市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

炉心溶融にもかかわらず歯切れの悪い説明に終始する政府や東電

2011-03-13 13:25:00 | 前橋Biomass発電問題・東電福一事故・東日本大震災
■津波に襲われた東電の福島原発で、とんでもない事態が次々に起きています。セシウムが原発の外で検出され、むき出しになった燃料棒が高温になり、燃料ペレットが融けだすという炉心溶融にまで至ってしまい、ついに政府と東電は、福島第1原発の1号機に廃炉を覚悟で海水注入を決断しました。しかし、その後、いくら海水を注入しても、高温で蒸発してしまい、ますます高温になった炉心を冷やすには至っていません。

 今後、本格的な炉心溶融に至り炉がメルトダウンして、チェルノブイリの二の舞になるのか、それとも、大量の海水注入が勝り沈静化するのか、予断を許しません。

 最悪のシナリオも心配ですが、現時点で一番不安なのは、昨晩から今朝にかけての政府や東電関係の専門家と称する方々の説明が、極めて歯切れが悪いことです。

 マスコミの記者たちは、原子力に関する知識はないかもしれませんが、我々一般市民と同じ目線で、不安事項を質問していました。ところが、その単純で重要な質問に対して真正面から回答しないのです。

 さすがにそれでは余計不安の増長につながると思ったのか、今朝の未明の記者会見では経産省の役人が技術者にとってかわり、縦板に水の説明をしました。しかし、役人の滑らかな説明を聞くと、余計心配になります。

■今回、福島原発が第1、第2とも軒並み冷却システムが働かず、非常用発電設備が起動しなかったのは、あきらかに津波をかぶって、電気系統にダメージを受けたためです。津波をかぶった時点で、非常用のポンプや電源の確保に最大限の努力をしなければならないのに、なぜぐずぐずしていたか、疑問です。危機対策ができていなかったことになりますが、いまさら、そうした釈明をするより、一刻もはやく対策をとらなければなりません。

 先ほど(3月12日)の午前のニュースでは、3号機も冷却装置が停止し、1号機と同じ危険状態に陥ったことが報じられました。どうやら津波で冷却装置や制御システムの電気系統が全部やられてしまい、手の付けようがなくなったのが現状のようです。

■一刻もはやく、最悪のシナリオを想定して、いかにそれに対処すべきかを周辺住民はもとより、日本国民に正確に伝える必要があります。また、IAEAなどの原子力に関する国際機関や原子力にくわしい他国のアドバイスも素直に受け入れる体制づくりが急務です。

 しかし、そうした非常事態にもかかわらず、政府はあいかわらず「想定の範囲内」を繰り返すだけで、情報の隠匿姿勢が払しょくされていないのが気にかかります。

■政府は、国民に無用なパニックを起こしてはならない、と情報操作の妥当性を主張するでしょうが、チェルノブイリで、旧ソ連政府が当時の自国民(現・ウクライナ国民)に半月ほど事実をしらせなかったため、広範囲で人々が被ばくし、外部に漏れた大量の放射性物質が拡散し、世界的な悪影響を引き起こしたのでした。その教訓を、日本は十分肝に銘じなければなりません。

 おそらく、水面下ではとんでもない事態が進行している可能性があります。巷ではいろいろな情報が飛び交っています。そうした不安や恐怖を払しょくするためにも、正確な情報公開と、対応策の公表が不可欠です。

 来週、火曜日には天候が下り坂になり、雨が降る可能性があるので、心配です。早急に一般市民に、雨天時にはなるべく外に出ないとか、肌を雨にさらさないなど、迅速で確かなアドバイスが必要です。

■すくなくとも、海水を注入し続ける限り蒸発したガスは大気中に放出し続けなければならないはずです。既に、どんどん大気中に放射性物質が放出されているはずですので、それらがどのような形で周辺に降り積もり、風向きによってどのように運ばれるのか、早期にモニタリング体制を広範囲に取る必要があります。

 外部に放出された放射性物質が、既に周辺に降り注ぎ、農産物に降りかかっているのであればその状況を公表しなければなりません。また、風で広範囲に拡散しているのであれば、内部被ばくを避けるためにマスクの着用を命じたり、水源地に降った雨の放射性物質の測定体勢など、必要な対策を講じなければならないはずです。

 今後の日本の将来を左右する非常事態なのですから、早急に、なんでも非公開にしたがる役所の体質をあらためてもらいたいものです。

【ひらく会情報部】

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東北地方太平洋沖地震のもうひとつの被害・・・帰宅難民族を待ち受けていた地震発生翌日の受難と苦行

