入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬ごもり」 (51)

2020年01月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 冬ごもりの日々にあっても、悲喜こごもものことがここまでも聞こえてくる。大企業の元経営者が保釈中に国外逃亡したとか、はたまた政治家の醜聞などは、それこそ冬ごもりの穴熊のように、外を吹きすさぶ風の音に混ぜて聞けばいい。しかしこんな夜中に布団から抜け出し、すぐには暖かくならない冷え切った部屋で、極めて抽象的にこんなことを独り言ちることは相応しいだろうか。
 
 いろいろなことを言ってみても、親であれ、配偶者であれ、子であれ、身内の不幸に対して、当事者になれない者は沈黙するしかないと思う。月並な慰めの言辞を弄してみても、その瞬間に真実の気持は歪み、変質するようで、不愛想を決めているしかない。それが当事者でない者のできる、せめてもの誠意だと思っている。ただそれを自分ではそう思っても、必ずしも相手には伝わらないかも知れないが、それは仕方のないことだ。確かに、ありきたりの言葉でもいいから、穏やかに、気持ちを込めて、小春日和のようなやさしい暖かさを伝えられたらと思うことだって幾度もあった。それも、切実にだ。
 高校生のころ、最寄りの駅までいつも一緒に歩いたMの父親が亡くなった時、口の中に膨れ上がった弔意をいくら努力してもついぞ音にすることができなかった。また、ある葬儀の席で、故人とは親しかったからその気持ちは痛いほど分かったが、弔辞というよりか悲しみを絶叫するばかりで、いたたまれずに席を外したこともあった。かと思えばよそよそしい美辞麗句を並べてベタベタにほめそやす場面も見た。結婚式で、新郎新婦の学歴紹介には決まって「優秀な成績で云々」が付いて回るが、あれは愛嬌だから聞いていられる。しかし葬儀では、白ける。
 同じように通過儀礼だと思っていれば済む場合もあるが、思いが深く、強ければ、なかなかそうもいかない。純粋に、できるだけ透明な気持で当事者の悲しみと対峙していたいと思うし、そうするしか他に方法がない。
 
 原爆で生命を落とした幼い妹をおんぶ紐らしきで背負って、焼け跡にたたずむ少年の写真、感情の一切を見せないあの乾ききった無表情な顔に、その悲しみの深さが凝縮している。できれば彼を範として、倣いたい。できるだろうか。

 来週から、ここらも雪の予報が出ている。そうなればもう、車で上に行くことはできなくなるかも知れない。
 一応、今年度の「冬季営業」の詳細については、下線部をクリックしてご覧ください。
 
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     「冬ごもり」 (50)

2020年01月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


「気象科学の信頼度」て何だろう。きょうの毎日新聞、スイスのシンクタンクが行った「気象科学への信頼度」に関する調査で、調査対象30か国のうちで日本はロシアの23パーセントに次いで25パーセントと2番目に低いと報じていた。30か国の平均が57パーセントだから確かに低い。アメリカは気候変動に対するトランプ政権の勝手な振る舞いや政策にもかかわらず、45パーセントの信頼度を示しているとある。
 信頼度がこれほど低い理由については「温暖化の不確実性を強調する意見が根強いことが背景にあるのではないか。英語の報告書や論文が分かりやすい形で報道されにくく、市民が最新の科学の情報に親しみにくいことも一因だろう」と、世界自然保護基金の専門ディレクターという肩書の女性が意味不明な解説をしていた。
 この調査はインターネットで行われたとあるが、ある日突然にこんな調査の対象にされても、「市民」では回答に戸惑ってしまうのではないだろうか。「天気予報への信頼度」とか「地震予測への信頼度」なら答えようもあるが、「気象科学」などという空々漠々のことを問われても困るし、この調査結果について「温暖化の不確実性を強調する意見が根強い」と言われ、そのせいにされても、どういう意味か分からない。もっと混乱してしまう。
 温暖化は最早、子供でも実感している事実である。ここへきて冬季国体の開催さえも危ぶまれているのを知らないのだろうか。英語を読めない市民は情報に疎くだと、どこの国の「市民」の話だろう。英語など読めなくも気象に関する情報は日々飛び交っている。テレビはあまり見ないが、目下各局が気象に関する報道にかなりの力を入れていることぐらいは仄聞している。
 どうもこの記事を書いた記者は、環境優先か、経済優先かの問で、日本は「経済成長が鈍化しても環境優先」と回答した割合がたったの22パーセント(全体では38パーセント)と、「30カ国中最も少なかった」ことを報じたかったのだろうか。ウーン。

