入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「秋」(33)

2022年09月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 先日、牧場内を歩いていて思いがけない場所でヌメリカラマツタケを見付けた。今までにあんな場所でそのキノコを採った記憶のない雑木林の近くだ。そこには落葉松ばかりかダケカンバなども生えていて、かなりどの木も樹齢を重ねている。木の成長が進むに従いキノコは生えてこなくなるという話を耳にしていたが、これはあくまでも俗説に過ぎなかったのか。
 
 第4牧区の牧柵の支柱が折れているのに気付き昨日、交換用の支柱と、それを打ち込むバズーカーを軽トラに積み、国有林と隣接する防火帯を途中まで上がった。
 車の音を聞き付けた鹿の群れが50頭ほど、牧柵を飛び越えて国有林の中へ逃げていくのを目にし、いまいましい思いがしたが、それでもあれだけの頭数の鹿でも、今回も1頭たりとも有刺鉄線に足を引っかけることなく、林の中に姿を消した。
 作業を終え、いつものように頭まで登り、電圧を計ってみたら6500ボルトあった。これは気を良くしてもいい数値であり、また電気牧柵は終了点まで支障のないことを意味していた。

 帰り、車を停めて国有林の中へ入ってみた。先日の意外な場所でキノコを見付けた記憶があったからだが、10年も前なら役得で、この林内でもよくキノコを採ったものだった。それがいつしか駄目になり、その理由を落葉松の成長のせいにしていた。
 そんな記憶も手伝って、しばらく林の中を歩いてみた。しかし、1本のキノコさえ見付けることができなかった。俗説とはいえある程度は真実でもあるのかと、すっかり成長した落葉松の林を眺め諦めて帰ってきた。

 この国有林の一部は共用林野となっていて、牧区内には一般の人が立ち入ることができない。特に第5牧区には今も牛を出すことがあり、現在も管理を厳しくしている。
 先週末にキャンプに来た人の話では、その第5牧区へ入っていく人を見たという。前夜用事で里に下り、翌朝来る時にその人たちが乗ってきたと思われる軽トラを弁天様下の三叉路で見掛けたばかりだった。車は昼過ぎまで停まっていたから、もしかすればその人たちが、あらかたのキノコが採ってしまったのかも知れないと疑ってみた。しかし、採り残しが全くないというのも考えにくい。やはりあそこにはもうキノコは生えてこないのかも知れない。
 キノコもだが、勝手に牧区内へ立ち入られては牧守の立場がない。頭が痛いのがこの時季の共用林野、森である。

 子ネズミどもは熊スプレーが効いたらしく、大人しくなった。意外な効果だが、いつまで続くか。

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 本日はこの辺で。

 

 

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     ’22年「秋」(32)

2022年09月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この時季、季節は里よりも一歩か二歩先行し、ここはすっかり秋だ。春は逆に、遅れてくる。そうやって考えてみると、一年の中で過ごしやすい期間は里よりか大分短くなってしまうと思うが、実際はどうだろうか。
 夏は炎暑を避けることができる。他方冬は雪に閉ざされ、寒さもひとしおだ。ここでは零下20度近くまで下がることもある。里の冬も陋屋に一人暮らす身では、それなりに酷しい。
 それでも、いまだ逃げ出さずに山の暮らしを続け、里に暮らす5か月の間にも時々歩いて来るということは、結局ここが気に入っているからで、ならば充分に割りに合っているということだろう。

 牛が里へ帰る日も近付いてきた。一日いちにちその日が近付くにつれ、牧守の緊張感は高まる。以前に、下牧を翌日に控えて、若い乳牛が死んだことがあった。森のはずれの、なんでもない草地でだった。
 以前のように200頭近い牛がいれば、思いがけない事故はいつ起きるか分からず、こうした牛の不慮の死は他にもあった。
 自由気ままに暮らして、しっかりと身体を鍛えて帰って欲しいが、ここまでくればとりあえずは無事に山から帰すことを第一に考えている。


