弱者のつぶやき

2019-03-12 09:54:23 | タナカ君的偏見
 東日本大震災の発生日だった3月11日。 その日を迎えるまでテレビでは「黒い津波」、「三陸鉄道全線開通」、「災害公営住宅」、「孤独死」などを扱った番組が沢山放映されていた。 それはあたかもクリスマスイブの日までクリスマスソングがラジオ番組から流れ出て来るのと同じ様に。 

 その日が過ぎた今日、 そんな関連番組はガクッと減るだろうなと考えていたが、 残滓の様なテーマとして「災害発生時に住民共助での災害弱者対応策の策定が進んでいない」事を伝えていた。 それは政府の指導だったかで地方自治体が取り組むべきテーマとなっているものの、 自治体側での対策の遅延を指摘する内容だった。

 僕は常々 「大津波みたいな時には老人病院みたいな所の入所者は救助なんかしないで、 見殺しにする事も善しとする」 そんな風潮や制度が広まれば良いと想っている。 身体の自由が効かない介護施設の入所者を助けるために津波の危険が迫る中で居残って命を落とした施設の職員のおばさんの話が美談として語られたりしているが、 「さっさと逃げたらどうだったのさ?」 と思う訳ですよ。

 災害時に住民共助での弱者対応なんて綺麗ごとを言った所で、 我が家の近くの事例なんかを見ていると「あんな人を助けるのに、 一体いくらの費用が掛かるのか?」と感じるときもあるのです。

 それはね、 2ヶ月に一回ほどのペースで見られる光景なのだけど、 救急車のサイレンが聞こえ、 近所の路上でサイレンの音が停止する。 家の窓を開けて眺めると、 救急車の他に赤い色の消防自動車も到着する。 救急車の隊員さんは担架を降ろし、 救急要請の電話を掛けたお宅(中層住宅の上方階)に向かうのです。 その際に赤い車の隊員さんも同行します。 つまり狭い階段を救助要員4人で病人一人を担架に乗せて降ろす訳ですよ。 平時だから、 そんな贅沢な事もやって居られるけれど、 あっちこっちで救助を必要とする人が溢れていたら、 救急隊員だけでは人手が足りなくなる。 だから”民間共助”のアイデアと言うか、 制度も考えられるのだろうけれど、 高齢者が多くなった地域の中で、 そんな手の掛かる病人あるいは◯△弱者なんて呼ばれる人の救助なんて無理ってものじゃあ無いですかね。

 つい先日、 福島原発事故発生から数日間の緊急医療に従事した人々の動きを追った番組があって、 その中には高齢者施設の入所者をバスで移送する時に発生した痛ましい状態(バスの座席に座り続けられなくて、ずり落ちた姿勢で床に倒れ込み、 何人かが重なり合い積み重なっていた)なんて話や、 移送途中や移送先の避難先で命を落とした人も数名。 それを聞いて 「ウーン気の毒に」と思はおもったけれど、 逆に原発近隣の施設に残したままにして、 「放射能被爆の影響で死亡」 そんな結果にしてあげた方が亡くなった方々も苦痛が少なかっただろうし 原発事故の悲惨さを強調出来て世の中のためになったんじゃあないか!? と考えたりしているのです。

 妻には 「貴方の言っている事は、自分が助けられる立場にないから言えるだけでしょ」 そう言われる。 するとタイトルも”強者のつぶやき”に変更しないといけないかな?
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