 そこへかんとさんから電話が入った。予約取り消しはすでに届いていたが、さらに念を入れて知らせてくれた。しかしお蔭で、なんて言えば悪いが、天気はすっかり良くなった。その実力は恐ろしい。これでかんとさんの気が変われば、テキメンにまた悪天に戻るだろう、ナンテ。
 かんとさんは大事・大切なお馴染みさんだから、そこで氏の場合は予約なしでも宿泊可能という特別待遇を約束することにした。彼は誠実が歩いているような人物だから早めに予約を入れてくれようとするが、何故かそうすると予約日ごろになると天気が崩れる。気象予報士顔負けの「信頼度」を誇る。いや、早めの予約さえな・け・れ・ば・問題ないから、毎月の新月前後は存分に星の狩りを楽しんでもらえるよう、かんとさんのために必ず一部屋を開けてお待ちいたします。
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     「冬ごもり」 (49)

2020年01月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 予定通りきょうもイチイの木に登った。予想していたよりか苦労多く、しかも4,5メートルほどの木の高さだというのに結構緊張して疲れた。岩登りに血道を上げたこともあったから、高い所は平気だろうと思うかも知れないが、それがそうではなくて、少々落胆している。両手に剪定鋏をを持って仰け反るようにして徒長した枝を見上げていると、血圧のせいか知らないが、つい後方へひっくり返りそうになり不安で、とても大胆な動作などできなかった。

 昼になって木から下りてきて風呂に入り、ついでにビールもどき350CCを1本飲んだ。ところがそれでは疲労回復にはならないぞと、身体のどこかにそそのかされ、鍋を温め、ビールもどきをさらに2本と熱燗を1本加え、国会で騒ぎが期待できるかも知れないと木に戻るのを止めテレビを点けた。そしていつの間にか、知らずに寝入っていた。
 もちろん誰ぞかのお屋敷の庭園ではない。庭木といっても腰の曲がった頼りない老人のような古木が何本かあるだけで、そんなものは職人の手にかかれば一日か二日で済んでしまう。きっと庭木屋を頼むだけの金がないのだろうと、そうアイツは考えただろう。クク。(1月23日記)

 雨が降っているのにいつものように、ひとしきり柿木の上で椋鳥の鳴く声がしていた。あの鳥たちは一体どこで夜を過ごし、毎日のように何のため、あの木に集まるのだろう。もしもあの老木も伐ってしまったら、しばらくは新たな集会場所を探すのに手間取り困るのことになるのか。
 きょうは雨だから庭木屋はやらない。あれは結構身体を使うらしく、昨日は滅多にやらない昼寝をして、夜は12時ごろに寝た。ところが今朝、雨の音を聞きながら目を覚ましたら9時だった。これだけ眠ることができると、かなりの得をした気になる。本当を言えば、とてもそんな安気なことを言ってはいられないのだが、不思議だ。
 また椋鳥の声がする。どこかから戻ってきたようだ。子供のころは「ギャーギャー」と呼んで忌み嫌ったものだが、確かウジがいるとかそんなことを言っていたような気がする。今はお客さん。

 F破さん、メール拝読。あれを見ると、レールは充分に役立っていました。まあ、子供が貰った駄賃のような満足感と、それと同じくらいの虚しさを、いつものことながら感じました。Ebbinademaruさんもきっと、あれを見たのですね。

 

 
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     「冬ごもり」 (48)

