札幌に到着

2011-02-08 18:12:19 | 国内旅行と山歩き
 札幌にやって来ました。 ここまでの移動で気になったのはJR中央線の電車内で右隣に座った3歳くらいの女の子の動き、せわしなく体を動かし、僕の右腕にも時々接触してくる。 彼女の母親は新宿に着くまでずーっと携帯電話をもてあそんで、子供の動きや、僕がぶつかるのを避けようと、左手で防御姿勢を取っているのなんか知らん顔。 それを見かねた通路を隔てた席の中年女性が「お子さんが、怪我をされてる方に、時々ぶつかっていますよ」と注意してくれたのだけれど、女の子の母親は一時子供を自分の方に抱き寄せただけで、後はまたほったらかし。 僕・女の子・母親の並び順を「女の子・母親・僕の順になるよう交代して下さい」と三鷹辺を走行中にお願いしようかと想ったけれど、ちょっと声を出さなかった僕がだらしなかったかな? それ以外は品川で京浜急行に乗り換え、羽田ー千歳空港、千歳ー札幌と長距離移動しましたが、なんの問題も無く旅が出来ました。

 Topの写真の様に札幌駅周辺は青空があり日差しも感じる天気で、歩道には雪もほとんど有りませんでした。 しかし歩道から車道へ踏み出す辺りには雪が固まり、滑って転ぶ危険性が大きかったので、靴底に取り付ける滑り止めを東急百貨店の中の靴屋さんで購入しました。 下の写真が脱着式の滑り止めを取り付けた長靴の様子です。



 ホテルにチェックインしてから撮影しました。 ちなみに値段は2100円。 Amazon辺りの通販では数百円から千円台だったから、やはりデパートで買うのは高いかな。 でも今回は靴にきちんと装着出来て、滑って転ばないこと。それが第一優先事項です。 通販では靴に合うか? 判断出来ませんでしたからね、現地の靴屋さんで、きちんと取りつくタイプの物を選べた事で満足です。
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未だ修復中の骨は見えません

2011-02-07 18:03:16 | タナカ君的日常
 今日は2週間ぶりで骨折箇所のX線撮影がありました。 骨折箇所の痛みが薄れ、歩くスピードもだいぶ元に戻りはじめたので、X線画像の診断では「修復中の骨が見えて来ています」の言葉を期待したのだけれど。 整形外科の医師からは「未だ修復中の骨は見えません、だけど骨はズレてませんから安心して大丈夫!」、「リハビリの運動メニューは振り子運動から次の段階にステップアップしてもらいます」と言われました。

  それから、唐突に「北海道に明日から出かけるんですって?」と聞かれました。
 僕 : 「 ええ、その予定です 」
     「 リハビリの先生からは整形の先生に話して、OK貰って出かけて下さいね、と言われています。」
     「 旅行に出かけて、 宜しいでしょうか?」
 と聞いたところ。

医師 : 「 良いでしょう、 でも転ばないように気を付けて下さい」

とOKの返事をくれました。 そんなこんなで、明日からは3泊の予定で札幌雪祭り見物にでかけます。

 ところで、リハビリ科での作業途中の世間話のような事でも治療に影響ありそうな事柄は記録され、病院内のネットワークで関連する先生が閲覧出来る様になっているのですね。 逆に、先程整形の先生が言ったリハビリメニューのステップアップの件はネットワーク上の情報として、リハビリの先生に伝えられるのでしょう。 
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家で囲碁三昧

2011-02-06 18:20:42 | タナカ君的日常
 今日は日曜日、午後から公民館で囲碁の有る日です。 この所、囲碁は公民館に行って打つことが多かったのだけれど、今日は妻が所用で朝から出かけてしまうので車で送って貰えない。 そこでサラリーマン時代の職場の昼休み囲碁のお師匠さんに9時頃に電話して、遊んで貰えるか聞きました。 「いいよ、じゃー昼過ぎから行こうか?」との返事がありましたが、 「もし、昼飯をスーパーの弁当でも買って食べるので良ければ、午前中から如何ですか?」と答えると、「それでも良いよ! 何時に行こうか?」、 「それじゃ、10時からと言う事でお待ちします」となって、 10時から夕方5時前までたっぷり囲碁三昧の一日を過ごしました。

 このお師匠さんとの囲碁は僕に有利な変則ルールです。 僕の降格は連続3局敗けたら降格、お師匠さんの方は1局負けたら直ぐに降格です。 僕の方が3子の置碁から始めて、3回立て続けに負けて4子に落ちて、4子局では2敗した後、3回目で勝ったから、再度3子に戻りました、そして最後3子局でも勝ったから、次に遊ぶ時は2子局から始める約束をしてサヨナラになりました。

 ところで腕を三角巾で吊るしたスタイルのままで、 こんなに長時間に渡って囲碁の対局に熱中しちゃうと、1日に5回やることになっている家でのリハビリ運動と腕のマッサージがおろそかになるものだから、サヨナラした後には右腕がずいぶんと、むくんで膨らんでいました。 そこで、むくみが取れる様に丁寧にマッサージをし、リハビリ運動も済ませてから、夕飯前の一時、キーボードを叩いて、これを書いています。 
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歩行速度・5km/時

2011-02-05 17:56:28 | タナカ君的日常
 先週から公民館へ囲碁を打ちに行く気分も出てきて、開催される曜日には欠かさずに遊びに行ってます。 最初の内は前にも書いたけれど、妻に車で送り迎えしてもらっていた。 そのうち自転車に乗って出かけたりもしたけれど、「自転車は危険だ!」とか、「歩く運動をしなさい!」の声に押されて、最近は行きは車で送ってもらい、帰りは歩きのパターンで行動しています。

