・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 食べ過ぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20190119 前回比 -0.25kg/トータル +0.75kg ○○☆☆○|●○
○ 久しく、黒っぽいアンズを食べていましたが 先日は、アンズアンズした色のをいただきました。おいしかった。なんだか、食べる話を楽しそうに書いてしまうが [食べ過ぎない。] そこだよ、そこ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 食べ過ぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20190119 前回比 -0.25kg/トータル +0.75kg ○○☆☆○|●○
○ 久しく、黒っぽいアンズを食べていましたが 先日は、アンズアンズした色のをいただきました。おいしかった。なんだか、食べる話を楽しそうに書いてしまうが [食べ過ぎない。] そこだよ、そこ。
火星だ。天文だ。天文学だ。
しろいうさぎとくろいうさぎ並みに hop step and jump、
「天文学と印刷 新たな世界像を求めて」を見に行った。
遠い時間を超えて、目の前にあるものたちよ。
あなたたちを温度とか湿度とか光とかから守りながら 私たちの前に展示されている。。。ということは、
暗い><。(とっても照明が抑えられています。)
そこをがんばって見ていく。
「42行聖書 原葉」
おお、これがホンモノ。ホンモノを目の前にして思ったのは、大きな本だったのだな。
(410×290mm)
そして 一番に印象に残ったのは 余白部分。例えば
節気 立秋
立春 秋分
立夏 立冬
夏至 冬至…
なーんて風に聖書の言葉が42行×2組版されていて、410×290mmもの大きさがあるので
余白も広い。
その静かなる美しさ。
次に…と書いていくには知識不足で、とにかく
間に合った。
見にいけてよかった。
ちょいと疲れた。
図録を買っ(てしまっ)たので 少しずつ見ていくのでせう。
「オデッセイ」を日本語字幕で見て、「火星の人」を読んだ。
↓
日本語吹き替えでも「オデッセイ」を再生してみた。
自分が有人火星探査ミッションのクルーになることはこれから先もないだろう(!)けれど
家事とか
人間関係とか
人生設計とか それらを
有人火星探査ミッションのクルー視線で見直してみたら
新しいジャガイモの芽を発見するような思いに もしかしたら出会えるのかもしれない。
そんな 火星三昧の、連休。普通に寒いです。
添え書きに「火星の人」とあって、ふと私も読んでみようと思った。
でも映画もあるとのことで
○ どちらを先にするか。
映画が先になった。
文庫での読書を次に、なイマココ。
独りぼっちで火星に取り残された、有人火星探査ミッション<アレス3>のクルー、マーク・ワトニー。事故で死亡したと判断された彼は 奇跡的に生きていた。けれど
○ 地球との交信手段 無し
○ 次回ミッション<アレス4>が火星に到達するのは 4年後
ドウスル?マーク・ワトニー!
「だが、いまは一度にひとつのこと。」(上巻 p.25)
持てる知識と技術を総動員して マークは生きのびる行動を積み上げる。
マーク!地球に戻れるの!?
いつ読んでいるか、今読んでいるよ、で
今日あたり現在の私がこの映画を見たり原作を読んだりする、ということは どのシーンについても 「セブン・ステップ・ガイド」がちらつきながらの鑑賞となっていく。当てはまることはないのに 気持ちは「新しい時代の技術者」になっちゃっているのだ。(そのうち、薄れていってしまうのだろうか。)ここで ふと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
添え書きをしてくれた、らんさんへ。
らんさん。
らんさんは もしかしたら 私のこの場所を知っている、読んでくれているの?
