てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

速効ダイエット

2009-09-16 13:22:00 | 健康と医学
 これまで逓増の一途であった体重がやっとピークを打ち、嬉しいことにこの1週間で最高時から3㎏のウエイトダウンとなった。

 体重については12年来、その推移をグラフ化しているが、新たにレコーディング・ダイエットの考案者岡田斗司夫氏のアドバイスに従い、「日々の食事メモ」と「摂取カロリーグラフ」を取り始めたことが奏効したのと、これに先駆けて運動量を倍に増やしたことでダブル効果を生んだようだ。

 体重増加の「原因と結果」がはっきりと浮き彫りになった。食べていないようで「こんなに食べていたのか!」という新発見もあった。

 このダイエット法の根幹である、食べたものを記録することにより、意識して摂取カロリーをコントロールすることにも繋がる。つまり、自分が飲食したものを自覚→太った原因を確認→その日に飲食するものを決める、までに発展すれば成功したも同然。

 この1週間の一日平均の摂取カロリーは2,164kcalだった。飛行機の発進プロセス(助走→離陸→上昇→巡航)になぞらえると、まだ緒に就いたばかりの「助走」段階である。「一日1,500kcal以内に収める」を目標に掲げ、無事「巡航」に向けて頑張りたい。

【関連サイト】
日常のブログ「岡田斗司夫のゼネラル・プロダクツ」
岡田斗司夫公式ページ
今話題のレコーディングダイエットを検証!
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曖昧な記憶 

2009-09-14 17:11:00 | 暮らしと生活

ドイツ製のシーメンス補聴器

 人間の記憶は何とも曖昧で、誠に心許無いものだ。お恥ずかしい話だが、その好例をお示ししよう。

 かつて義父用に求めたドイツ製のシーメンス補聴器、かなり高額だった割には耳に馴染まず、殆ど使用することもなく、タンスの肥やしとなっていた。ところが最近になってどうにかして再度使ってみると言い出したので、購入元の高島屋補聴器売場へ調整をして貰いに、明日にでも案内することになった。

 と言っても手元に保証書も、購入時の書付なども一切なく、2㎝大の左右2個の本機があるだけ。
 早速に家に帰って「10年ほど前の寒い時節だったと思う」ということだけを手掛かりに、家計簿を繰ったが見当たらない。次は「高島屋クレジットで購入」をヒントに銀行の通帳を捲ってやっと「2001年(平成13年)8月6日に大口引落し」を見つけた。ここまでに要すること1時間半、しかも「寒い時節だったと思う」は見事にはずれ、逆に暑い盛りであった。

 日にちが特定出来さえすれば、後は小生の日記が本領を発揮する。自身でも今は殆ど記憶にないが、7月5日の日記には克明にこう記されている。
 「(晩年はアルツハイマー病を患い2004年に亡くなった)レーガン元米国大統領が愛用したデジタル補聴器で、片耳なら260,000円、両耳で440,000円のところを1割引にして貰い税込415,800円、代金は本人と子供3人が100,000円ずつ、足らずは孫娘が負担。しかも、初めのうちは『わしゃー作りゃーせんぞ』と言いながら検査の結果、良く聴こえるので快く同意。呼び出しを受けて小生が会社から駆けつけた時には、既に耳の型取りの最中であった。(以下略)」

 日記も5年前からパソコン入力している。これならキーワード検索すれば、記録(入力)さえしておれば立所にヒットする手があるのだが、如何せん8年前の出来事だった。
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初めての読書感想文

2009-09-13 08:34:00 | 暮らしと生活

ウィキペディア「乃木希典」より

 NHKの早朝のラジオ番組「今日は何の日」によれば1912年9月13日、明治天皇大葬の夕に、陸軍大将乃木希典が静子夫人とともに自刃、殉死された日だそうだ。享年62。
 「うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり」(辞世の句)

 私にとって「乃木希典」をキーワードで忘れてならないのは、小学3年生の時初めて書かされた読書感想文が、伝記「乃木希典」であった。その1冊も、感想文も手元に残っていないので内容は定かではないが、幼少期に事故により左目を失明したこと、古井戸の冷水をかぶって心身鍛錬に励む姿、カイゼル髭をはやしステッキをついた矍鑠とした晩年の姿だけが強烈に印象に残っている。殉死のことなど知る由もない。