2011-03-13 01:54:00 | 前橋Biomass発電問題・東電福一事故・東日本大震災
■2011年3 月 11 日午後 2 時 46 分ごろ、マグニチュード 8.8(米国の研究機関の発表では8.9) の記録的な太地震が東北地方太平洋沖で発生し、停電や火災、津波などの被害が拡大している様子が、マスコミなどで報じられ、悲惨な状況が次第に明らかになっています。

 地震の震源地から350キロ程度離れた首都圏でも、震度5強の強い揺れが繰り返し襲いました。そのため、公共交通機関はいずれもストップしてしまい、帰宅しようとしても帰宅できない帰宅困難者、いわゆる「帰宅難民」が大量に発生しました。


ものものしい上野駅の入場規制。
 政府はいち早くこの事態を慮ったのでしょう。11日の午後5時ごろ、枝野官房長官が記者会見し、首都圏在住者に「徒歩等で無理に帰宅せず、職場等の安全な場所で待機してほしい」と述べました。同官房長官は、「首都圏の交通機関について、現時点で復旧のメドが立っていない。歩道が満員になる。自動車も渋滞して動かなくなる。食料、水、トイレに困惑されるケースが想定される。交通機関に関する情報はテレビ、ラジオ等で把握してほしい」と語りました。

 こうして、今回の地震による鉄道運休や道路渋滞など交通網のマヒで、都内では11月12日未明、帰宅の足を奪われた10万人以上の人たちが避難所やターミナル駅などで夜を明かしました。この他、急遽近くのホテル等に宿泊した人や事務所に戻った人も多数おり、その合計は、20万人以上にのぼったと思われます。

 実際には、3時間かけて徒歩で自宅に戻った人や、当初は帰宅をあきらめたが11日の午後11時ごろから、順次運転再開を果たした私鉄の利用の通勤者は思い直して駅に出向き、首尾よく自宅に翌日未明にたどりついた人もかなりいました。

 しかし、もっとも人数のおおいJRを通勤に利用している人たちは、翌日午前7時ごろから運転再開予定とするJRの説明を信じて、じっと避難所やターミナル駅、駅近くのホテルなどで一夜を明かしたのでした。とくに、高崎から新幹線通勤をしている約1万人の通勤通学者は、「上越・長野新幹線:12日の運転再開のめどたたず」「高崎線:午前7時ごろから運転予定」というJRの説明をよりどころにしたのでした。ところが、JRの説明を信じた群馬県の長距離通勤の帰宅難民に、12日の朝からとんでもない受難が待ち受けていたのでした。


上野駅の張り紙。<記載内容>3月12日(土)の首都圏の運転計画。○7時頃より運転再開見込み(3割~5割程度の運転) ・・(略)・・高崎線(全線)・・(略)・・ ※新幹線については、3月12日3時59分に発生した長野北部震度6強も含めて、東北・山形・秋田・上越・長野の全ての新幹線で運転再開の見込みが立っておりません。※在来線特急列車については、大幅な運休が出る見込みです。◎なお、時間経過とともに情報は変わります。最新の注意を払うとともに、あらかじめご了承ください。

■新幹線が全く動きそうもないため、いち早く運転再開をした京浜東北線や埼京線を利用して大宮まで先に行き、そこから運転再開する高崎線にのろうという帰宅難民者もいましたが、ほとんどの人は、高崎線始発の列車に乗ろうと、上野駅に殺到しました。

 また、「午前7時から運転再開するが、本数は通常の3割から5割程度」というJRの説明をもとに、「最初は込むだろうから、10時過ぎになってからのほうが、待ち時間が少なくて済むだろう」と考えた人もたくさんいました。

■いちはやく午前7時に運転再開予定の高崎線に乗ろうとした人は、確実を期するために始発の上野駅に集まりました。一方、いち早く運転開催した京浜東北線を利用していけるところまで行こうとする人や、新宿方面から埼玉県や群馬県に帰宅しようとする帰宅難民者は、大宮に集まりました。

 ところが、両方とも問題があり、上野駅も大宮駅も大変な状況になっていたのです。

■一番の問題は、政府がいち早く3月11日夕方5時には前述のように帰宅難民に「無理して帰るな」と記者会見で宣告したため、JR東日本が、運転再開の努力をあきらめて、さっさと3月12日に運転再開という姿勢になったことです。私鉄各社は歯を食いしばって、「大切な利用客を帰宅難民にしてはならない」とばかりに線路や架線の点検を急ぎ、周夜運転の体勢を整え、11日の午後9時から11時にかけて運転再開を果たしました。

