■長野県建設業厚生年金基金(長野県長野市大字南長野南石堂町1230)を舞台にした23.8億円の年金掛け金不明事件で、ようやく名前が公表された元事務長坂本芳信容疑者(53)について、不思議なのは、経歴についてマスコミが全く報じていないことです。
元事務長(報道機関によっては「前事務長」ともいう)の普段からの素行については、マスコミ報道を見ても実に情報量が少なく、地元の信濃毎日新聞以外、長野県外の報道機関は殆んど報じていません。
その僅かな報道からサカモト容疑者の普段の私生活をチェックしてみましょう。
■同容疑者は、長野市西三才(にしさんさい)に住んでいたようです。西三才というのは、新幹線停車駅でもある長野駅から2つ目の三才駅の西側にある地区名です。長野駅からは約8キロほど北に位置しています。
複数の関係者によると、2010年9月9日に行方をくらませる直前まで、ここ数年間(2008年以降という報道もある)、週末や祝日を挟んでほぼ毎月アジアや欧州などへ渡航を繰り返していたそうです。しかも平日も「出張」と説明して海外へ出かけていたそうです。
渡航先としては、米国や欧州、東南アジアなど広範な地域が挙げられており、これらの国々に潜伏している可能性があるとみられ、1月28日までに長野県警では国際刑事警察機構を通じて同容疑者を国際手配しています。渡航先の具体的な国名としては、米国本土、ハワイ、フランス、韓国、香港、インドネシア、タイ、マカオ、ベトナムと幅広く、このうち香港が最も頻繁だったとか。
また、長野新幹線を利用してしょっちゅう都内に出かけており、都内では知人から「社長」と呼ばれ、元Jリーガーの著名人(ラモスの名前が取り沙汰されている)らを集めては六本木で豪遊していたとされています。同容疑者を「社長」などと呼んでいた都内の知人らは、サカモトと一緒にグループで旅行したこともあるということです。
近隣住民の話では、容疑者の生活は相当派手なものだったそうで、半年から1年ごとに新車を乗り換えていたそうです。地元の10年前の電話帳には同容疑者の名前が掲載されており、住宅地図に載っているそうです。
西三才では平屋の借家住まいをしていて、配偶者がいるようです。報道では、「西三才に住んでいた」と表現しているため、事件発覚後、家人は別の場所に引っ越したようです。
この他、ネット情報によると、前職はパチンコ店だとか、理事長との姻戚関係を取り沙汰たす記述もありますが、真偽は定かではありません。マスコミ報道で、同容疑者の経歴にまったく言及がないため、確認するすべがないからです。仮にこれらの情報が本当であるとすると、韓国への渡航と前職との間に何らかの関係があるかもしれません。
■一方、安中市土地開発公社の元職員タゴが起こした51億円事件を見てみましょう。
タゴには配偶者と子供が二人おり、自宅は安中市役所のすぐ目の前にありました。土地開発公社のあった西庁舎までは、歩いて1分たらずです。庁舎の鍵をもっていたので、休日でもいつでも出勤でき、誰もいない間に自由に偽造書類を作成することができました。
海外渡航についても、グアムとサイパンに会員制のリゾートマンションの利用権を購入して、よく家族で出かけていました。また、中国には骨董の買い付けに、知人らと渡航していることが刑事記録の資料からうかがえます。その時には、おそらく古物商の免許を持っていた金融機関勤めの知人や息子らを通わせていた学習塾の関係者らも同行したものと推察されます。
タゴはパチンコはやりませんでしたが、ギャンブルはもっぱら麻雀と競馬でした。自供によれば約1億円をつぎ込んだと言っていますが、警察で、一緒に競馬やマージャンをしていた市役所の同僚らからも事情聴取をしましたが、きちんとした裏付けが取れなかったため、本当かどうかは疑わしく、使途不明金を減らすために適当に理由をでっちあげていた可能性があります。
タゴは、事件発覚の1995年5月の前年、1994年9月から12月まで、安中市役所のエリート職員として、東京都の広尾にある自治大学校に研修のため派遣されていましたが、そのころ、タゴの懐をあてにしてタゴにたかっていた市議会議員らが、激励と称して上京し、赤坂や六本木でどんちゃん騒ぎをやったことが分かっています。タゴは酒を飲めなかったとされており、もっぱら食べるほう専門だった可能性があります。
また、タゴはお正月には、東京の三越から豪華なおせち料理を取り寄せて家族で祝っていたというエピソードも知られています。