もしそうだとしたら
らんさん はろー(^_^)/。
私の この はろー(^_^)/ が らんさんのところに届いたりすることがあるのだろうか。
小野正嗣 「九年前の祈り」 2014
を読んだ。
その本を手に取るまで
放送大学「世界文学への招待('16)」の講師の中のおひとりである小野正嗣氏 が
作家であるということに気がつかなかった。
「世界文学への招待('16)」は 第3回「つねに戦時中-アメリカ文学と戦争」の放送を偶然見かけ(その時の講師は「すべての見えない光」の訳者・藤井光氏)、斜め見を続けていた。
さて、どこから書いていったらよいのか。
♪ 記憶の中に君を探すよ それだけでいい の時の「のどじまんTHEワールド!」の出場曲をを5曲残してあった。「 瞳をとじて 」の他にブラジル代表の2曲とコロンビア代表の2曲。
コロンビア代表は 2曲目に「アイノカタチ feat.HIDE(GReeeeN)」を歌った。うちの家族のだれもが コロンビア代表の声で初めて「アイノカタチ」を聞いていて、しかもとても気に入ってしまい 誰かが酔っぱらうと 「あのコロンビアの子の声聞いてみようか」と何度も再生していた。
紅白を前後して MISIA の曲の方が気になり始めた。コロンビア初視聴組としては MISIAバージョンはなんとも癖のある歌い方に聞こえてしかたない(こちらが本家なのでしょうに)。しかも私は初回の早々にリタイヤしてしまったとは言え、「義母と娘のブルース」をほんの少し見ていたのだ。ドコニあいのかたちデテキタンダロ(?_?)。とそこへ「義母と娘のブルース」ディレクターズカット版を延々と放送してくれるという。全部録画して、結局全部延々と再生視聴した!おー、最初の最初でリタイヤしなければ毎週面白くぎぼむす見られたかもしれなかったのだなあ(いっぺんに見ると面白かったの前に疲れた~><が入るが)。は置いといて、ドラマに乗った「アイノカタチ」は やはりMISIA版がいいなと思いました。
そう。タイミングは 「九年前の祈り」を読んだタイミングは、この時だったのです。
九年前/九年(くらい)後 シングルマザー/シングルファーザー 献辞が「兄、史敬に」/良一の入院…
だから。「九年前の祈り」をとても「乾いている」、という風に感じているのは ぎぼむす の影響も多少あるのかもしれない。
故郷は故郷のままにしまわれてはいなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 食べ過ぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20190105 前回比 ±ゼロ/トータル +1.00kg ○○☆☆○|●○
○ なんということでしょう。±ゼロの世界にいる私。。。
○ ♪私もTarzan♪1日1エクササイズ は、なんかいい感じ。今週分の動きが嫌いじゃない方だからかな。先週は辛かった(T_T)。
第21課 復活!2000年前の古代ワイン
Dove è la vigna?/ブドウ畑はどこですか?
ポンペイ/ヴェスヴィオ火山/79年8月24日(桁揃えで表記すれば0079年8月24日、でももしや違う日なのかも?http://www.afpbb.com/articles/-/3193580)な辺りの話を聞くところにいます、イワオとマッテオ。古代ワイン研究の第一人者に2000年前の事を聞く。火山灰によってその時に蓋をされてしまったようなその都市は 2000年の後に 火山灰の保存性も相俟って 当時の街並みが再現された観光地となっている。ふーん、そうなのか。「灰 保存」と検索してその先を知ろうとしたら、茶の湯方面の説明が出てきてちょっとくすぐったくなった。私はちょうど「道」の話を最近思い出していたところで、それはこのあいだ見た「なんでも鑑定団」に「茶道」に近い木関連の鑑定依頼品が出てきたからだった。その昔、「茶道」を習いに行き始めた知り合い。「茶道」は初めてながら、以前その木の関わる「道」を習ったことがあり、ふくさのたたみ方がどうしても木の「道」の方の手順になってしまう。目の前のお茶の先生には〔茶道初めてと聞いていたのに、こちらの流派と違う経験を持つことを話してくれていない(隠している)のではないか。隠さなくてもいいのに。〕的指摘を毎回受けてしまう。困った。その知り合いの困った加減の微妙さがこちらにも伝わるような彼女の話し方だったので、30年以上も経っているのに思い出してしまうのだった。「いえ先生。私が経験あるのは「茶道」ではなくて「聞く」道のほうです。」と最初に伝えればよかったのだけれど言いそびれてしまい、もはや言い出せなくなってしまった。先生の態度が「この人はどこかほかの流派の「茶道」経験があることを隠している。」と勘違いしたままどんどん頑なになっていったからだった、そんな風に覚えている。このあいだの「セブン・ステップ・ガイド」に当てはめていったら、なにか光は見えたのだろうか。
第22課 イタリアの至宝 流麗なるマシンを求めて
Mi piace questa forma./私はこの形が好きです。
Disco Italiaコーナー(そういうコーナーがあるんです。最後月になって書いてるけど。)イタリアンポップスの世界。ティツィアーノ・フェッロTiziano Ferroの「暗い夜Sere nere」。sera nera(単数形)ではない、sere nere(複数形)の暗い夜。「失恋した状態が続いている歌詞内容(だから複数形!)。」と 言い方一つも、とても文法的に説明されていく(ゴガク番組なんですから当たり前なんですが)。聞いている方としては言葉一つも徒や疎かには発せられないもんだ、なんて勘違い方面に印象は広がっていく。
第23課 イタリアの伝統 復習編
第21課と第22課の復習
野村雅夫のCinebar 「鞄を持った女La ragazza con la valigia」 クラウディア・カルディナーレ、あんまり見たことなかったよなあと作品リスト見にいったら 「山猫」出てきた><。“テレビの電子番組表に ひょっこり現れ出た。気がついてよかった。”なんて言ってたのに、ほんの最初しかまだ再生していないんだった。比較的近くの頃に録画した「男と女」と共に円盤に移して そうするとそのまま静かに眠っていく作品たち。。。Ti fa male?/No, è quello che dici tu che mi fa male.をとりあえず書き取っておこう。 痛む? / いや 痛むのは君の言葉さ
第24課 ナポリっ子の魂 ヴェスヴィオ山へ!