 一方、JR東日本は高崎線については「12日の午前7時に運転再開するが、本数は通常の3割から5割程度」と発表しただけでした。

■大宮駅に11時45分ごろ到着した人は、ホームやコンコースに溢れる帰宅難民らに圧倒されました。それでも12時過ぎに「3ドア15両編成」の高崎行き普通列車が来るというので、8番線のホームに3列に並んでじっと待っていました。ところが、上野を出発した列車が、赤羽駅でプラットホームから乗客が転落するなどのハプニングや、途中、安全運転と称してノロノロ運転をしたため、それらの情報を伝える駅のアナウンスを聞きながら大宮駅に到着する時間が13時ごろになりそうだと思っていました。


1時間に1本来るか来ないかの高崎線下りホーム。

 その矢先、「現在、列車は満員状態という報告が入っています。列の後ろの人は乗れないかもしれません。あらかじめご了承ください」という繰り返しのフレーズに続けて「現在、高崎線の列車は、浦和駅からさいたま新都心駅の間を安全運転で走行しています。なお、列車は10両編成です」というアナウンスが流れたのです。


突然「15両編成」が「10両編成」に変わったため呆然とするホームの乗客。

 「えっ、たしかに「15両だといったはずなのに」と皆首をかしげながらも、15両編成の1号車から5号車の表示板のところに並んでいた人たちの大半は、急いでホームの中央に殺到しました。無理もありません。中には、熊谷駅で降りて、午後2時に火葬場に行かなければならないという人もいたのですから。


必死で高崎行きの列車を待つ乗客のみなさん。

 また、同じプラットホームの9番線には、宇都宮線の下り列車が止まっていましたが、12時45分になりようやく、レールや架線の点検が終わり安全性が確認されたとして、初めて運行再開されるとのアナウンスがあり、こちらに乗ろうとする乗客らも狭いホームを右往左往していました。

■他方、あまり先を急がない一部の帰宅難民は、「1時間も待たされて、満員の列車に乗れるか乗れないかもわからないのでは心配だから、いっそ、始発駅の上野駅から乗車したほうが確実かもしれない」と考えて、10分程度の間隔で運転されている京浜東北線に乗って午後1時10分前に、上野駅に向かいました。ところが、午後1時半に上野駅で降りたとたん、駅構内の異様な光景に度肝を抜かれたのでした。


 なんと、たくさんのテープが張りめぐらされており、ものすごい数の乗客が幾つもの列を作り、並んでいるのです。上野公園側の正面改札口は、「POLICE」の袢纏のようなユニフォームを羽織った何十人もの警察官がずらりとならび、改札口の前のコンコースに駅には入れない夥しい数の乗客が、行き先ごとに並ばされていたのでした。もうひとつの不忍改札口も同様に改札口で乗車規制をしていたようです。


 いったいなにがどうなっているのか分からなかったので、近くにいた警察官に「高崎に行きたい」というと、「あそこにプラカードを持ったのがいるので、宇都宮線と高崎線はあそこが最後尾だよ」と教えてくれました。


 それから、並ぶこと約1時間。その間繰り返しアナウンスがありました。それによると「常磐線は取手まで運行しており、1時間に1本から2本の列車のペース」ですが、「高崎線や宇都宮線は1時間に1本」ということで、JR東日本が事前にネットで広報していた「普通の3割から5割程度の本数」とはだいぶ違う内容の説明です。




 整列案内をしていた「POLICE」と書かれたユニホーム袢纏を着た私服の警察官に、乗客でごったがえす大宮駅の状況を説明しましたが、休日返上してJRに駆り出された警察もさぞ迷惑なことでしょう。とはいえ、なぜか嬉々とした表情を見せていたので、案外、楽しんでいたのかもしれません。