派手な生活ぶりは近所でも有名で、普段から外車を夫婦で乗り回し、都合9台乗り換えたとされています。いくら年収が平均で750万円の市役所の職員とはいえ、正月には100万円もする大島紬の和服を着て地元の新年会に参加するなど、市役所職員の身分で、どうしたらそんなに贅沢な生活ができるのかと不思議がられていました。
また、市役所内でもタゴから骨董品をもらったりしていた職員が相当数おり、なかには飲み屋のツケをいつもタゴに支払わせていた連中もいたことが分かっています。骨董品の湯飲みや、1着数10万円もするスーツなどを見せられて、どうしてそんなことができるのだろうかと不思議に思っていた市役所の関係者は相当いたようですが、「市役所の七不思議」として囁かれただけで、誰も告発をしたものはいませんでした。
タゴ事件では、使途不明金を少なく見せるためにタゴとその関係者は、骨董品に10~12億円以上横領金をつぎ込んだと自供していますが、タゴは古物商の免許を持っていないため、直接骨董品を買い付けることができません。そこで、当時甘楽信用金庫安中支店に勤務していた親友の知人が古物商の免許を持っており、その人物に横領金を預けて、大量に買い付けてもらっていたという経緯があります。しかし、売ったほうはせいぜい4億円だと警察に自供しており、その差は6~8億円もあり、警察が最終的に確定数字として挙げた使途不明金14億4千万円より、実際にはさらに使途不明金は多いと当会では推測しています。
↑中央の2棟がタゴ邸。左手前が信越アステックにより昨年12月1日から今年3月18日まで建設中の安中市消費者センター。右奥が安中市役所。↑
このことから、長野県建設業厚生年金基金を舞台にした24億円横領事件の場合、配偶者や親戚に横領金が渡ったかどうか、六本木などで開いていた豪遊パーティーで知り合った知人らにいくら金が渡ったのか、海外渡航の目的は、ギャンブルなのか、買春ツアーなのか、リゾート地巡りなのか、サッカー観戦なのか、関係者からよく事情を聴取する必要があります。
■次に、不思議なのは、長野県警が事件発覚直後、同基金から当初任意で出された資料を分析したり関係者から任意で事情を聴いて、なぜ4ヵ月半もかかって、ようやく不明金総額が2億円近く多いことが判明したのか、ということです。
同容疑者によって横領されたとみられる不明金問題について、2010年9月の問題発覚後、同基金の独自調査で、不明金が出始めた2006年6月から事件発覚の2010年9月までの4年余りで合計30回以上にわたって引き出された不明金の総額は約21億9千万円に上る、と発表されていました。
ところが、昨年9月11日に同基金から被害の相談を受けた長野県警と長野中央署は捜査を開始し、同基金から任意提出された経理関係書類や、任意で同基金の関係者らから事情を聴取したりして、基金の仕組みや資金管理を一人で担当していた同容疑者の役割などを把握する作業を進めてきた結果、不明金は2005年夏ごろから発生し、総額も約23億8千万円余に膨らむ可能性があることが判明しました。
このような有様ですから、1月25日の同基金への強制捜査で押収した資料を改めて分析すれば、さらに不明金額が増加する可能性もあります。
1月25日のガサ入れの状況について報道によると、前日の1月24日に長野県警捜査2課と長野中央署などが裁判所に捜査令状を請求し、さっそく、翌25日午前に家宅捜査に着手しました。家宅捜索は、午前10時15分にスーツ姿の捜査員10人が同基金事務所が入るビルを訪れ、1時間ほどして捜査員1人が外に出て、捜査車両の中から段ボールの束を下ろし、ビルに運び入れたあと、午後2時半に捜査員が段ボール6箱とプラスチック1箱を運び出して捜査車両に積み込んだことが報じられています。このほか、同日、東京都内の関係先など数カ所でも家宅捜査が実施されました。
基金事務所はさほど広くありませんから、4時間かけて、既に任意提出した資料のほかに、段ボール6箱の資料を吟味して押収したことから、基金事務所の事務に影響を与えるのではないかと思われますが、当会が2月4日に基金事務所を訪れた時は、数名の職員は静かに事務をとっており、資料の押収の影響はさほど見られませんでした。
となると、果たして、新たな証拠による新事実がどの程度見られるのかどうかは、甚だ疑問と言えるかもしれません。
■事件発覚のきっかけになった経緯について、報道された情報によると次のとおりです。
長野建設業協会会員からの年金掛け金は、地元金融機関(八十二銀行などか?)の口座に集めた後、手数料を除いた全額を毎月、運用している生命保険会社に送金することになっていましたが、一部は入金されていませんでした。
