◎11月7日(火)晴れ…<島原~熊本フェリー>→阿蘇→大分道→湯布院(170㎞走行)

島原湾の朝焼け
■雲仙・普賢岳、
島原
温泉地を旅した時には、1泊で2~3度湯に浸り疲れを癒すのを常としている。当旅館の露天風呂からは島原湾が眺望できる。紺碧の海、四季折々の風情を楽しみながら露天風呂ならではの醍醐味。雲の切れ間から綺麗な朝焼けが拝めた。

ざぼん風呂とサイダー泉風呂(右)
この時期にはざぼんを浮かべた風呂が用意されている。一角にはサイダー泉露天風呂がある。天然100%の炭酸泉で、入浴すると全身に小さな気泡が付き、心地良い。
懸念された普賢岳だが、昨日のニュースを窺わせる気配もなく、青空にくっきりと雄姿を見せている。(11日付の長崎新聞によると、落雷に伴う山火事はほぼ鎮火し人的被害などはなかったとある)

雲仙・普賢岳
雲仙の最高峰普賢岳は1990年に200年振りに噴火し、山下の島原市や南島原市に多大な災害をあたえた。このとき吹出した溶岩の山は普賢岳より標高が高くなり「平成新山」と命名された。
現在ではバーチャルに自然のパワーと火山災害を体験できる展示館
「雲仙岳災害記念館」があるのだが、あまりにも生々しくて、心臓病を抱えるUの身体に障ってはとの配慮からパスする。
眉山の麓を迂回してのびる観光道路「島原まゆやまロード」を通って、標高1486mの平成新山や火砕流、土石流の痕跡を正面から眺める。道路の中間点には平成新山展望園地がある。
城下町の面影を色濃くとどめる武家屋敷では一般公開されている山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3つを見学する。当時の武家生活の様子が偲ばれる。
島原城は1618(元和4)年から松倉重政が当時の築城技術の粋を集め、7年の歳月を費やして築城したもの。明治維新により一度は廃城したが、人々の熱意により復元された。
文化遺産島原城は「日本100名城」に認定されている。五層の白色総塗込みの天守閣が聳え立つ壮麗な名城である。三の丸の広大な御殿跡には小学校と高校があるのも珍しい。折りしも高校生が城の外周をランニングしているのに出くわした。

島原城と普賢岳

壮麗な姿の島原城
新町のアーケード街の裏手にのびる新町通りは、別名「鯉の泳ぐまち」と呼ばれ水路を鯉が泳ぎ水の都、島原を代表する景観。ポケットパークも整備され憩いの場となっている。
島原と熊本を結ぶ便は、九商フェリー(所要1時間)と熊本フェリー(所要30分)がある。島原港を12時20分に出航の高速艇オーシャンアロー(熊本フェリー)を利用、わずか30分で対岸の熊本に着くはずだったが、波が高く40分以上かかり、九商フェリーとあまり変わらないようなことになった。

超高速艇オーシャンアロー
遅めの昼食を、ちょっと贅沢に熊本城のお膝元にある割烹「城見櫓」で。日本一の長塀を前に熊本城を望みながら郷土料理会席をいただく。お目当ては馬刺。口の中で上品なバターのように溶ける味わい深い霜降り馬刺だ。生け簀に泳ぐ天草直送の魚介を使った刺し身や天ぷら、天草大王、辛子れんこん、一文字ぐるぐる、田楽などが次々と出てきた。

熊本城の日本一の長塀
■壮大な大自然
阿蘇
阿蘇山は九州のほぼ真ん中にあり、「火の国」熊本のシンボル的な存在。世界最大級の大カルデラで、阿蘇外輪山に囲まれたカルデラの直径は南北28㎞(東京都23区程の大きさ)ある。外輪山麓を含めると、阿蘇郡は12町村、陥没で出来たカルデラの中だけでも7町村ある。
この阿蘇山とは、あくまで俗称であり正式には阿蘇五岳という。阿蘇山という山は存在せず、現噴火口のある山は「阿蘇中岳」のこと。
有史以来、幾度となく繰り返した爆発。
阿蘇の火口は、まさに生きていることを実感させる。ガス発生による登山規制もあるが、運良くこの日は火口見学OK。
しかし、「ぜん息、気管支炎、心臓が悪い人は疾患をお持ちの方は登山を禁止します」のアナウンスが絶えず流れる。Uの心臓への影響を心配して躊躇したが、本人は「大丈夫、是非とも傍で見たい」というから、恐る恐るの火口を間近で見学、火口底に貯まっているエメラルド色の水をガスの切れ間に見て納得し急いで下山した。
活発な噴火活動を続ける阿蘇中岳。白い煙をあげる火口周辺は、溶岩の露出したダイナミックな山肌を望む風景が広がっている。

阿蘇中岳火口

阿蘇中岳の噴煙
今日は予定通り順調に進み、午後6時半には宿舎
「ゆふいん七色の風」に到着。七色の風は由布岳の山懐に抱かれた場所にあり、ロケーションは最高。飛騨高山の合掌造りを思わせるとんがり屋根の建物が目を引く。
夕食メニューは、昨日以上に豊富でボリュームがあり、勿体ないが食べきれず4人とも残す。

食べきれないほどの大ご馳走