本日は、高崎線は5番線と6番線が専用の出発ホームとなっている。

■ようやく午後2時37分に上野駅を出発する高崎行きに乗ることができました。とはいっても、既に満員状態で、最後にギリギリで無理やり入れさせてもらった次第です。


ようやく上野駅を出発。

 車内はぎゅー詰めで、立錐の余地もなく、おそらく乗車率は250%を超えていたと想われます。にもかかわらず、列車は尾久駅、赤羽駅、浦和駅、さいたま新都心駅に停車するたびに、さらに乗車率を増やしてゆき、午後3時15分ごろ大宮駅に着きました。そこでは、何人かが下車しましたが、その数倍の人がなだれ込んできました。皆、必死で中に入ろうとします。「中のほう、詰めてくださーい」と入り口で叫ぶ人。中から、苦しそうな声で「もう、これ以上無理でーす」と声が飛び交いました。それでも、たくさんの人がホームに取り残されてしまいました。


運転本数について相変わらず「普段の3割~5割程度」と表現している。

 高崎行きの列車はその後も、ゆっくりした速度で各駅に停車しながら高崎に向かいました。鴻巣を過ぎると少しは空間が生じましたが、籠原駅でまたスシ詰め状態となりました。乗り込んできた乗客の話では、「高崎行きに乗ろうと思ったが、籠原行きが来たので、できるだけ早く高崎に向かったほうがよいと思って乗った。15分くらい籠原で待っていた」とのことです。

 上野から乗った別の帰宅難民の男性の話では、「昨晩はずっと上野駅で待っていたが、一向に運転再開しそうもないため、近くのビジネスホテルに宿泊しようとした。しかし、既に他の人も殺到していて30番目くらいに予約待ちだったが、予約をしていた客が来られずにキャンセルが相次いだので、なんとか泊まれた。しかし、風呂も使えないうえに、1万7千円もボラれた。今日は12時までチェックアウト時間が延ばせると言われたが、テレビを見てたらJR東日本が『高崎線は午前7時に運転再開する』というので、午前7時ごろ上野駅に行ったら、既に長蛇の列だった」そうです。

 他の乗客にもインタビューしてみましたが、いずれも帰宅難民で、朝一番に上野駅に行き、既に8時間あまり経過しているので、いまだにスシ詰め状態の車内で立ちつくし、ウンザリという表情でした。

■ところが、JR東日本では、そのような帰宅難民の置かれた実情にはシランプリ。相変わらず、ときどき駅の手前でストップし、安全確認中だとアナウンス。挙句の果てには、籠原駅で前の列車に乗っていた乗客が乗り換えてから、「いざ高崎に向けて出発!」と思いきや、5分経過してもなかなか出発のアナウンスがないため、窮屈な社内で乗客らは「いったいどうしたんだろう」といぶかしく思っていたところ、「お待たせして申し訳ありません、現在、交代の運転手がいないため、現在さがしています」という車掌のアナウンスが飛び出し、車内は苦笑の渦に包まれました。

新町駅でホームの発車ボタンを押す車掌。

 さらに15分ほど待たされた後、ようやく、息を切らした車掌の声で「お待たせしました。今から発車します」となりましたが、電車はその後も、深谷駅でも「確認待ち」、高崎駅の手前でも「一時停止」など、やたらと理由不明のアナウンスとストップがかかり、結局、上野駅を発車後、2時間半かかって、午後5時5分に高崎駅に到着しました。

 こうして、高崎への帰宅難民となった数千人は、地震発生の翌日の3月12日にも、受難の一日に見舞われたのでした。

■なぜJR東日本は、いい加減な情報を流すのでしょうか。中途半端な準備であれば、そのようにきちんと広報活動をしてほしいものです。どうやらJRは、早々に帰宅をギブアップするように勧告した政府方針に便乗して、即日の運行再開のための努力をギブアップし、非番の運転手に出勤を命ずつこともなく、列車の本数を増やす努力を怠ったのです。レールや架線、踏切の安全点検はもちろん最も重要ですが、地震発生直後に点検し万全を期して対応した私鉄各社に比べ、JR東日本の親方日の丸主義による怠慢ぶりが際立ちます。


驚いたことに車掌が2名いた。

 我が国観測史上最大の地震で未曾有の津波による大震災が発生したのですから、首都圏に毎朝晩、通勤でJRを利用してもらっている人たちに対しても、緊急対応をしなければならないのに、このような不親切な仕打ちをしたことを少しでも反省してもらわなければなりません。

折返し列車として午後5時7分発の上野行き。

 そこで、当会では、高崎駅の福島助役やグリーンカウンターの大野顧問にも上記の顛末を通報しておき再発防止を強く要望しておきました。


■震災に被災した方々の恐怖と苦悩に比べれば、取るに足らないことですが、地震に対して脆弱なJR東日本の体質がよくわかる出来事です。




【ひらく会情報部】

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