なぜなら、2010年8月19日に運用先の生保から同基金に対して、入金不足の指摘があったためです。このことで不明金の存在が浮上し、関東信越厚生局(さいたま市)が同9月2日、7日、10日に計3回の監査をして発覚したのでした。
このときの監査で、事務長のサカモト容疑者は、「掛け金の一部を県建設業協会飯田支部飯田支部に返還し別途管理していた」と説明していました。ところが9月9日には、同容疑者が示した同支部への送金記録「振込受付書」38通が偽造だったことが、同基金の内部調査で判明しました。
同容疑者が最後に同基金事務所に姿を見せたのは、9月9日の朝のことでした。このときは既に隠しきれないと悟っていたのでしょう。同容疑者は、2005年から既に30回ほど、合計約21億円を勝手に引き出していましたが、逃走用資金として、9月7日に6000万円を現金で引き出していたのでした。
報道によれば、同容疑者が行方をくらました9月9日に、同容疑者と会った知人の男性は「多少急いでいる様子はあったが、大きい荷物を持っているわけでもなく、普段と特に変わらなかった。携帯電話も連絡がつかない」と語りました。
知人らによると、同容疑者は9月9日午前9時頃、JR長野駅から長野市南石堂町の同基金事務所近くまでタクシーで移動し(僅か500mそこそこなのに!)、午後1時頃に事務所から再びタクシーで長野駅に向かいました。スーツ姿で、荷物は手提げバッグ一つだけだったそうです。その後、連絡がとれなくなり、同容疑者の家族が9月13日、長野中央署に捜索願を出しました。
■ここで想起されるのは、犯罪の手口が、安中のタゴ51億円事件と共通性があることです。
長野の場合は、掛け金の入金は事務長が1人で行い、通帳や印鑑も管理していました。
安中の場合も、金融機関、とりわけ群馬銀行への入出金は、タゴが1人で行い、通帳や印鑑も管理していました。安中の場合はタゴが特別会計口座を群馬銀行に開設し、伝票を偽造して、ネコババするために水増しした分をそこに振り込ませて、正規の口座分は正規の伝票で数字を合わせて記帳し、見掛け上バレないように配慮していました。
長野の場合には、出金記録は特に不要ですから、運用先の保険会社に振り込んだ正規の金以外の横領分の金額を、同支部への送金記録だとして「振込受付書」なるものを都度偽造し、その数が合計38通に及んでいたことがうかがえます。
だから、サカモト事務長は不明金について県建設業協会飯田支部に振り込み、別途管理させていたと説明したのです。しかし、事務長が入金記録としていた計38枚の「振込受付書」は、金融機関に照会したところ、いずれも偽造で、約21億9千万円分に上る同支部への入金は皆無だったことが分かりました。
■犯行の態様としては、集まった年金掛け金を銀行から保険会社に入金する際に、一部分だけかすめ取ってネコババするわけで、さほど複雑ではありませんが、4年3カ月、つまり51カ月で38回振込受付書を発行していたことになります。
報道によれば、2010年5月末の加入事業所数は377で、加入員は6864人で、同年3月末時点の運用残高は約209億円といいますから、一人当たり、約305万円となります。38回で、約21.9億円をかすめ取っていたとなると、1回あたり平均約7千万円。毎月平均約4300万円をせしめていた勘定になります。1カ月で4300万円を使うことは一般市民にとっては想像もつかない至難の業です。おそらく共犯者がいるはずです。しょっちゅう車を替えていたことから、家族がそうした金の出所をどの程度認識していたかも気になります。
タゴ事件の場合は、配偶者は、安中市役所職員だったタゴから毎月100万円を、「麻雀で稼いだ」だの「競馬で儲けた」だのと説明されたとして、臨時収入として10数年間、総額1億5千万円の横領金を受け取っていながら、何も不思議とは思わなかった、と警察の事情聴取に答えて、お咎めなしとされました。実際には、毎月、金融機関勤務のタゴの友人が自宅に来て、骨董品の品定めに配偶者も立ち会っていたのですから、横領金であることを十分に認識していたはずで、共犯として位置付けられて当然ですが、なぜか警察も検察も不問にしました。
長野の事件でもこの点を県警がどのように判断するのかが注目されます。タゴ事件でも、タゴは銀行から毎週1千万円単位で特別会計口座から金を引き下ろしていましたので、サカモト容疑者も月平均4300万円ということから、タゴと同じような形で巨額の金を費消していたことになります。
