入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「春」(48)

2024年04月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

       仙丈岳の雪も驚くほど少なくなった
 
 昨日、上に行く途中で見た高遠のサクラもすでに終わっていた。「花の命は短くて云々」、まさしくそういうことだろう。ただ、群衆の中でハシャグうら若き女性らを見れば、林芙美子の言うように悲しいことばかりとは思えないが。
 それはさておき、荊口が只今サクラ花の盛りで、さらに帰りに選んだ千代田湖経由松倉の集落も、今が盛りと万朶の花を咲かせていた。

 上の状況を呟けば、まだ前回と大きく変わってはいなかったが、それでもまず気温の高さ、それから芽吹きを前に野鳥の姿が各所で目に付き、日陰に隠れた汚れた雪もほぼ消えていた。まだ緑の色は少なくても、数日前のあの侘しい雰囲気は失せて、全体に若返り、早春の明るさを取り戻しつつあった。
 ともかく、どんな理屈をつけても温暖化は間違いなく進んでいて、例年「ド日陰の大曲り」から3キロの道のりを歩いたことなどまるで嘘のようだ。花、これは牧場にある山桜のことだが、の開花はまだ少し先のことのようで、落葉松やコナシの芽吹きに先を譲るだろう。

 一番ショックだったのは、大沢山にいた鹿の数だった。まず100頭はいた。それらが、人のいないことをよいことに、好き放題、勝手な振る舞いをして、産めや、増やせやをしていたのだ。
 落とし物などから判断すれば、全体的には数は減ったかも知れないが、それでもかなりの鹿があの辺りに集中していて、最早あれでは本物の「鹿の園」と呼ぶしかない。
 今なら雌鹿は大半が身籠っているから、ここで勝負をかければかなりの成果が上がるだろうが、10台や20台のくくり罠ではどうにもならないだろう。もちろん、鉄砲など何の役にも立ちはしない。
 獣害対策に携わる人たちは、鹿の頭数を減らすという本来の目的よりか、捕獲頭数に拘り、それで終わってしまっているようにしか思えない。

 いよいよ明後日から上に行く。深海魚の身は水圧に負けないようにゆっくりと浮上し、季節に合わせて淡々と仕事をするつもりだ。気負いもなければ抵抗もない、頼りにするのは自然だけだ。

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     ’24年「春」(47)

2024年04月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雨が降っている。きょうは打ち合わせがあり上に行くことになっているが、こんな天気でも先方は本当に来るのだろうか。そう思いながら当てにしていない天気予報を見ると、意外にももうすぐ晴れるようだ。
 
 この雨のお蔭で、庭木屋に頼んで新たに植え直してもらった隣家との境界の10本のイチイの木も根付くだろう。枯れたままになっていた垣根、不本意ながらこれでよしとするしかない。
 今回は、古い柿の木もついでに根元から伐ってもらった。あの木によく集まっていた多数の椋鳥たちも行き場を失い、さぞかし当惑しているいるだろう。そう思えば、笑える。

 本当に晴れてきた。青空が見える。この天気なら間違いなく彼らは来るだろう。約束は午後の1時、しかしこの独り言を終えたら出発する。少しでも早く行って、目覚め始めた山や上の様子を見てみたい。
 
 今テレビでクマが指定管理鳥獣になったと報道されていた。それを決めたのは環境省で、これから具体的な対策が練られるのだろう。クマに襲われる心配のないお役所のすることだから無理もないが、どこまで実態を把握しているのかが気になる。またしても鹿の二の舞をせねばよいがと案ずる。
 
 これまで、ツキノワグマはヒグマと違い、余程のことが無ければ人を襲うことはなく、むしろ逃げると言われてきた。確かに、そういう経験をこれまでに4,5回はしている。錯誤捕獲の経験はあっても、幸い、まだ襲われたことはない。
 以前にも呟いたように、一番心配しているのは、少しづつ人間との距離が近くなるにつれてクマが人を怖れなくなりはしないかということである。すでにそういう兆候が見られる。
 
 これまでクマは保護されてきた側で、特別な場合を省き狩猟期しか捕獲できなかった。しかも、その頭数も決められていた。鹿も、似たような対策が行われていた間に、今のような状況を招いてしまった。
 行政、特に環境省の考えることは大体決まっているが、クマ出没の注意喚起ばかりしていても、山道でよく目にする落石注意とその効果は変わらないだろう。学習放獣にしても、協力はしてきたつもりだがその後のことは聞いていない。
 知り合いの鉄砲撃ちからは昨年からの狩猟期、6,7頭捕獲したと聞いている。さてどうなるか。
 
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     ’24年「春」(46)

2024年04月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


前略
 Tさん、驚きました。そうですか、定年を機に随分遠くへ移住したものですね。お忙しい中、連絡ありがとうございました。
 確かに、しばらく会うことはできなくなりますが、そちらは冬季も暖かそうだし「今度はこっちが訪ねるよ」の番になりますね。彼の地は以前から関心の高かった所です、必ずそうします。
 大分生活環境が変わると思いますが、身体に気を付けて頑張ってください。そして、たまには入笠の牧場のことも思い出してください。頂いた帽子は今年も愛用いたします。早々
                          三沢拝

 Tさんは長年牧場の山小屋やキャンプ場を、所属する団体や職場の同僚とよく利用してくれたお馴染みさんだった。「遠い場所」も具体名が記されていたが、敢えてここではそうしなかった。
 考えてみれば、定年を待たずに55歳で都を捨てて信州に帰り、その3年後には縁あって入笠牧場の管理人になったわが身とも似ている。今から考えれば、都に留まる選択も充分にあったし、そのために迷惑をかけてしまった人間もいたが、個人的には悔いはない。

