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「光の明度が一段と増す春の入笠へ」などというお誘いの言葉虚しく、今日は雨になってしまった。今は季節の変わり目で、天候の安定するのはやはり4月に入ってからだろうか。
山奥がまた朝から少し”含んだ”ようで、電話をしてきた。雪がスカスカだから、法華道もかなり潜るだろうと心配してくれていた。もちろん、情報は有難く聞いた。彼は週末、神奈川の海へ遠出するとのこと。狩猟採集者の生活が再会されるようだが、雪に難渋した彼のひと冬もようやく終わるようだ。
こういう雨の日は風呂に入り、本を読むことの繰り返しで今日が終わる。手許には昨日買った本が2冊ある。どちらも飽きさせないが、異論反論はある。ただし、思想信条は控えるようにということで、ここではそうしたい。内容は明治維新に関するものと、東京裁判について。小説は、今では余程のことでもないかぎり読まないから、歴史に関する本が多い。先日は、邪馬台国畿内説に対して、別の可能性を論ずる本を面白く読んだ。
読書と関連してよく記憶力の減退を嘆く人がいる。しかし本を読むなどということは、車窓から移り変わる景色でも眺めるようなものと思っているから、興の湧くまま、気の向くまま読むだけで、そんなことは気にならない。宇宙へ行ったかと思えば、極北へ旅をし、アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトの古代へ迷い込み、また近世に帰る、そういう旅の車窓の風景を楽しむことができれば、読書の目的は遂げたと満足している。
この雨も夕方には止むようだ。明日登るにしても、断酒中の身、ビールを背負わずにすむのは気が楽だ。もちろん、万一の場合の手は打ってある。有っても飲まないのと、無くて飲めないのとは、エライ違いだから。クク。