同基金は、2010年11月に、サカモト元事務長が基金口座から金を引き出して損害を与えたとして、総額5526万円の損害賠償を求めて提訴しました。2011年1月18日に長野地裁で開いた第1回口頭弁論には、行方不明中のサカモト容疑者は当然出廷するはずもなく、答弁書などの書面も提出しなかったため即日結審し、判決が2月1日に言い渡されました。
この第1回口頭弁論で読み上げられた訴状などによると、前事務長は逃亡を決意した2010年9月7日、長野市内の銀行で、基金名義の口座から1億4478万円を引き出し、「運用する保険会社に全額を振り込んだ」という虚偽の書類を基金の女性職員に作らせました。しかし実際には、引き出したうち8952万円だけを振り込み、保険会社向けにはその額を記した書類を、自分で偽造し、差額の5526万円を着服したとしています。虚偽の書類を基金に見せて発覚を遅らせようとしたもので、前事務長はこの直後に行方不明になりました。
このことから、同容疑者は、いくつかの偽造書類を駆使して、横領を働いていた可能性があります。前述のように、ネコババした金額相当分を県建設業協会飯田支部に戻したとする「振込受付書」と、最後に逃走資金の確保のためを横領した際のように、保険会社に満額を振り込んだようにニセの書類を同基金の女性職員に作成させることができたことから、保険会社からの受取証を自由に偽造できた様子がうかがえます。つまり、保険会社から受取証の無記入の用紙をたくさんもらっていて、偽造書類をいつでも作成できるようにしていた可能性があります。
安中のタゴ事件の場合も、群馬銀行から所定の用紙をたくさんもらっていて、いつでもタゴは偽造書類が用意できる体制を構築していました。
どちらの場合も、金融機関との情報交換を、上司やほかの職員らが怠っており、金融機関側もいくら振り込まれたのかについて、同基金に都度直接報告しなかったことから、ずっと発覚しなかったわけです。
安中市の場合は、タゴのことを有能だと称して15年間も金庫番に配置していました。長野の場合、2005年夏ごろから不明金が発生したということですので、おそらくそのずっと前から事務長をしていたはずです。あるいは同基金の職員として、事務に精通していたと考えるのが妥当かもしれません。
逃走を決意した最後の逃走資金確保目当ての横領で、なぜ引き下ろした全額をネコババしなかったのか、なぜ同基金はその犯行をむざむざ許してしまったのか、解明すべき疑問点は多々あるようです。
しかし、地元以外のマスコミがさっぱりこの事件を取り上げようとしないのは、タゴ事件と同じで、事件の背後にある何かが感じられます。
■同基金では、昨年9月の不明金発覚を契機に、11月1日、理事会を開き、2003年春から不在の常務理事に前県建設業協会業務部長(66)を選任しました。これだけ巨額の不祥事発覚にもかかわらず、敢えて火中のクリを拾うことをいとわず就任した勇気は立派ですが、今年1月25日の警察の捜索後、常務理事は地元マスコミの取材に「話せることは何もない」としか語れないのは、いろいろな事情があることをうかがわせます。
容疑者は、不明金発覚後の2010年9月9日午前、県建設業協会の役員に「東京に行く」と言って事務所を出ており、逃亡の恐れがあるのに、同基金の役員はみすみす見逃してしまっています。こうしたことも、同基金の特殊な事情をうかがわせます。
県警はすでに、容疑者を国内外で指名手配にかけ、出入国の記録も照会して現在照合しているので、国内に潜伏しているか、海外に高飛びしたかは間もなく判明するものと思われます。しかし、そのことをいつ公表するのかどうかについても注目したいと思います。
また、残りの約23億円に上るとみられる不明金についても、同基金が容疑者に賠償を求める訴訟を起こせるかどうかも注目に値します。
同基金名義の通帳を容疑者が一人で管理していたとすれば、通常であれば金融機関側もすぐにそのことを指摘するはずですので、この点についても金融機関側が容疑者と何らかのかかわりを持っていた可能性もあり、こうした事情をもとに、同基金が金融機関に対して説明を求めるかどうかについても関心が高まります。
そして、最終的に容疑者が逮捕されて不明金の責任の所在が明らかにされ、責任者による自弁ができないとなると、被害にあった長野県建設業協会の加盟会社から、善管注意義務違反、忠実義務違反等で、同基金の元理事長、現理事長、常務理事らへの損害賠償請求が起こされる可能性も指摘されます。
■いずれにせよ、こうした巨額の横領事件が、たった一人の犯行と考えるのは不自然であることは安中のタゴ51億円事件でも証明済みです。にもかかわらず、長野の事件も単独犯行だとして幕引きがされるのかどうか、今後の展開を見守りたいと思います。