 当時、担任のY本先生の国語の時間に課せられる作文が苦手で、いつも逃げ出したい気持ちだった。それでも何故だか3学期には委員長を仰せつかり、両親から褒美に自転車を買って貰った記憶が蘇る。この記事を書くにあたって半世紀前の通知表を引っ張り出してみたが、その中から様々な想い出が去来する。肝心の成績についてはオフレコ。
 小学校卒業でやっとY本先生とお別れ出来ると喜んだのも束の間、進学したK東中学校へ同じように転任され、同中学校でも3年間国語を教わった。
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「ただいま」「お帰りなさい」の間柄

2009-09-12 12:34:00 | 舞台、ライブ
清水市代クィーン倉敷藤花就位祝賀会(1999年4月20日)
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職場の同僚との記念写真
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ご両親もご臨席
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司会は今は亡き麻生アヤさん(右)

 「岡山に帰ってきました」-そんな書き出しで12日付山陽新聞滴一滴のコラム子は、女子サッカーの宮間あや選手の岡山凱旋を紹介する。

 「帰ってきました」といえば清水市代棋士を一番に思い出す。倉敷市で行われる「大山名人杯倉敷藤花戦」を通算10回制し、倉敷藤花の顔ともいえる清水さんは倉敷を「心の古里」と呼び、同戦のレセプションでの彼女の挨拶が決まって「ただいま」であった。

 その清水さんも昨年11月26日に開催された「第16期大山名人杯倉敷藤花戦」第2局では、16歳の里見香奈女流2段に破れ、女性棋界に、また新たな歴史が刻まれた。
 里見さんは高校2年生。16歳8カ月での初タイトルは林葉直子元女流名人、中井広恵女流6段に次ぐ3番目の年少記録で、倉敷藤花としては史上最年少である。
 その時の清水さんの潔い一言が「来年また帰ってきます」であった。

 冒頭の宮間あやさんは千葉県出身、清水市代さんは東京都出身という、ともに遠く県外の人であるが、「ただいま」を「お帰りなさい」と迎える間柄が何とも微笑ましくあり、嬉しくもある。

 1999年(平成11年)4月20日の清水市代クィーンの倉敷藤花就位祝賀会に参加して、彼女のテーブルでは両親が同席され温かく見守る姿が印象的だった。将棋教室を営む父親に小学3年生の時から将棋の手ほどきを受けたという。

【歴代の倉敷藤花】
第1期 (1993年)林葉直子
第2期 (1994年)清水市代
第3期 (1995年)清水市代
第4期 (1996年)清水市代
第5期 (1997年)清水市代
第6期 (1998年)清水市代
第7期 (1999年)清水市代
第8期 (2000年)清水市代
第9期 (2001年)中井広恵
第10期 (2002年)中井広恵
第11期 (2003年)中井広恵
第12期 (2004年)清水市代
第13期 (2005年)清水市代
第14期 (2006年)斎田晴子
第15期 (2007年)清水市代
第16期 (2008年)里見香奈

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第三次ショック真っ直中

2009-09-11 15:56:00 | 暮らしと生活

朝焼け(9月11日午前5時22分撮影)
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2009年(平成21年)9月11日付山陽新聞「泉」欄より

 我がライフサイクルを顧みるに、日常の行動パターンがすっかり定着してきた。朝起きて先ず仏前で手を合わせてから、早朝の1時間ウオーキングに出かけて心身をリフレシュさせる。
 一汗かいた体をシャワーで清め、やおらパソコンに向かう。お馴染みさんのサイトに「おはよう」の挨拶とメールチェック、そして在宅の折には終日パソコンは立上げっ放しとなる。

 さて日課の各サイト訪問だが、決まってお邪魔するブログの一つに「あじさい通信・ブログ版」がある。サイトを運営するkurashiki-keikoさんは、時折山陽新聞の読者投稿コーナーでもお見かけする。
 本日11日付山陽新聞の「泉」欄では「物をなくして」と題して一文を寄せておられるが、当方も最近とみに物忘れがひどかったり、モノの名前が出てこなかったりでどっきり、がっくりすることが多く共感を覚えた。

 小欄「2005/12/17 老いるショック」で紹介したように、こうしたガックリ状態を「老いるショック」と言い、「三度来る」のだそうだ。

 まだ現役の頃、年が一回り上のK坂先輩から「本屋で立ち読みしていて、先日買ったばかりの同じ本を、うっかりまた求めてしまい2冊は不用なのでよかったらどうぞ」と、ある1冊の本を頂いたことがある。そんなことは自分にはあり得ないと思っていたので、何かしら薄ら寒いものを感じたものだ。

 ところがいずれは通る道だった。近頃になって思い当たるフシが多々ある。先述の「老いるショック」になぞらえれば第一次・第二次ショックを通り越して、今やSAS対策にC-PAP装置のお世話になるというれっきとした第三次ショックに突入している。
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