入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「冬」(14)

2022年11月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 牧を閉じ、山を下りる日が来た。7か月の大半をここで暮らし、それでも何から何まで思うようにできたわけではない。まだやり残したことや、気懸りなこともある。それらを考えると去りがたい思いもあるが、しかし何にでも終わりがあると決めて、きょうをもって一応の区切りとすることにした。
 これからの5か月の長い巣ごもり、無聊の日々、先細りのこの先を思えば安穏と炬燵の虜囚を気取ってばかりはいられないが、越年も含めてここへはちょくちょく来る。雪の法華道を歩く日もあるだろう。すべてが終わったわけではない、まだ終章には綴られるべき余白が残されている。だから今は、あまり振り返えることなどしないでおく。

 6頭が必ずしも納得のいく頭数ではないが、今朝、やっと鹿を捕獲した。罠の仕掛けが作動して、ゲートを吊っていたワイヤーが緩んでいるのも双眼鏡で確認できた。鹿たちも、囚われの身になったことをすでに知ったようで、どこかに脱出できる場所はないかと今は必至で探っている。いや、6頭でなく7頭、待て、9頭いる。
 これで、下で捕獲を期待していた人たちには少しだけだが面目が立った。しかし、有害動物駆除の観点からはこの鹿たちを殺めたところで、増え続ける数にどれほどの効果があるというのだろうか。殆どない、と言って間違いないが、それでも雄鹿が3頭ほどいる。いかほどかの繁殖抑制の効果はあるとして、せめてそれをもって良しとするしかないだろう。

 いい天気が続く。これだけ冷え込んでも、水道は凍結を免れることができた。牧を閉じるまで台所で水道の利用を試み、できたのは16年の間で初めてのことだった。これから外にある取水場の本管を開ければ、そこから凍結しない水がひと冬の間流れ続け、厳冬期であっても不自由することはない。
 昨夜ささやかな一人酒をして、一応のけじめとした。労ってくれたのは、冴えわたる冬空に煌く崇高、気高い数えようもない感動の星々と、静寂だった。

 里の暮らしが落ち着くまで4,5日沈黙します。有難うございました。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’22年「冬」(13)

2022年11月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     Photo by MSO氏

 今朝も鹿が囲い罠の中に来ている。まだ正確な頭数は確認できていない。それに、仕掛けが作動して捕獲につながっているかもまだ分からない。
 ゲートが落ちていれば罠の中の鹿は逃げられないが、そうでなければこれから日が昇り気温も上がるから、さらに他の鹿も罠に入ってくる可能性もある。つまり、捕獲頭数が増えることも期待できる。
 昨日よりも用心して、不用意に外へ出ないようにしている。問題は、まだ小黒川林道の土木作業が完全には終了していないためいつ関連する車輛が来るか分からず、もしそうなれば、ゲートが落ちていなければ鹿は昨日のように逃げてしまうだろう。
 
 一つ気になっていることがある。昨日、他の仲間が外へ出て行ったあとも、1頭の雌鹿だけが居残り、この鹿だけがまるでもう一箇所のゲートが閉じていることを確認でもするかのようにやってきて、それから去っていくという奇妙な行動見せたことだ。
 どう考えてみてもあの鹿は、自分のいる場所からは見えていないはずの100㍍以上は離れたもう一つのゲートの存在を知っていた。ただし、なぜそんな行動をしのか、その意味、理由は分からない。
 
 今年は罠の稼働率が例年に比べて低かった。そんな状況の中で2回、単独行動の雌鹿を捕獲し、さらにもう1頭、捕獲には至らなかったが罠の中に入っている姿を確認している。この3頭はどれも、今仕掛けているゲートではなく、もう一つの別のゲートから入っている。そのことが、その奇妙な行動とどう結びつくのか、3頭のうち2頭は自由の身になっている。
 