【ひらく会情報部】
元事務長(報道機関によっては「前事務長」ともいう)の普段からの素行については、マスコミ報道を見ても実に情報量が少なく、地元の信濃毎日新聞以外、長野県外の報道機関は殆んど報じていません。
その僅かな報道からサカモト容疑者の普段の私生活をチェックしてみましょう。
■同容疑者は、長野市西三才(にしさんさい)に住んでいたようです。西三才というのは、新幹線停車駅でもある長野駅から2つ目の三才駅の西側にある地区名です。長野駅からは約8キロほど北に位置しています。
複数の関係者によると、2010年9月9日に行方をくらませる直前まで、ここ数年間(2008年以降という報道もある)、週末や祝日を挟んでほぼ毎月アジアや欧州などへ渡航を繰り返していたそうです。しかも平日も「出張」と説明して海外へ出かけていたそうです。
渡航先としては、米国や欧州、東南アジアなど広範な地域が挙げられており、これらの国々に潜伏している可能性があるとみられ、1月28日までに長野県警では国際刑事警察機構を通じて同容疑者を国際手配しています。渡航先の具体的な国名としては、米国本土、ハワイ、フランス、韓国、香港、インドネシア、タイ、マカオ、ベトナムと幅広く、このうち香港が最も頻繁だったとか。
また、長野新幹線を利用してしょっちゅう都内に出かけており、都内では知人から「社長」と呼ばれ、元Jリーガーの著名人(ラモスの名前が取り沙汰されている)らを集めては六本木で豪遊していたとされています。同容疑者を「社長」などと呼んでいた都内の知人らは、サカモトと一緒にグループで旅行したこともあるということです。
近隣住民の話では、容疑者の生活は相当派手なものだったそうで、半年から1年ごとに新車を乗り換えていたそうです。地元の10年前の電話帳には同容疑者の名前が掲載されており、住宅地図に載っているそうです。
西三才では平屋の借家住まいをしていて、配偶者がいるようです。報道では、「西三才に住んでいた」と表現しているため、事件発覚後、家人は別の場所に引っ越したようです。
この他、ネット情報によると、前職はパチンコ店だとか、理事長との姻戚関係を取り沙汰たす記述もありますが、真偽は定かではありません。マスコミ報道で、同容疑者の経歴にまったく言及がないため、確認するすべがないからです。仮にこれらの情報が本当であるとすると、韓国への渡航と前職との間に何らかの関係があるかもしれません。
■一方、安中市土地開発公社の元職員タゴが起こした51億円事件を見てみましょう。
タゴには配偶者と子供が二人おり、自宅は安中市役所のすぐ目の前にありました。土地開発公社のあった西庁舎までは、歩いて1分たらずです。庁舎の鍵をもっていたので、休日でもいつでも出勤でき、誰もいない間に自由に偽造書類を作成することができました。
海外渡航についても、グアムとサイパンに会員制のリゾートマンションの利用権を購入して、よく家族で出かけていました。また、中国には骨董の買い付けに、知人らと渡航していることが刑事記録の資料からうかがえます。その時には、おそらく古物商の免許を持っていた金融機関勤めの知人や息子らを通わせていた学習塾の関係者らも同行したものと推察されます。
タゴはパチンコはやりませんでしたが、ギャンブルはもっぱら麻雀と競馬でした。自供によれば約1億円をつぎ込んだと言っていますが、警察で、一緒に競馬やマージャンをしていた市役所の同僚らからも事情聴取をしましたが、きちんとした裏付けが取れなかったため、本当かどうかは疑わしく、使途不明金を減らすために適当に理由をでっちあげていた可能性があります。
タゴは、事件発覚の1995年5月の前年、1994年9月から12月まで、安中市役所のエリート職員として、東京都の広尾にある自治大学校に研修のため派遣されていましたが、そのころ、タゴの懐をあてにしてタゴにたかっていた市議会議員らが、激励と称して上京し、赤坂や六本木でどんちゃん騒ぎをやったことが分かっています。タゴは酒を飲めなかったとされており、もっぱら食べるほう専門だった可能性があります。
また、タゴはお正月には、東京の三越から豪華なおせち料理を取り寄せて家族で祝っていたというエピソードも知られています。
派手な生活ぶりは近所でも有名で、普段から外車を夫婦で乗り回し、都合9台乗り換えたとされています。いくら年収が平均で750万円の市役所の職員とはいえ、正月には100万円もする大島紬の和服を着て地元の新年会に参加するなど、市役所職員の身分で、どうしたらそんなに贅沢な生活ができるのかと不思議がられていました。