 田舎出身の人たちが、都会の郊外に家を建て、あるいは平均価格が1億円を超すようになった新築の集合住宅を入手し、そこで残された晩年を過ごすことは、誰でもというわけにはいかない。多くの人には望めない。また、都会の生活が、その人や家族にとって有意義であればいいが、中には仕方なく無目的に暮らしている人もいよう。
 そういう人たちの中にはTさんのように、狭い窮屈な街の暮らしを捨てて、田舎暮らしをするという手もあり、そういう人たちの話を耳にすることも増えてきた。
 
 田舎は過疎化が進むばかりだし、特に山間地では空き家が目に付くようになった。他方、東京は一極集中が進むばかりか、天変地変の怖れがいつ起こるかも分からない。過度に進む温暖化も悩ましい。
 田舎に移り、そこで新生活を始めることはそれほど簡単ではないし、若い人たちが安心安全ばかりを求めて田舎に引き込み、大都会で勝負をしないというのもどうかと思う。しかし、「闘い過ぎて日が暮れ」たら、もう一度新しい土地で新しい生き甲斐を求めることはあっていいと思う。そうやって、地域に貢献し、活躍している人たちもいる。

 Tさんも、これまでの豊富な経験を活かし、新たな生活を始める一人になる。どうか氏の選択が正しかったことを願い、祈っている。

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     ’24年「春」(45)

2024年04月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 きょうもカタクリのことから始まる。この野草は、種はアリが運び、芽が生えてきても10年ほど経たないと花は咲かないという。そのことを知り、さらに、この野草への愛着が増した。わが家の花を咲かせたカタクリも、ここに来て多分そのくらいになるだろう。
 とにかく毎年、いつの間にか見事なくらい姿を消してしまう。地中の球根の場所は変わらずとも、茎が10センチ以上も深く、必ずしも同じ場所から生えてくるようにも思えない。
 中にはこれから10年近く待たなければならない株もあり、消息不明となるのは人間の方が先か、はたまたカタクリかどっちだろう。
 
 その庭に、きょうは庭木屋さんが3名来てくれている。庭と言っても、ただ古いだけの木が少々と、徒長し放題の生け垣があるくらいだから大したことはない。自分で、と思わないでもないが以前から依頼しているし、何より上の仕事を目前にして無理をせず、体力の温存を口実に控えた。
 なお、ここでそっと本音を言えば、あまり人工的に整枝されるのは好みではないし、それより何よりもこの陋屋には似つかわしくない。そう思ながらもお任せしている。


       イカリソウ
 こんなふうに草花に関心を寄せるのも、梅の花の咲くころから上に暮らしを移すまでのせいぜい1ヶ月少々でしかない。後は、「主無き宿」となり7か月、庭は自然のほしいままとなり、たまに帰ってきてもその惨状に目をつむるだけだ。
 盆栽が駄目になり、そして犬がいなくなって、さらに追い打ちをかけるように燃料費が大幅に上がった。それで毎日片道40キロを往復する理由がなくなり、こうした暮らし方をするようになって今年で3年目になる。
 
 そろそろ、キャンプの予約が入るようになってきた。例年、4月末から5月にかけての連休は各地が大いに賑わうが、その割には、当牧場の宿泊施設はそれほどでもない。なにしろ「混雑させないキャンプ場」、以前はこの連休にはまだ営業していなかったという事情にもよるのだろう。
 
 NMさん、流星の観測について丁寧な説明をありがとうございました。知人の中に若いころ、カナダの某天文台と流星の情報交換をしていたという人がいました。
 まだ小屋の電話は不通のままでご面倒をお掛けしますが、もう少々お待ちください。
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     ’24年「春」(44)

2024年04月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 きょうも好天、明るい空、小鳥の声、経ヶ岳の雪は恐ろしいほどの速さで消えつつある。いろいろな草花が咲き出し、中には名を忘れてしまったり、花を見て改めてその存在に気付くこともある。
 カタクリは今朝見ると蕾の数がさらに増え、どうやら花の数は3輪になるようだ。だが、釣った魚を再び放流する釣り師のように、そこまでに至れば花への関心は薄れるような気がする。



 一昨日、昨日と梅の枝打ちをした。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と同じく、今頃するのは大馬鹿の誹りを免れないと承知の上だが、ここの梅の実を当てにしている約1名のために、3本のうち最も若い1本は手を付けずに残しておいた。
 この時も、高所に怖気る自分の無様さを痛感し、登攀者の端くれだと思っていた過去に詫びるしかなかった。どうもかつてのように、身体のつりあいがとれなくなっているのを、無意識裡にも分かっているのだろう。

 そして、炬燵も片付けた。昨年は、どうせ山の暮らしを終えるのは11月も終わるころ、そのころになればまた炬燵が必要になるはずだとそのままにしておいた。しかし、さすがに昨日の陽気では、見るだに暑苦しく退場してもらった。
 実は炬燵は好きではない。これは以前にも呟いたが、別の暖房、ストーブなどに頼る生活が長かったためで、炬燵は場所を取るので気に入らない。普段「炬燵の虜囚」を口にしているくせにこれは炬燵に対する裏切りかも知れないが、あくまでも「虜囚」、囚われの身を喜んでいる人は少ない。

 また一周間が終わり、来週の末にはもう上にいる。18年目の牧守となり、里とは大分違う自然の中で仕事が始まる。すでに幾つかの予定、計画はあるが、特段に何にも構える気はなく、しばらくは春まだ浅き牧を楽しみ過ごすだろう。

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 本日はこの辺で、明日は沈黙いたします。
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