OB戦の開始前、学部内を散策した。入学は、学生運動も下火になった72年。
岩手大学に特別な思いがあったわけじゃない。授業は欠席がち。勉強はしなかった。
当然、単位が取れなくて追試再試の連続。劣等生の悲哀を初めて味わった。
建物の外壁はお洒落になったけど、それとは真逆の、当時の空気をボクは感じる。
仲間の息吹。A間君たち「造構」の連中が、生コン練っている姿が、そこに見える。
賢治は農学部の大先輩。大学の象徴。こんな洒落た像は、ボクの時代にはなかった。
小学校で習った「春」。日が照って鳥が鳴き・・は、今でもそらんずることが出来る。
盛岡高等農林学校。日本最初の高等農林学校の校舎。94年に国の重文になった。
今は記念館ですが、入館は有料。有料はネーべよ。卒業生はタダにしろ。
保水力を上げるため、農地造成研究室の専売特許「破砕転圧工法」を駆使してるんだって。
「造成」は、ボクが所属していた研究室。ボクは、いただけの足手まとい。
農学部の旧「自啓寮」の跡地。 ボクが一年生の時まで、ここにあった。
寮の印象は、とにかく暗かった。明治時代の兵舎・・というと怒られるかな。
自啓寮を自慢気に、バンカラを気取る寮生が、正直、羨ましかった。
新田町の下宿に移った最後の一年間、大学への行きかえりは、正門を通った。
卒業間近の真冬の夜。研究室からの帰り、正門を出る。冬枯れのポプラの並木。
何気なく見上げた夜空に星・・。就職も決まらない劣等生の胸に沁みたなあ。
落ちこぼれ寸前だったボクに、今もって、この「門」の敷居は、高いのだよ。