また、市役所内でもタゴから骨董品をもらったりしていた職員が相当数おり、なかには飲み屋のツケをいつもタゴに支払わせていた連中もいたことが分かっています。骨董品の湯飲みや、1着数10万円もするスーツなどを見せられて、どうしてそんなことができるのだろうかと不思議に思っていた市役所の関係者は相当いたようですが、「市役所の七不思議」として囁かれただけで、誰も告発をしたものはいませんでした。
タゴ事件では、使途不明金を少なく見せるためにタゴとその関係者は、骨董品に10~12億円以上横領金をつぎ込んだと自供していますが、タゴは古物商の免許を持っていないため、直接骨董品を買い付けることができません。そこで、当時甘楽信用金庫安中支店に勤務していた親友の知人が古物商の免許を持っており、その人物に横領金を預けて、大量に買い付けてもらっていたという経緯があります。しかし、売ったほうはせいぜい4億円だと警察に自供しており、その差は6~8億円もあり、警察が最終的に確定数字として挙げた使途不明金14億4千万円より、実際にはさらに使途不明金は多いと当会では推測しています。
↑中央の2棟がタゴ邸。左手前が信越アステックにより昨年12月1日から今年3月18日まで建設中の安中市消費者センター。右奥が安中市役所。↑
このことから、長野県建設業厚生年金基金を舞台にした24億円横領事件の場合、配偶者や親戚に横領金が渡ったかどうか、六本木などで開いていた豪遊パーティーで知り合った知人らにいくら金が渡ったのか、海外渡航の目的は、ギャンブルなのか、買春ツアーなのか、リゾート地巡りなのか、サッカー観戦なのか、関係者からよく事情を聴取する必要があります。
■次に、不思議なのは、長野県警が事件発覚直後、同基金から当初任意で出された資料を分析したり関係者から任意で事情を聴いて、なぜ4ヵ月半もかかって、ようやく不明金総額が2億円近く多いことが判明したのか、ということです。
同容疑者によって横領されたとみられる不明金問題について、2010年9月の問題発覚後、同基金の独自調査で、不明金が出始めた2006年6月から事件発覚の2010年9月までの4年余りで合計30回以上にわたって引き出された不明金の総額は約21億9千万円に上る、と発表されていました。
ところが、昨年9月11日に同基金から被害の相談を受けた長野県警と長野中央署は捜査を開始し、同基金から任意提出された経理関係書類や、任意で同基金の関係者らから事情を聴取したりして、基金の仕組みや資金管理を一人で担当していた同容疑者の役割などを把握する作業を進めてきた結果、不明金は2005年夏ごろから発生し、総額も約23億8千万円余に膨らむ可能性があることが判明しました。
このような有様ですから、1月25日の同基金への強制捜査で押収した資料を改めて分析すれば、さらに不明金額が増加する可能性もあります。
1月25日のガサ入れの状況について報道によると、前日の1月24日に長野県警捜査2課と長野中央署などが裁判所に捜査令状を請求し、さっそく、翌25日午前に家宅捜査に着手しました。家宅捜索は、午前10時15分にスーツ姿の捜査員10人が同基金事務所が入るビルを訪れ、1時間ほどして捜査員1人が外に出て、捜査車両の中から段ボールの束を下ろし、ビルに運び入れたあと、午後2時半に捜査員が段ボール6箱とプラスチック1箱を運び出して捜査車両に積み込んだことが報じられています。このほか、同日、東京都内の関係先など数カ所でも家宅捜査が実施されました。
基金事務所はさほど広くありませんから、4時間かけて、既に任意提出した資料のほかに、段ボール6箱の資料を吟味して押収したことから、基金事務所の事務に影響を与えるのではないかと思われますが、当会が2月4日に基金事務所を訪れた時は、数名の職員は静かに事務をとっており、資料の押収の影響はさほど見られませんでした。
となると、果たして、新たな証拠による新事実がどの程度見られるのかどうかは、甚だ疑問と言えるかもしれません。
■事件発覚のきっかけになった経緯について、報道された情報によると次のとおりです。
長野建設業協会会員からの年金掛け金は、地元金融機関(八十二銀行などか?)の口座に集めた後、手数料を除いた全額を毎月、運用している生命保険会社に送金することになっていましたが、一部は入金されていませんでした。
なぜなら、2010年8月19日に運用先の生保から同基金に対して、入金不足の指摘があったためです。このことで不明金の存在が浮上し、関東信越厚生局(さいたま市)が同9月2日、7日、10日に計3回の監査をして発覚したのでした。
