入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬ごもり」 (46)

2020年01月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 東京は雪が降ったのだろうか。カーテンを閉めたままだから外の様子は分からないが此処も、台所の曇りガラスから見る限りどんよりとした、雪が降るしか仕方ないような外の気配である。石油ストーブ1台と、さらに電気ストーブまで併用しているが室内温度はようやく9度、設定温度を上げれば17畳用の石油ストーブは期待通りの威力を発揮してくれることは分かっているが、石油の残存量からそれをしないでいる。そうするには、この部屋よりもさらに寒そうな外に出て、給油しなければならない。それが億劫で我慢している。
 それともう一つ喫緊の課題があり、これにも迷っている。昨夜、畜産課の新年会があり例によって大酌、どうも酒がおかしな入り方をしたようで、身体が寝ているうちからビールを欲している。ところが生憎備蓄がなくなってしまって、田圃の中のスーパーまでとにもかくにも行けと命じている。それに、普段は食さないステーキまで食いたいと、明らかに体調が狂い最悪と診るしかない。
 言い添えておくと、肉はもちろんのこと和牛ではない。値段もその理由ではあるが、さすがにどこかで言い訳しておかないと牛守としての面目が立たないというわけだ。それでどうか分からないが、まあ、食することと、飲むことぐらいしか楽しみのない身、わがまま息子の言うことを聞いてやる慈母でも真似て、震えながら外へ行ってくるしかないか。もうすぐ昼になる。
 あっ、それともう一つ、北原のお師匠90ウン歳から「オレよりも先に死ぬんじゃねえぞ」とよく心配してもらう酒だが、実はそれほどの量を飲むわけではないと自分では思っている。好きなことは確かだが、かと言って、これだけ飲んでも何が美味いか不味いかよく分からない、自信がない。美人を見て、なぜそう思うのか自分自身に上手く説明できないのと一緒で、目が大きい、鼻が高い、唇がきりっとしているなどなどと言ってみても、それで好みが決まるものでもなさそうだ。高慢だとか、しおらしいとか、その人の醸し出す雰囲気もある。酒で言えば、ブランドや値段になるか。女性も酒も、あまり高いのはいけない、という判断。
 さてさてこの話、どこへ落としたらよいか分からなくなってきた。

 いやー、寒いさむい。経ヶ岳は雪が舞い、風も強そうだ。狐色の風景に寒風が混じり荒涼として、灰色の空には日も射さない。この2,3日剪定の真似事に嵌まっていたが、おとなしくきょうはまた炬燵の虜囚となって、入笠の様子を案じながら静かに過ごす。来週末は折角かんとさんが来そうだから、降雪はその後にしてほしい。海老名出丸さんは首尾よくいっただろうか。

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     「冬ごもり」 (45)

2020年01月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 HALの真似をして少し日向ぼこをしていた。思ったより暖かだったのは朝風呂の後だったせいか、それともきょうの冬の日射しが意外と暖かだったのか、快晴ではないまでも、薄雲を通して充分な日溜りができていた。朝から柿の木の梢を選ぶようにして、椋鳥も5羽来ている。こんなふうに、限られた狭いカーテンの隙間から外の様子を見ていると、何ともほっこりとした気分になってくる。冬ごもりにも慣れてきた。1本つけるか。



 HALは素性の確かな川上犬である。この犬種はかつて天然記念物にも指定されたことがあり、オオカミ、山犬に最も近いと言われている。ただそれにしては、我が家のHALに限ってかは分からないが、一向にそういう気がしない。野性味がなく、気が小さい。寒がり屋でもある。確か、もう14歳になったはずだ。毎冬、雪の入笠へ歩いても連れていったが、この冬はどちらの道を登るにしても、もう無理だろう。
 原因は不明ながら、最近目立って痩せた。食欲がないというわけでもないから、不思議だ。餌は、7キロで6千円だか7千円だかする、飼い主の経済力にはかなり不適切な物を与え、昨夜もそうだったが、その上ヨーグルトとか生卵を加えてやったりもする。餌だけでは、まるでこの冬を越せないような切なそうな眼をして訴えてくるからだ。と言って、甘やかせてもいないし、あまり相手にもしてやらない。
 こういう暮らしをしていると、たまに炊事、洗濯、掃除をやらなければどれほど楽だろうと思うこともあるが、まあ慣れとは恐ろしいもので、なんとか済んでいる。しかし、もしHAL奴がいなくなったら、どうなるだろう。人とも、犬とも幾度かの別れをしてきたが、ムー、何と言ったらよいか思いつかない。とにかくこの10年を超える共同生活の、一番気を許した相手だったと言って間違いない。

