかも知れないと、そんなことを考えたりした。
山では呆気なく人が死ぬ。昨日だったかも、女性登山家の死が報じられていた。そういうことを、運命のように考えてしまいたくなるのがまた、山の死であり事故だろう。
日当たりのよい、広い戸台川には雪がなかった。スーパー林道ができる前は、この川原をテクテクと歩いたはずだが、そのころのことはもう薄れて、曖昧になってしまった。北岳を終えて、仙丈から伊那側に下りたのはいつのことだったか、ほってった身体に清冽な水を浴びた記憶だけが鮮明に残る。以来、この川原を登ったことも下ったこともないまま、今になってしまった。
仙流荘の湯は快適至極、いつもよりも濃い青空が重く見えていた。