総復習
イワオとマッテオの南イタリアの旅の最終ステージ 火の山ヴェスヴィオ、標高1281m。頂上付近まで車でアクセス可能。車を降りると頂上まで30分ほどの登山口入り口。二人、徒歩でa piedi目指します。途中の眺め、エニシダの群生の眺め、続く続くきいろきいろ。「ナポリ湾を望むナポリ市と桜島を望む鹿児島市とは、風景がとても似ていることから、鹿児島市は古くから「東洋のナポリ」と呼ばれていました。」(鹿児島市HPより)の眺めです。そしてソレント半島、カプリ島も見えるのだった。イワオの演奏と共にFine。(マッテオ、「きょうの料理」に出ていたんだね。気がつかなかった。。。)
よく使っている大鍋のガラス蓋のつまみ部分が欠けてしまった。
って 最近のことではなく、しばらく前に。
似たような大きさの蓋が他にあったからそちらを流用、でもしっくり来なくて気にはなっていた。
新年て 例えばそんなところに気が回り、
欠けたつまみ部分の交換用を探しにホームセンターへ。
あっさり見つかり、交換も簡単で 値段も250円弱だった。
その気分の良さ。まるで入らなくなってタンスに眠っていたジーンズが復活したかのよう。(なぜダイエット比喩?)
蓋が合わなかろうと その大活躍具合には変化のなかった鍋なのですが(商品名「茹でまくり」和平フレイズ、何かの時にもらったカタログギフトから家族が選んだもの)、これからもますます活躍してくれることでありませう。
思うに うちで出番の多い鍋は とっても大きいか、とっても小さいか、だなあと 変なことに気が回ってきた。
この「茹でまくり」は、26cmサイズ、わが家最大。何か麺類を茹でる、その時に家族が選ぶのはこの鍋の事が多い。(私には大きすぎて他の鍋の事が多いのですが。)
小さい方は「石黒智子のシンプルな台所道具 重ね鍋」、15cmサイズ、これで何か蒸す。野菜とか、キノコとか、タラコとか。。。蒸す時は、見ていると家族全員この鍋のようだ。小さいんですが、けっこうたくさん蒸せます。
あーそう言えば 卵焼き器(卵焼き用フライパン)新調しようと思っていたんだった。
(色々調べて比べて結局疲れて決められないタイプ≒私。)
買える(≒決められる)といいな。。。
“新年だ。
読んだことのない人の作品を読んでみようと
綿矢りさ 「インストール」 2001
を読んだ。”
のように 今年は
河野多恵子 「蟹」 1963
を読んだ。
主人公は 転地療養で外房州の海辺の地に来ている。
夫の弟家族が見舞いかたがた遊びにやってきた。
幼い甥に「準急に乗ってきたんでしょう」と声をかけると
「房総第一!」と 今年小学一年生になる甥は答えた。…
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
外房州の海辺と
“循環バスはその名の通り ちゃんとセンター近くにゆきついた。
遠回りと言っても 15分ほどのバス旅。
海辺の公園を左手に のんびりゆったりとバスは進んだ。”の海辺は 違う。
この海とあの海は違うんだな、ほんの時々に海に行くと そんな風に思ってしまう。
外房州の海辺と
“初めて泳いだ海は おだやかな けれどすぐに深くなる海だった。
私の海は あの海だ。”の海辺も違っていて、そして
“ざざ ざざざ。波が来て、波が去り。それだけでころころと面白かった。
太平洋を初めて見た日だった。”もまた、違うのです。
就職して、職場の人たちと海に泳ぎに出かけた事があった。
「真夜中に出発するよ。」
就職一年目の私たち同期は 3、4台の車に分乗して 白砂で有名だという海に向かった。
着いて泳いで帰り道、車の中は
心地よい疲れとスムーズな運転技術にまかせて 寝入る子ばかり。
運転していた男の子がそのうちにたまらず、
「ね。何かしゃべって。(そうしないと)こっちまで眠くなってしまう。」
あ悪い悪い。そうだね。ほんとにたのしかったねきょう。それにしても○○君、運転上手だね。上手だから眠くなってしまうんだよ。
その同期会は今も続いているとのことで
昨年、一番新し目の写真を見せてもらう機会があった。
あの時海に行ったメンバーは 同期の中の何人くらいだったのか
見せてもらった写真の中の面影に 当時の様子を思い出す人、分からない人
名前当てクイズのように 一人一人見ていった。