このときの監査で、事務長のサカモト容疑者は、「掛け金の一部を県建設業協会飯田支部飯田支部に返還し別途管理していた」と説明していました。ところが9月9日には、同容疑者が示した同支部への送金記録「振込受付書」38通が偽造だったことが、同基金の内部調査で判明しました。
同容疑者が最後に同基金事務所に姿を見せたのは、9月9日の朝のことでした。このときは既に隠しきれないと悟っていたのでしょう。同容疑者は、2005年から既に30回ほど、合計約21億円を勝手に引き出していましたが、逃走用資金として、9月7日に6000万円を現金で引き出していたのでした。
報道によれば、同容疑者が行方をくらました9月9日に、同容疑者と会った知人の男性は「多少急いでいる様子はあったが、大きい荷物を持っているわけでもなく、普段と特に変わらなかった。携帯電話も連絡がつかない」と語りました。
知人らによると、同容疑者は9月9日午前9時頃、JR長野駅から長野市南石堂町の同基金事務所近くまでタクシーで移動し(僅か500mそこそこなのに!)、午後1時頃に事務所から再びタクシーで長野駅に向かいました。スーツ姿で、荷物は手提げバッグ一つだけだったそうです。その後、連絡がとれなくなり、同容疑者の家族が9月13日、長野中央署に捜索願を出しました。
■ここで想起されるのは、犯罪の手口が、安中のタゴ51億円事件と共通性があることです。
長野の場合は、掛け金の入金は事務長が1人で行い、通帳や印鑑も管理していました。
安中の場合も、金融機関、とりわけ群馬銀行への入出金は、タゴが1人で行い、通帳や印鑑も管理していました。安中の場合はタゴが特別会計口座を群馬銀行に開設し、伝票を偽造して、ネコババするために水増しした分をそこに振り込ませて、正規の口座分は正規の伝票で数字を合わせて記帳し、見掛け上バレないように配慮していました。
長野の場合には、出金記録は特に不要ですから、運用先の保険会社に振り込んだ正規の金以外の横領分の金額を、同支部への送金記録だとして「振込受付書」なるものを都度偽造し、その数が合計38通に及んでいたことがうかがえます。
だから、サカモト事務長は不明金について県建設業協会飯田支部に振り込み、別途管理させていたと説明したのです。しかし、事務長が入金記録としていた計38枚の「振込受付書」は、金融機関に照会したところ、いずれも偽造で、約21億9千万円分に上る同支部への入金は皆無だったことが分かりました。
■犯行の態様としては、集まった年金掛け金を銀行から保険会社に入金する際に、一部分だけかすめ取ってネコババするわけで、さほど複雑ではありませんが、4年3カ月、つまり51カ月で38回振込受付書を発行していたことになります。
報道によれば、2010年5月末の加入事業所数は377で、加入員は6864人で、同年3月末時点の運用残高は約209億円といいますから、一人当たり、約305万円となります。38回で、約21.9億円をかすめ取っていたとなると、1回あたり平均約7千万円。毎月平均約4300万円をせしめていた勘定になります。1カ月で4300万円を使うことは一般市民にとっては想像もつかない至難の業です。おそらく共犯者がいるはずです。しょっちゅう車を替えていたことから、家族がそうした金の出所をどの程度認識していたかも気になります。
タゴ事件の場合は、配偶者は、安中市役所職員だったタゴから毎月100万円を、「麻雀で稼いだ」だの「競馬で儲けた」だのと説明されたとして、臨時収入として10数年間、総額1億5千万円の横領金を受け取っていながら、何も不思議とは思わなかった、と警察の事情聴取に答えて、お咎めなしとされました。実際には、毎月、金融機関勤務のタゴの友人が自宅に来て、骨董品の品定めに配偶者も立ち会っていたのですから、横領金であることを十分に認識していたはずで、共犯として位置付けられて当然ですが、なぜか警察も検察も不問にしました。
長野の事件でもこの点を県警がどのように判断するのかが注目されます。タゴ事件でも、タゴは銀行から毎週1千万円単位で特別会計口座から金を引き下ろしていましたので、サカモト容疑者も月平均4300万円ということから、タゴと同じような形で巨額の金を費消していたことになります。
同基金は、2010年11月に、サカモト元事務長が基金口座から金を引き出して損害を与えたとして、総額5526万円の損害賠償を求めて提訴しました。2011年1月18日に長野地裁で開いた第1回口頭弁論には、行方不明中のサカモト容疑者は当然出廷するはずもなく、答弁書などの書面も提出しなかったため即日結審し、判決が2月1日に言い渡されました。
