2週間ほど前に家族葬が執り行なわれた従兄弟の<< 召天式 >> なるお別れ会に出席して来た。
工務店を営み材木等の建築資材を保管する小屋掛け施設も含めた敷地の一隅には小さなキリスト教の集会所を設け、 夫婦揃って活動していた従兄弟、 葬儀の一環である召天式は当然の事ながらお寺の坊主は来ず、仏式とは異なる形で執り行われた。
野次馬であってはいけない儀式だが、 僕の人生の中で初めて体験するキリスト教信者の葬送儀式。 その様子をざっと記録して置く。
式は自宅にほど近い一般葬儀場で行われ、 参列者は160名を越えた様子。 その参列者の大半の服装はいわゆる黒式服に黒いネクタイの男性と女性は真珠のネックレス姿をしていた。
参列者の人数が多く、 式場の駐車区画は車で一杯。 開始時間近くなってから到着した我々は区画線の引かれていない空きスペースに駐車した。 そして準備されていた椅子席の数も不足していて、 式場の従業員さんが、 椅子を追加配置すべく動き回っている最中だった。
参列者の人々は故人とどの様な関係の人々か? 正確には判らないが、 多い順に並べてみるとキリスト教活動での仲間、 工務店での仕事関係者、 地元中学校などでの同級生、 僕たちの様な親族などであろうか。 賛美歌を歌う際の式場前方の座席方向から沸き起こる声量の多さ、 故人を偲ぶ長めの話の最中に話しの内容までは判らないもののベチャベチャと喋くる後方の席に座ったグループ(地元同級生?)からの雑音、 そんなあれこれからの推量です。
参列者には葬儀の式次第が記載された六ページの冊子(Top写真)が配られたが、 準備した冊数では不足したようだ。 その2ページ目に記載された次第を羅列すると以下の様である。
開式の辞、 賛美(1)、祈り、 聖書朗読、 故人を偲んで、聖書から、賛美(2)、祈り、 親族挨拶、 閉式の辞、 献花。
故人を偲ぶ話をされたのは宗教活動の仲間、 仕事での協力関係者などであったが、 いずれも時間を長く感じる話し方をする人達だった。 「キリスト教の小さな集会所を主宰する人なんて、話慣れしているだろうし、 それなりの声量の持ち主」であろうと勝手に想像していたが、 思惑外れで、 同級生のグループと思しきグループが私語を始めてしまう気持ちも判らないでも無かったです。 違和感を強く感じたのは故人への呼びかけに「さん」では無くて「兄(ケイと発音)」を使う事もありました。 耳慣れない言葉・・・それが一番の違和感の元ですね。 その呼びかけ言葉が集会所を運営する人達の間の決まりごととしても耳に聞こえる言葉としては脳内にスッキリとは染み込まない。 例えば僕への呼びかけとして「タナカケイ」と呼ばれる様なものでね。 ちなみに付き合いのある集会所なるもの、 前橋市や渋川市そしてお隣の県の深谷市などにあるみたい。
そうそう、 僕と血縁の近い参列者の多くは式場の最前列の位置に座っていたようです。 献花が始まって最初の頃にその立ち上がった姿を視認しました。 僕たちに献花の順番が来るころにはとっくの昔に式場を離れてしまいましたから。 一言も言葉を交わすことは有りませんでした。
献花
前列から順に献花は開始され、 今は仕切り壁のある後方に
これから献花の順番待ちする参列者が残された会場の様子
参列者へのお返しの品に同封されていた遺族の挨拶状
お清めの塩も封入されていた。
工務店を営み材木等の建築資材を保管する小屋掛け施設も含めた敷地の一隅には小さなキリスト教の集会所を設け、 夫婦揃って活動していた従兄弟、 葬儀の一環である召天式は当然の事ながらお寺の坊主は来ず、仏式とは異なる形で執り行われた。
野次馬であってはいけない儀式だが、 僕の人生の中で初めて体験するキリスト教信者の葬送儀式。 その様子をざっと記録して置く。
式は自宅にほど近い一般葬儀場で行われ、 参列者は160名を越えた様子。 その参列者の大半の服装はいわゆる黒式服に黒いネクタイの男性と女性は真珠のネックレス姿をしていた。
参列者の人数が多く、 式場の駐車区画は車で一杯。 開始時間近くなってから到着した我々は区画線の引かれていない空きスペースに駐車した。 そして準備されていた椅子席の数も不足していて、 式場の従業員さんが、 椅子を追加配置すべく動き回っている最中だった。
参列者の人々は故人とどの様な関係の人々か? 正確には判らないが、 多い順に並べてみるとキリスト教活動での仲間、 工務店での仕事関係者、 地元中学校などでの同級生、 僕たちの様な親族などであろうか。 賛美歌を歌う際の式場前方の座席方向から沸き起こる声量の多さ、 故人を偲ぶ長めの話の最中に話しの内容までは判らないもののベチャベチャと喋くる後方の席に座ったグループ(地元同級生?)からの雑音、 そんなあれこれからの推量です。
参列者には葬儀の式次第が記載された六ページの冊子(Top写真)が配られたが、 準備した冊数では不足したようだ。 その2ページ目に記載された次第を羅列すると以下の様である。
開式の辞、 賛美(1)、祈り、 聖書朗読、 故人を偲んで、聖書から、賛美(2)、祈り、 親族挨拶、 閉式の辞、 献花。
故人を偲ぶ話をされたのは宗教活動の仲間、 仕事での協力関係者などであったが、 いずれも時間を長く感じる話し方をする人達だった。 「キリスト教の小さな集会所を主宰する人なんて、話慣れしているだろうし、 それなりの声量の持ち主」であろうと勝手に想像していたが、 思惑外れで、 同級生のグループと思しきグループが私語を始めてしまう気持ちも判らないでも無かったです。 違和感を強く感じたのは故人への呼びかけに「さん」では無くて「兄(ケイと発音)」を使う事もありました。 耳慣れない言葉・・・それが一番の違和感の元ですね。 その呼びかけ言葉が集会所を運営する人達の間の決まりごととしても耳に聞こえる言葉としては脳内にスッキリとは染み込まない。 例えば僕への呼びかけとして「タナカケイ」と呼ばれる様なものでね。 ちなみに付き合いのある集会所なるもの、 前橋市や渋川市そしてお隣の県の深谷市などにあるみたい。
そうそう、 僕と血縁の近い参列者の多くは式場の最前列の位置に座っていたようです。 献花が始まって最初の頃にその立ち上がった姿を視認しました。 僕たちに献花の順番が来るころにはとっくの昔に式場を離れてしまいましたから。 一言も言葉を交わすことは有りませんでした。
献花
前列から順に献花は開始され、 今は仕切り壁のある後方に
これから献花の順番待ちする参列者が残された会場の様子
参列者へのお返しの品に同封されていた遺族の挨拶状
お清めの塩も封入されていた。