 やはりゲートは落ちていなかった。そして鹿の姿も消えていた。ゲートから仕掛けの場所までの距離、それから地形、草の状況、どれもこのゲートと、もう一つの別のゲートや仕掛けとは微妙な違いがある。捕獲実績は、もう一つの方がはるかに高く、普段はこの捕獲率の高い方を使ってきた。
 
 なぜその捕獲実績の高いゲートを使用していないかということはすでに呟いた。この罠から逃がした2頭の鹿の学習体験が他の鹿にも伝わり、このゲートをまさに鬼門のように怖れるようになったのではないかと推測したのだ。
 それで試しに今使っているゲートに変えたらどうかと考え、そうしたら、案の定鹿は来るようになった。しかし、捕獲にまでは至っていない。
 
 どうも頼りの塩の誘引効果が低下していることも考えられる。近付こうとさえしない、無視していると言ってもいいくらいだ。
 明後日には牧を閉じなければならないが、しかしその後であっても、せめてこの鹿たちとだけでも、決着を付けたいと思っている。

 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’22年「冬」(12)

2022年11月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 多くの樹々が葉を散らした今、また野鳥が目に付くようになってきた。モズ、ツグミ、ルリビタキ・・・、と言って、それらの鳥を言い当てることができるわけではない。冬空を忙し気に飛んでいく姿を眺めて、それで終わる。
 これだけ長い間山の中に暮らしていても、鳥の名前ばかりか草花の名前も、樹木の名前もろくに知らずに過ぎてしまった。今はもう、余程のことでもない限り図鑑を開くこともなく、諦めている。

 鹿の捕獲も同じくほぼ諦めていたところ、今朝外に出てみると意外や意外、罠の中に数頭の鹿が入っている。囲いの中の一段高い所にある平地に、例の白い毛を臀部に見せながら熱心に草を食んでいるのが遠くからでも分かる。その様子からは、もしかすればあの鹿たちはまだ囚われの身であることに気付いていないかも知れない。双眼鏡を使って10頭までは確認できた。
 山にも食べる物が減ってきた証拠だろう、相当腹を空かしているらしく、いつもなら脱出口を探してウロウロするはずにもかかわらず、まだそういった動きを見せていない。囲い罠の中のまだ緑の残る牧草は鹿たちにとっては大ご馳走に違いなく、しかしそれが命取りだったことをやがて知ることになる。

 いや、何たることだ。てっきり捕獲に成功したと思ったら、そうではなかった。ゲートが落ちていないのだ。あれだけの鹿が、仕掛けには触れないまま草を食べるだけ食べ終えると、さっさと姿を消したということになる。ムー。
 しかし、落胆することはない。恐らく今夜も来る、それも、もっと大きな群れになってご馳走を食べに来る可能性だってある。それを期待することにする。
 それにしてもこの時季、牛にもそういった傾向があるように、鹿は緑の草が目当てだったようで、仕掛けの傍に置いた誘引用の塩については、春や夏のころよりも欲していないのかも知れない。それと、前から気になっていたゲートから仕掛けの場所までの距離についても、問題があるようだ。

 来春に延期するつもりでいた追い上げ坂の牧柵設置も、何とか50本ほどの支柱をごぼう抜きにして予定場所まで運び、その打ち込み作業もきょうで終える予定でいる。あの急な斜面を鉄の支柱を担ぎ、一体何往復したことだろう。
 その間の、初冬の穏やかな陽射しと、日毎に渋さを深める周囲の森や林、そして夕暮れの大きな空に感謝。

 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’22年「冬」(11)

2022年11月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    Photo by Ume氏

 雨が降っている。霧が深い。午前6時半の気温は2度と、寒気が入ってきているとの予報だったが、いつもと比べたらかなり高い。多分この雨は一時的で、しばらくすれば止み天気は回復に向かうだろう。
 念のために天気予報を見ようとテレビを点けたら、東京を始め各地の寒そうな様子や、通勤者のそれに対する声を伝えていた。ここではいつもよりか6,7度高くて暖かいと思っているのだから、10度を割ったくらいで騒ぐのは大袈裟だと思うが、まあ、向こうからすれば、こっちこそが異様だと言うのだろう。