この第1回口頭弁論で読み上げられた訴状などによると、前事務長は逃亡を決意した2010年9月7日、長野市内の銀行で、基金名義の口座から1億4478万円を引き出し、「運用する保険会社に全額を振り込んだ」という虚偽の書類を基金の女性職員に作らせました。しかし実際には、引き出したうち8952万円だけを振り込み、保険会社向けにはその額を記した書類を、自分で偽造し、差額の5526万円を着服したとしています。虚偽の書類を基金に見せて発覚を遅らせようとしたもので、前事務長はこの直後に行方不明になりました。
このことから、同容疑者は、いくつかの偽造書類を駆使して、横領を働いていた可能性があります。前述のように、ネコババした金額相当分を県建設業協会飯田支部に戻したとする「振込受付書」と、最後に逃走資金の確保のためを横領した際のように、保険会社に満額を振り込んだようにニセの書類を同基金の女性職員に作成させることができたことから、保険会社からの受取証を自由に偽造できた様子がうかがえます。つまり、保険会社から受取証の無記入の用紙をたくさんもらっていて、偽造書類をいつでも作成できるようにしていた可能性があります。
安中のタゴ事件の場合も、群馬銀行から所定の用紙をたくさんもらっていて、いつでもタゴは偽造書類が用意できる体制を構築していました。
どちらの場合も、金融機関との情報交換を、上司やほかの職員らが怠っており、金融機関側もいくら振り込まれたのかについて、同基金に都度直接報告しなかったことから、ずっと発覚しなかったわけです。
安中市の場合は、タゴのことを有能だと称して15年間も金庫番に配置していました。長野の場合、2005年夏ごろから不明金が発生したということですので、おそらくそのずっと前から事務長をしていたはずです。あるいは同基金の職員として、事務に精通していたと考えるのが妥当かもしれません。
逃走を決意した最後の逃走資金確保目当ての横領で、なぜ引き下ろした全額をネコババしなかったのか、なぜ同基金はその犯行をむざむざ許してしまったのか、解明すべき疑問点は多々あるようです。
しかし、地元以外のマスコミがさっぱりこの事件を取り上げようとしないのは、タゴ事件と同じで、事件の背後にある何かが感じられます。
■同基金では、昨年9月の不明金発覚を契機に、11月1日、理事会を開き、2003年春から不在の常務理事に前県建設業協会業務部長(66)を選任しました。これだけ巨額の不祥事発覚にもかかわらず、敢えて火中のクリを拾うことをいとわず就任した勇気は立派ですが、今年1月25日の警察の捜索後、常務理事は地元マスコミの取材に「話せることは何もない」としか語れないのは、いろいろな事情があることをうかがわせます。
容疑者は、不明金発覚後の2010年9月9日午前、県建設業協会の役員に「東京に行く」と言って事務所を出ており、逃亡の恐れがあるのに、同基金の役員はみすみす見逃してしまっています。こうしたことも、同基金の特殊な事情をうかがわせます。
県警はすでに、容疑者を国内外で指名手配にかけ、出入国の記録も照会して現在照合しているので、国内に潜伏しているか、海外に高飛びしたかは間もなく判明するものと思われます。しかし、そのことをいつ公表するのかどうかについても注目したいと思います。
また、残りの約23億円に上るとみられる不明金についても、同基金が容疑者に賠償を求める訴訟を起こせるかどうかも注目に値します。
同基金名義の通帳を容疑者が一人で管理していたとすれば、通常であれば金融機関側もすぐにそのことを指摘するはずですので、この点についても金融機関側が容疑者と何らかのかかわりを持っていた可能性もあり、こうした事情をもとに、同基金が金融機関に対して説明を求めるかどうかについても関心が高まります。
そして、最終的に容疑者が逮捕されて不明金の責任の所在が明らかにされ、責任者による自弁ができないとなると、被害にあった長野県建設業協会の加盟会社から、善管注意義務違反、忠実義務違反等で、同基金の元理事長、現理事長、常務理事らへの損害賠償請求が起こされる可能性も指摘されます。
■いずれにせよ、こうした巨額の横領事件が、たった一人の犯行と考えるのは不自然であることは安中のタゴ51億円事件でも証明済みです。にもかかわらず、長野の事件も単独犯行だとして幕引きがされるのかどうか、今後の展開を見守りたいと思います。
【ひらく会情報部】