2020年01月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 冬ごもりの今はほとんど人と会うことがない。考えてみれば、牧場にいる時の方が人と接する機会は多いかも知れない。6日にTDS君が来て、10日にMと辰野で飲んだ。そして17日に畜産課の新年会と、まともに人と口をきいたのはその3回だけで、そうやって帰らぬ日々が過ぎていく。ならば毎日何をしているのかと問われても、最低限の衣食住に関することをすれば、新聞や本を読んだり、この独り言をやったり、風呂に入ったりで、一日が淡々とかつ呆気なく終わってしまう。
 明るい冬日の射す午前も気分がいいし、少し倦怠を覚え始める午後もいい。夕暮れが迫るころには夜の独酌の準備を開始して、6時ころにはそれが始まる。一応7時のニュースはテレビで見るようにしているが、興味がなければさっさと切って、アルコールの影響を感じながらとりとめのない時間の過ぎていくのに抗わない。たまに夜の散歩に天竜川の土手を歩き、プロキオン、ボルックス、カペラなどと冬の星座のおさらいをすることもある。
 そうした概ね無為なる日常だったが、最近になって新しい仕事ができた。先日ちょっと呟いたが、陋屋にあるお手上げ状態の何本かの庭木の剪定で、目下のところこれがやたらに面白い。昨年の暮れに、西側の生け垣はその徒長放埓が限界を超えてしまい仕方なくやったが、その時は頼まなくても長年来てくれていた庭木屋の心変わりに腹を立て、その後に東京から呼んだ知り合いの庭師の仕事にも納得がいかずもっと腹を立てた。そして、素人仕事の結果には落胆した。
 ところがMと飲んだ後日、彼が庭木の剪定をしているという話を思い出し、まさに気紛れで南天の何本かに挑戦した。他人が見たらどう思うか知らないが、自分では思いの外納得できたので、さらに1本のイチイに手を出してみた。いや、これが超えてはいけない一線だったのか、引き返すことができないことに・・・。昨日は10時から始めて、昼を挟んで5時までやった。そういう日が、すでに幾日か続いている。
 きょうは足場が悪くて脚立、梯子を拒否している別のイチイには思案の末木登りで挑むつもりだが、落ちて頭でも打ってはと、昔むかし山で使ったヘルメットでもをかぶろうかと考えている。

 Ebinademaruさん、それは何よりでした。良かったですね。アレ、やはり分かりましたか。「木々を見上げた云々」も同じ所ですが、あれは人工林なんですけどね。かんとさん、週末は「梅雨のような天気」だそうです。最早一言もありません。
 今年度の「冬季営業」の詳細については、下線部をクリックしてご覧ください。
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     「冬ごもり」 (47)

2020年01月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 目の前に見える経ヶ岳はきょうも雪らしい。山腹の殆どは日が射しよく見えていても、山頂には笠雲がかかり、それは小さいころから眺めてきたあの山の、冬にはよく目にする光景だ。すでに積雪量はかなりのものらしく、山頂の樹林帯は雪に埋もれかけている。こういう山の姿が4月、年によっては5月まで続く。



 入笠牧場では、年間にしたら2,3回は撮影の仕事が入る。CMだったり、映画であったり、歌謡曲の宣伝用だったりで、しかし詳しいことはここでは呟かない。それは製作者側の要請であり、こちらの事情でもあるが、それでも中にはどうやって知るのか、古いTV番組の撮影地を見てみたいと、突然に訪ねてくる人もいる。
 この世界、たった30秒の広告のためでも、企画によっては1日で終わらないどころか、その為に100人近い人がやって来る。そして、重い機材の搬入には、放牧地へは外部の車輌を入れさせないから、たった1台の軽トラにその役が回る。多くが朝から始まり、深夜にまで及ぶ。その後、CMが完成したり、映画が公開されればそこまでが仕事であり、礼儀だと思うから、一度はかならず見る。映画なら松本まで行く。
 こういう配慮や、撮影の仕事の実態、苦労などについては下では誰も知らない。しかしそのことは我慢する。あれこれと見当違いなことを言ってこられたら混乱するし、何も知らないでいてもらった方がやりやすい。言いたいことが無いわけではないが、敢えてそう思うことにしている。
 昨年、3,4カット撮るというTV映画の仕事が入った。絵コンテを貰い、どんな場面かも分かった。準備に1日かけ、撮影当日になって初めて監督とカメラの担当者が来た。普通は撮影地下見(ロケハン)にこのご両人他が来て、撮影が確定するのだが、「天才」と呼ばれる二人はそうしなかった。
 さて当日、前日に用意していた場所とは違うところにレールが敷かれ、煙幕(スモーク)がなかなか上手く流れずそれに最も手を焼いて時間もかかった。夜の7時が終了予定だったにもかかわらず、撮影が終わったのは10時、機材の搬出は深夜に及んだ。
 ところが放映されたその場面、あれだけ苦労した煙幕も、カメラがレールの上を移動しながら撮ったと思われるフシはなかった。3カット、秒数にしたらたった5秒あったかどうか。こういう凄い仕事のやり方がいまだにこの業界で、それに惜しげもなく天才たちが投入される。
 撮影地がどこか分からないのはまさに電光石火一瞬の技、お蔭だった。

 週末、上がります。1名でも2名でも予約を受けます。
 今年度の「冬季営業」の詳細については、下線部をクリックしてご覧ください。




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