 かんとさん、25日でもようござんすが、雪が心配。まあ、大丈夫でせう。

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     「冬ごもり」 (44)

2020年01月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝は薄氷が張っていた。天気は曇りだが、午前8時の室内の気温は3度、最近では珍しく、夜中に何度か目が覚めた。

 以前にも呟いたことがある人のことだが、黒部で出会った素朴なあの人Kさんは「山があるから生きていく張り合いがある」と断言して、笑った。短い夏休みを無駄にしたくないからその足で次は妙高へ行くと言いながらも、魚津の駅まで同行し、見送ってくれた。50歳を過ぎていたのではなかっただろうか、ただそれでも足は速かった。黒四ダムへ行くつもりが通行止めになり、阿曽原から引き返す際、水平歩道を先に行くその人に追い付くまでにかなり時間がかかり、それで声をかけた。
 あの人ほど、何のてらいも、気取りも、見栄も感じさせずに、当たり前のように山への思いを語った人を他に知らない。奥さんと娘さんがいて、東京近郊の製造会社で働いていると言っていたが、その時被っていた古ぼけた帽子やシャツには、その人が働いている会社のものなのだろう、社章らしきが目に付いた。
 別れて、直江津に向かう北陸本線の車窓から、茫洋とした日本海を眺めながらKさんのことを思い出すと気持が和んだ。あのころは好きな時に、それも結構長く、自由に山に行ける境遇だったが、それに比べあの人はそうではなかった。それでも、それが少しも不満そうではなく、得体の知れない男の気ままな山旅を羨むわけでもなかった。
 きっとKさんなら、休暇をギリギリまで山で過ごしたら張り切って山を下り、もの寂しさの代わりに、満足感を胸一杯にして堂々と家族の許へ帰っていくだろうと思った。

 入笠牧場でこれほど長く働くとは思ってもみなかった。今年で14年目にもなる。早かった。仕事を終えて、夏ならまだ明るいが、晩秋になれば長い夜道を帰ることになる。そういう時、清々しい気持ちで月や星を眺めながら、その夜の独酌を楽しみに家路を急ぐことも少なくない。HAL以外に待っていてくれる家族はいないが、胸を張り、堂々と、満足感まで覚えながら道中を走る。笠原の堤まで来ると伊那の平和そうな夜景が眼下に広がり、そこでも快い疲労に一息入れたくなる。
 もしかしたら今頃になってようやく、Kさんの域に近づけたのかも知れない。

 かんとさん、NASA spacescapes て知ってますか? 何だか分からないけれどこの頃になって、美しい天体映像が下のPCのデスクトップ上に見られるようになりました。1月24日からの天体観測、天気が良いといいですが、どうでせうかね。

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     「冬ごもり」 (43)

2020年01月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 静まり返った森の中を、1時間以上も歩いただろうか。雪のない場所を選ぶようにして歩いているうちに、いつの間にか流れの傍から離れ、枯草と一部はクマササの茂る広い空き地に出た。そこはずっと以前、権兵衛山の落葉松を間伐した際、伐った木材をワイヤーを使って運び出した場所だったとかで、今でも、黒い鉄のワイヤーの一部が放置されたままになっている。この牧区に牛を放牧すれば、そこが彼女たちのお気に入りの溜まり場になったものだ。
 長いことここへは牛を出さなかった。脱柵などが続き管理が難しかったからだが、昨年は牧草が乏しくなり9月になって雄牛と2,3頭の取り巻きを囲い罠の中に入れておいてから、思い切って連れていった。大型の囲い罠の外側を巻くようにして牛の群れを誘導すると、雄牛マッキー奴は図られたことに気付き、慌てふためき、まさしく自分の側室だか愛妾を奪われた独裁者の口惜しさを最大限露わにしたものだ。
 冬枯れの野ずらを歩きながら思い出すことは尽きない。もう何年にもなる、下牧を拒み、結局は雪の中で餓死した1頭のホルスが、複雑骨折により血の止まらない足を引きずり、僅かの草を雪の中から掘り出していたむごい姿を、この囲い罠の近くで見たこともあった。500キロくらいはあったはずのその牛は10日もしないうちに体重を減らし、その死骸は骨と皮だけになってしまていた。雪の斜面を引きずり降ろすのは一人の手で足り、その軽さが哀れだった。

