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穏やかな日々を

濃厚で豊かな時間 胃ろう付けた母との日々 「私たちの最期は」「ともに考える」漫画家・岡野雄一さん

2017年04月16日 01時00分38秒 | 
濃厚で豊かな時間 胃ろう付けた母との日々 「私たちの最期は」「ともに考える」漫画家・岡野雄一さん
2017年4月13日 (木)配信共同通信社

 漫画「ペコロスの母に会いに行く」で描いた母光江(みつえ)は2014年に91歳で亡くなった。老衰だった。認知症の症状が出始めたのは父が亡くなった00年。まだ認知症という言葉もなく、介護保険サービスも身近ではない時代。最初の5年間は自宅で家族と暮らし、残り9年間は自宅からほど近い認知症グループホームにお世話になった。
 預けたのは脳梗塞で右半身にまひが残ったことがきっかけだ。車いすが欠かせなくなり、自宅で暮らすのは難しい。だが「親の世話は自分でするべきでは」との思いとのはざまで相当悩んだ。
 同じように悩んだのが胃に穴を開けてチューブで栄養を送る「胃ろう」を勧められたときだ。口から食べることが難しくなり、体重も34キロに減っていた。おふくろは「人に迷惑かけとる。自分ば殺してくれ」と必死に訴えたことがある。本人の意思を確認できていれば、おふくろは絶対に胃ろうを拒んだだろう。
 胃ろうを付けてから亡くなるまでの1年半の間は、命が果てる瞬間を超スローモーションで見ているようだった。
 かつて認知症特有の症状で叫んだりしていたおふくろがだんだん弱々しくなる。「あ」という一言を発しただけでスタッフと喜び合った。触るとぬくぬくしていて、それが命の証し。「ああ、生きている」と感じたくて、毎日ただただ、おふくろを触りまくっていた。
 この間何を得たのか。「豊穣(ほうじょう)」という言葉がふさわしい、濃厚で豊かな時間を与えてもらった。「そこまでして生かさなくてもいい」という考えも分かる。息子の勝手な選択だろう。それでも、ただ生きてくれているだけで心から幸せだった。
 今の世の中はそういう時間も気持ちも切り捨ててしまおうという風潮が強まっている気がする。経済的かどうかが優先され、役に立たない高齢者は早く亡くなった方が国として助かる、と。
 確かに晩年のおふくろは経済的には何も生み出さなかったかもしれない。でも僕は多くのものを受け取った。かさかさとした世の中になって、あの豊穣な時間を知らない人たちが増えていくのはもったいない。
   ×   ×
 おかの・ゆういち 長崎市出身。母親の介護の日々を描いた漫画「ペコロスの...」が評判を呼び、映画やテレビドラマにもなった。67歳。

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