 
 季節が進み、外で暮らしていたネズミが屋内にまた帰ってきた。数は分からないが、まだ1,2匹だろう。子ネズミのくせに、食物を漁る物音が結構気になる。殺鼠剤も粘着板もなく、昨夜は仕方ないから冷蔵庫の裏に逃げた子ネズミ野郎奴に一発、熊スプレーを見舞ってやった。
 あれを屋内で発射すると、当然ながらこっちもその返り血ならぬ"返りカプサイシン"を覚悟しなければならず、以前にわが陋屋で同じことをして、その怖るべき威力にしばらく閉口した。
 今回はその経験もあって、covid-19用のマスクをしっかりとして、凄い勢いで発射された黄色い粉末を確認し、早々に退散した。あれで、ウクライナ軍がロシア軍に対して攻勢を強めたハイマース並みの効果があるといいのだが。それ以後、物音は止んでいる。

 深まる秋の夜長、隣人のことでなく、台所の子ネズミの様子を気にする身、到底あの人のような佳句など望みようもない。生まれない。

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     ’22年「秋」(31)

2022年09月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ようやくにして、待ち焦がれていた秋らしい天気になってきた。明け方の深い青空も、今は散漫した日の光によって薄らいで、空の高いところには丹念にひと刷毛ひとはけ描いた薄い筋雲が見えている。朝露に濡れて光っていた牧草も、黄色味の目立つ褪色した草の色に変わりつつあり、どこにいるのか今朝は牛たちの姿がそこには見えない。
 一昨日は仲秋の名月を外へ出て待ち、眺め、昨夜はその続きを部屋の中から布団の上で横になって眺めた。驚くばかりの輝きを見せる月の光、そしてそれに付き従うように木星も淡い光の点となって見えて、「名月を取ってくれろと泣く子かな」の句に詠まれた、無邪気な腕白小僧の気持ちも理解できた。
 
 この月があったからこそ、地球は安定して自転しながら太陽の周りを近付きもせず遠のきもせず、365日をかけて公転できているのだとか、本で読んだことがある。また、月の重力の影響がなければしおの干満も起きず、海洋はわれわれも含めて豊かな生命を育むことができなかったかも知れないと、科学が語る地球と月との深い関係も併せて知った。
 もちろん月がなかったなら、かぐや姫の物語に代表される王朝の文学はもっと違っていただろうし、その影響を受けた日本人の感性、情緒、考え方だってもっと浅くて、ススキ穂も団子も酒もないような味気のない秋の夜長だったかも知れない。

 偶々昨夜BSフジで、北沢峠から野呂川の源流を遡り、両股小屋で1泊、そこから仙塩尾根に上がり、熊野平小屋で2泊目(ここまではテント泊)、そして塩見岳山頂を経て塩見岳小屋で3泊目は小屋泊まり、という登山を地元の男性2名と女性1名、計3名で案内する番組を見た。懐かしかった。
 両股には何回か行ってるし、そこから仙塩尾根を通り塩見岳からもっと先の聖岳や光岳を目指したこともあれば、北岳に向かったこともあった。仙塩尾根の名の通り、仙丈ー塩見間に拘り歩いたこともある。
 仙丈岳は故郷の山だと思っているし、その山容は一番気に入っている山の一つでもあるが、北岳ほど縁のある山とはならなかった。番組で、深田久弥が仙丈岳を「南アの女王」と呼んでいたと初めて知ったどころか、案内の女性も「女性的」という言葉を使ってこの山を紹介していて、これにはもっと驚いた。
 あの山ほど堂々としている山はなく、見るたびに男らしい山だとずっと思っていた。今後も、この山への見方、感じ方は変えないが、それにしても山の印象にこれほどの差が出るというのは・・・、分からないものだ。

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     ’22年「秋」(30)

2022年09月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 夜中、激しい雨音で目が覚めると、当然ながら牛たちのことが気になる。暗闇の中で、叩きつけるような雨にじっと耐えてる姿を想像して、不憫に思う。昨年は、風邪をひいた牛もいた。
 昨日も頭数確認と牧柵の点検を兼ねて小入笠の頭まで登っていけば、後を追ってついて来ようとする牛たちにも、それとなく疲労のようなものを感じた。