 冬の山を去る時ほど、もの寂しいことはない。あの侘しさ、寂寥感は鉛色の冬空のせいであり、裸になった樹々の寒々しい虚脱した姿のせいであるかも知れないが、それだけではない。ある人は冬の山の寂しさを、「歯に沁みるようだ」と言い、また別の人は「地球の回る音が聞こえる」と表現した。 
 しかし、そういう置かれた状況のことではなくて、あの寂しさは何だろう、もっと違う。喪失感とか徒労感に近いような気がする。現実から逃れて過ごした山での時間に対しての愛着未練であり、下で待つ日常への退嬰的な気持でもあるだろうが、しかし結局、逃避は一時的でしかなかったのだと、何度逃げても結局は連れ戻される逃亡者の運命のようなものだと思い知る、そんな理由からだろうか・・・。
 一昨日は池の平を過ぎて大きく山道を曲がった時、一瞬、そういう虚無的な感情に襲われたのだが、しかしもうそんな年齢ではない。正しく言えば、突然昔の感情を思い出した、ということだろう。その感情を、今頃になってあれこれ考え、まだ胸に落ちないままでいる。

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     「冬ごもり」 (42)

2020年01月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 目が覚めたのがなんと10時を回っていて、急いで飛び起きた。きょう(1月13日)は少しぐらい天気が悪くても上に行くつもりでいたのに、すっかり寝過ごしてしまった。それにしても身体を動かすようなことは何もしない冬ごもりの日々だというのに、呆れるほどよく眠れる。朝方一度目が覚めたが、またすぐ苦も無く眠りに落ちてしまったらしく、10時間は眠った。

  昨夜は里も雪が舞ったようだ。日陰には白いものが残っていた。迷っている間もなく朝飯抜きで家を飛び出し、集落の南側、一段高い開田まで行く。そこからは南アの一部と、中アのほぼすべてを眺めることができ、鹿嶺高原や特にその背後の白岩岳はかなりの降雪があったらしく、鈍い光を放っていた。南アの千丈や中アの西駒は、荒れ模様の雪雲の中に隠れていたのだろう、記憶にない。
 芝平を抜け、第1堰堤まで来ると、先行していた轍はそこで引き返していた。その先からは、さあどうぞとでも言われたかのように、真っ白な雪のカーペットの上を気分良く進んだ。積雪はせいぜい5センチもあったかどうか。オオダオ(芝平峠)に出ると轍が一気に増えた。連休中に入山した車が結構あったらしく、その上猟期の真っ最中だから、当然鉄砲を携えた人たちの車もその中にはあっただろう。
 小屋に着いた時は正午をわずかながら回っていた。気温はマイナス1度、厳冬期の、それも1千700メートルの高所がこれでは話にならない。小屋の前を通る林道の雪の上には登山者のものらしき新しい足跡があった。単独らしく、アイゼンまで履いていたようだったが、これも近年の入笠山では流行りらしい。この程度の雪ならツボ足で歩けば、少しは雪道を歩く訓練にもなっただろうにと、つい、余計なことまで思った。

小屋で一休みしてから、予定通り第5牧区へ行ってみることにした。登山靴も持ってきていたが、長靴にした。それを履いて、冬季でも勝手に入ることはできない牧場内の雪の上に、不審な足跡を残さないように歩くつもりが、すぐに限界を感じた。ならばと、管理人らしく堂々と足跡を残すことにした。



  森はうっすらと雪を被って眠っていた。動きを見せていたのは唯一、暗い流れを蛇行させる凍結しない川だけで、鹿の姿もなければ、鳥の声もしない無機的な世界だった。そんな素っ気ない森の表情に軽い落胆を覚えながら、それでも上流へと進んだ。しかしその先には、幾本かのモミの木が倒木となって流れを邪魔し、そこでも森は愛想のない迎え方を、やはり変える気はないようだった。(1月13日記)

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