「明暗」の中の
津田小林外套ドストエヴスキ 流れから
ゴーゴリ「外套」※に やってきた。
ゴーゴリ 「鼻/外套/査察官」 浦雅春訳 光文社古典新訳文庫 2006
「落語調訳ゴーゴリ」(訳者あとがきより)です。
落語調での良し悪しは判断に知識追いつかないが、読了は麗しい。
とある役所 の とあるお役人、アカーキー・アカーキエヴィチ。いわゆる万年九等官の彼の下にも、どえりゃー寒さの冬が来た。つんつるてんとなっている手持ちの外套ではしのげる故もなく、仕立て屋に頼んでお直ししてもらうつもりがもはや新調以外にみちがないと諭される。「新調なんて。。。」仕立てに要する金をどう工面すればいいのやら。万年九等官の 外套新調資金調達大作戦が始まった。
↑と私が落語調訳文お借りしながらまとめた内容は 作品の全容を覆う雰囲気からはちょっと外れている。その時の「カーカー」(露語では こちらでこの頃流行っている〔た?〕学習ドリルシンボルマークのような意味になるそうな。)の高揚感を 私も若いころ感じたことがあって 懐かしかったのだ。
勤めて初めての冬ボーナス。夏ボーナスは満額ではなかったので、実質初めてのぎっしりボーナス感のお金を何に使うかは、だいぶ前から決まっていた。コートを買うんだ!事は一年前に遡る。私より一年早く(って言うより私が一年遅れていたんですが)社会人になっていた知り合いと忘年会だか新年会だかで会って、彼女たちは実に立派なコートをお召しになっていた。「ボーナスで買ったの。」「一生ものだから、いいものをがんばって買ったの。」そうか。社会人になってボーナスもらって一生もののコート買えるんだ、一年たつと。一年たって、私もコートを買いに行った。「(んまあ、お客様は今年就職なさり冬の満額ボーナスでコートをお買い求めにいらっしゃったんですね。それでは是非)一生もののコートをお探しください。こちらなどいかがでしょう。」ナルホド。一年前に彼女たちの言葉から溢れていた 一生もの とは、こういったシチュエーションから流れてきたものだったのだな。などと ほくほくとコートを一着買い求めた。さて。そのコートは本当に一生ものだったのか。厚く重いそのコートは、一生どころか数年で軽いカジュアルなデザインのものに取って代わられていった。今、一生もののコートを買いに行く、なんて決意のもとに買い物することがあるのだろうか。。。
「世界名作の旅」のこの回の著者は、「外套」を「十九世紀なかば、レニングラードが、まだペテルブルグといったころの物語だ。」と言って 冬の「レニングラード」にやってきていた。昭和三十九年四十年頃のお話です。物語の中にも出てくるカリンキン橋の辺りで どえりゃー寒さ・厳寒・マローズ に遭遇している。その時この回の著者が着込んでいた外套は、さてさて、いかがなものであったのだろうか。
短編「外套」読了に気を良くして、現在、ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」を読んでいます。文庫版。ジャケットカバーには、黄色地にライトブルーの刺繍と思われるものが。アショケのお母さんの刺繍は、こんな感じだったのでしょうか。
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ドストエフスキーの有名な言葉に
われわれは、すべて、ゴーゴリの『外套』から出発した (「世界名作の旅」)
私たちはみんなゴーゴリの外套の中から出てきた (「松岡正剛の千夜千冊」)
われわれは皆ゴーゴリの『外套(がいとう)』の中から生まれた (「好書好日」)
というものがあるらしい。