 富士見のゴンドラが止まり、山は本来の静けさを取り戻したと思っていた。ところが、きょう15日は猟が解禁になる日だ。これからは銃を携えた見知らぬ人が来て、この週辺もかなり物騒な雰囲気になる。国有林でも、共用する牧場へは立ち入りを断るが、それで悶着が起こることもあったりする。
 猟の解禁日までに、ここの囲い罠での鹿の捕獲を当てにされていたが、駄目だった。周囲にはあれだけたくさんの鹿たちがいるというのに、罠の中の塩を無視して、たった1頭すら誘いに応じなかったのは、敵ながら天晴れと褒めてもいいだろう。

 冬のテント泊、それも単独が流行っているらしい。それを称して「ソロキャン」などというおかしな片仮名語が使われているようだ。何でもやたら外来語っぽくすれば化粧でもしたような気になるのかも知れないが、それで誰もが美しくなるとは思えない。
 単独を好む人たちは、周囲に似たような人たちがいることを前提としているのか、それとも本当は誰もいない場所、例えば山の中で、孤独を味わいと思っているのか、どちらだろうか。
 いや、敢えてそんなふうに分けることもない。今の季節、晴れて良し、曇って良し、渋い初冬の山の雰囲気をじっくりと味わってほしい。

「ヤギを売ってくれませんか」と、朝から若い女の人の電話。ここが牧場だからヤギもいると思ったのだろうか。
 本日はこの辺で。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’22年「冬」(10)

2022年11月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雪でも降ってきそうな空模様だ。もしそうなったとしても驚くことはない。きょうは13日、いつごろから雪が降るかと問われると、大体11月の半ばと応えることにしていて、しかも今年はすでに10月の25日に初雪が降っている。
 正午の気温は10度とそれほど低いわけではないが、しかし、どうせ降るなら氷雨よりか雪の方を待ちたい。悪天であればきょうは作業を中止するつもりで、ならば雪の降るのを眺めながら過ごしたいという単純な理由でしかないが、天にはそのくらいのことを望んでもいいだろう。この1年、随分と天気には気を揉まされ続け、それがここへきて少し変わってきたぞと、お天道さまの評価を変えつつあるのだから。

 今の時季を「晩秋」と呼ぶのか、それとも「初冬」と呼ぶべきか、迷う。迷うが、それでも単に感覚的な理由に過ぎないがこの呟きでは後者を選んでいる。「長い秋」を望んでいたはずなのに、なぜそうなのか・・・、よく分からない。
 強いて言えば、一つは、先っ走りの癖、というか傾向がある。そして二つには、諦めが早いという、そんな軽い性格が影響しているのかもと考えるのだが、さてこれが正しい自己分析と言えるだろうか。
 
 四季のうちでは秋が一番歓迎したい季節だと思っている。この季節が長ければ長いほど有難く、快適で、他の季節などなくてもいいとまでは言わないが、今の半分でも構わないと、はなはだ勝手ながら個人的には思うくらいだ。子供のころは夏と冬だったから、年齢の影響もやはりあるのだろう。
 そうであるにもかかわらず、秋を追いやり冬に鞍替えした先述の理由をもう少し言うと、この時季の日毎に忍び寄る終末の兆し、儚さ、哀れ、侘しさといった思いを、いつまでも引きづるくらいならスパッと断ち切ってしまいたいと、そういう気持ち、願望があるのではないかとも考えている。ただし、折角の秋に対しては感謝と、見限りの早さについては済まない気もしている。

 雨が激しく降ってきた。雪にはなりそうもなく、この雨も長続きせずに明日にはまた好天が戻ってくるようだ。(11月13日記)
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする