「なぜ東大は男だらけなのか」 矢口祐人著 集英社新書 2024年2月
を読んだ。
いくつか抜き書き(「」内)と私の感想。
序章 「また、本書では大学生の女性を「女子」と記すことを極力避けている。」(p.34)
第二章 『三四郎』解題あり。解題なんて勝手に言ってしまったけれど「なぜ東大は男だらけなのか」から見た『三四郎』。これがとっても腑に落ちる。もう『三四郎』読まなくてもここのこの6ページ分くらいを読めば済むんじゃないかと思ってしまうくらい。(許せ、漱石。)
第三章 (1946年4月に行われた戦後初の東大入試では女性も受験ができるようになった。受験者男性4375名女性108名、合格者男性1007名女性19名)「入学式の翌月に…行われた「女子学生懇談会」では「衛生施設の完備(便所の区別、掃除等)女子控室等が要望された」ことからもわかるように、女性を迎える環境整備はまったくなされていなかった。」(p.105)女性専用トイレができたのは1947年以降になってやっとのことだったようだ。数は全然足りなかったようで1974年入学生に至っても「お手洗いがないし」の状態だった、とのこと。「PERFECT DAYS」を最近見た者としては、このあたりのトイレ事情とっても気になりました。一生懸命勉強して東大に受かって、そして日々トイレ事情に苦しむ。なんということだ!!!「卒業生の女性の回顧を読む限り、敗戦後、アメリカの圧力のもとで突如として女性の入学を認めた東大には、男性中心の学習環境を変える意思も余裕もなかったようである。」(p.107)
終章 吉原真里さん(ハワイ大教授)の名が出てきた。と言うか、そもそも吉原真里さん関連でこの本のことを知って読み始めたのでした。吉原さんは今年度から5年間東大とハワイ大の半年ずつの教授に着かれた、とのこと。(←なんか表現が変なですが、ご本人サイトからの情報はしょって書いたらこうなった。)10月の今頃はハワイ大におられるのかな?吉原さんは東大卒。80年代後半からの学生としての東大生活、そして21世紀四半世紀になんなんとする今の教授としての東大生活。東大トイレ事情変遷を身をもって感じられたのだろうか。なんかトイレがものすごく気になってるな、私。
を読んだ。
いくつか抜き書き(「」内)と私の感想。
序章 「また、本書では大学生の女性を「女子」と記すことを極力避けている。」(p.34)
第二章 『三四郎』解題あり。解題なんて勝手に言ってしまったけれど「なぜ東大は男だらけなのか」から見た『三四郎』。これがとっても腑に落ちる。もう『三四郎』読まなくてもここのこの6ページ分くらいを読めば済むんじゃないかと思ってしまうくらい。(許せ、漱石。)
第三章 (1946年4月に行われた戦後初の東大入試では女性も受験ができるようになった。受験者男性4375名女性108名、合格者男性1007名女性19名)「入学式の翌月に…行われた「女子学生懇談会」では「衛生施設の完備(便所の区別、掃除等)女子控室等が要望された」ことからもわかるように、女性を迎える環境整備はまったくなされていなかった。」(p.105)女性専用トイレができたのは1947年以降になってやっとのことだったようだ。数は全然足りなかったようで1974年入学生に至っても「お手洗いがないし」の状態だった、とのこと。「PERFECT DAYS」を最近見た者としては、このあたりのトイレ事情とっても気になりました。一生懸命勉強して東大に受かって、そして日々トイレ事情に苦しむ。なんということだ!!!「卒業生の女性の回顧を読む限り、敗戦後、アメリカの圧力のもとで突如として女性の入学を認めた東大には、男性中心の学習環境を変える意思も余裕もなかったようである。」(p.107)
終章 吉原真里さん(ハワイ大教授)の名が出てきた。と言うか、そもそも吉原真里さん関連でこの本のことを知って読み始めたのでした。吉原さんは今年度から5年間東大とハワイ大の半年ずつの教授に着かれた、とのこと。(←なんか表現が変なですが、ご本人サイトからの情報はしょって書いたらこうなった。)10月の今頃はハワイ大におられるのかな?吉原さんは東大卒。80年代後半からの学生としての東大生活、そして21世紀四半世紀になんなんとする今の教授としての東大生活。東大トイレ事情変遷を身をもって感じられたのだろうか。なんかトイレがものすごく気になってるな、私。