 多様性を良しとする社会であれば、定めのないことをしようとすると異論反論は避けようがない。それを承知でやるなら、やればいい、それこそ粛々と。もとより結果の覚悟はできているだろう。
 それにつけても「丁寧な説明」とはどういうことだろうか。詳しく、正確に、隠さずに説明することが求められているのであって、丁寧であることは二次的なことだと思うが。
 何か問題が起こると、この「丁寧な説明」という言葉が必ずと言っていいほど使われる。「隠さずに説明」ができないから「丁寧な説明」に逃げる。大方は説得力に欠け、さながら「丁寧な言い訳」と言ったほうがいいと思う。
 ついでにもう一言、信教の自由は尊重されても、信ずる対象が論議の的にされることはある。あってもいいし、あるべきだと思う。多くの人を教導し、"心酔"させているわけだから、その当人がどういう人か、関心を持たれ、評価されることは避けれないだろう。脛に傷持つ政治家が、この時ばかり信教の自由についてあまり声高に言うのは聞き苦しい。
 今回の内閣が決定した「国葬儀」に反対者が多いのは、費用の問題もさりながら、それより混乱動揺が鎮まって、早くも「棺を蓋いて事定まっ」たからではないのか。はたまた、人々の間にcovid-19などによる鬱屈が溜まっていて、この問題が不満の袋に一刺しの穴を開けてしまったのかも知れない。

 また雨音が一段と激しくなってきた。外はいつの間にか明るくなっている。そろそろ牛たちが囲いの中へ来るころだ。昨日のこの時間は「孤高の牛 No.27」が1頭、雨に濡れながら草も食べずじっと立ち尽くしていた。

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     ’22年「秋」(29)

2022年09月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前6時50分、曇天、気温16度。今朝は風も加わり、かなり荒れた天気になってしまった。雲は権兵衛山やアラスカの森にまで降りているようで、小入笠へ延びている尾根を境にして、その先はまったくの空白となっている。
 しかし、そう言っている間にもどうやらその尾根でも収まらないのか、雨混じりの霧が第4牧区にまで流れ込みだした。きょうは一日こんな天気が続くだろう。風の音とともに素っ頓狂なカラスの声がした。



 昨日独り言ちた通り昼飯を済ませて、雨具を身に付け、近くの林へキノコの様子を見にいってみた。そのついでと言うのか、こっちの方は仕事になるが、この春に新しく電気牧柵と有刺鉄線を併用して新しく区画した第2牧区の牧柵の状況も点検した。
 牛たちの下牧まで早くも半月を切ってしまったが、第4牧区の牧草次第では、この牧区の草が必要になるかも知れないからだ。ここならまだ全頭が食べるに足る充分な草がある、心配ない。

 牧柵に沿って急な草地を下っていく。案じていたよりかそれほど鹿の被害がなかった牧柵を頼もしく、そして安堵して眺める。疎林を通して聞こえてくる沢音も快く耳に響く。まるで、牧柵に見てくれとせがまれたかのように途中で止めることができず、誘われるようにして沢を渡り湿地帯を抜け、落葉松の林を急登し、とうとう古い牧柵と交差する所まで行った。
 牧柵の修理の必要な個所は3箇所だった。沢まで戻り、近くの岩に腰をおろした。その美しい水の流れと水音と、そこを渡って上方へと続く牧柵を同じように美しいと思い、またしてもしばらく眺めた。ささやかな自己満足と、4か月前のことが当時と変わらないままに甦ってきた。
 牧場の中の風景はどこへ行ってもそういう個人的な記憶が必ず重なり、自分にしか見えない風景を見ているのだと思っている。それが、牧守だけに与えられた報酬だと。

 キノコはまだ少し早かったのか、ようやく顔を覗かせたばかりだったから、そのままにしてきた。今週末にもう一度行ってみるつもりだが、それにしても、もうかつてのように多くは望めないだろう。

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