 囲碁の会場までの距離は、およそ2.6km、リハビリ歩きには30分程度の適当な距離です。 そういえば、歩く時に上下する身体の動きが腕に痛み感として伝わるので、外歩きを開始した当初は時速2km程度の低速歩きから始まりましたけれど、今では時速5km程度で歩いても大丈夫になってきました。 ただ平地でも30分以上の連続歩きは腕の骨折箇所に違和感を感じるから、あまり無理はしたくない気分です。 でも妻に言わせると「歩けるんだから、行きも帰りも自分で歩きなさいな!」とプレッシャー掛けるんだよな。 これからも暫くは片道だけで良いから車で送って下さいな。

骨折以来34日が経過しました。
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年金の源泉徴収票 再交付

2011-02-04 21:25:24 | タナカ君的日常
 2月に入って確定申告の相談会場も開設され始めました。 それで、僕もそろそろ書類を取り揃えるかと腰を上げたのですが、収入を証明する「公的年金等の源泉徴収票」が見当たりません。 妻の所には、ちゃんと平成22年度分の日本年金機構から源泉徴収票のハガキが郵送されて来ています。 僕にも来ている筈と、午前中にかなりしつこく探したけれど見当たらない。 再送付してもらえるものか? ググってみたら、年金相談センターに行けば再交付手続き出来る様なので安心しました。 今度の月曜日、病院からの帰り道に立川の年金相談センターに寄って再交付してもらうことにします。

 ところで、サラリーマン稼業を止めて2年が経ちますが、 いよいよ僕の収入は年金だけになってしまいました。 去年の株取引は大赤字が発生したので、確定申告では売買損失の繰越処理の形で進める予定です。
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僕達の遺産相続

2011-02-03 11:00:05 | 昔話
 つい先だって母親を見送った知人の「御礼」と題したブログ記事のコメント欄に 「看病などにご苦労なさった皆様や、ご兄弟の方々の日常生活への復帰がスムースに移行する事を、今はお祈りします。」 と書き込んだ。 この文面は当たり障りの無い無難な表現に留めたつもりなのだけれど、 裏には「慌ただしいお母さんとの別れの葬儀の後に訪れるはずの”遺産相続”問題を乗り越えて、早く穏やかな日常生活に移行されん事を!」の気持ちを込めたタナカ君的な表現であったのです。

 遺産相続は揉めて当たり前、兄弟関係の悪化などの明るい話題に乏しいイベントの代表格みたいなものらしい。 僕達夫婦は双方ともに何年も前に両親を見送っています。 そんな僕達の遺産相続イベントを書いてみましょう。 ただし、僕達の経験した相続手続きはドロドロした話は無く、随分とあっさり味でしたので期待しないで下さい。

僕の場合 :

 僕が小さな子供の頃(昭和20年代)に祖父は亡くなりました。 母は弟が中学生だった時に50代で亡くなりました。 次に、父は70を目前にした年で亡くなりました。 その時、 実家には祖母とまだ独身の弟が暮らしていました。 そして百歳までもう少しの長寿を全うして祖母は逝ったのです。 そこが僕にとって初めての相続手続き体験となりました。 その時初めて知ったのですが、 家屋敷の名義は何十年も前に亡くなった祖父の名義で登記されたままになっていたのです。 だから相続を受ける権利は父の兄弟姉妹にもある訳です。 ところで相続の対象となる財産と言えば、弟と祖母が暮らしていた家屋敷があるだけ、 金融資産なんて何も有りません。 いや、待てよ仏壇の引き出しから額面1円だったか10円だったかの「戦時国債」が1枚出てきた記憶もあるな。

 祖母の生活を経済的に支えていたのは一緒に生活していた僕の父ではなくて、その兄弟たちでした。 母が亡くなった後では父の生活でさえ、その祖母への支えの資金が父の生活の支えの一部になっていたかも知れない状態でした。 そんなオジやオバの中の仕切り屋のオバが相続の件も仕切ってくれました。

「自分達(オジやオバ全員)は相続権を放棄する」
    だから
「お前と妹も相続放棄して、弟に全て渡してあげなさい」

 僕も妹もその話に特に異存は無く、 後日、弟が用意してきた書類に記入・押印し一件落着しました。 件の戦時国債の紙切れ一枚「これは俺が貰ってもいいだんべ」と言って、オジが持って帰りました。 祖母のタンスの中の着物などはオバが整理してくれたはずです。



妻の場合 :

 妻の父も70を目前にした年(?)で亡くなりました。 その時、何らかの相続だか形見分けだかあった様ですが、詳しい事は覚えていません。

 それから20年近く長生きした義母は昔からの友人と秩父の鉱泉宿への湯治の旅から帰宅したその日の晩に疲れを訴え、度々世話になっていた病院に入院したとおもったら、その夜には慌ただしく息を引き取り、旅立って行きました。

 義母は亡くなるのは慌ただしかったけれど... 遺産相続のゴタゴタを避ける用意はきちんとしてありました。 妻とその弟たち3人の相続人達は残された遺言書の指示の通りに遺産分割協議を纏めて、納税も済ませました。 いや、妻の兄弟達、なかなか立派、お見事でした。
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骨折の完治に一抹の不安

2011-02-02 20:01:01 | タナカ君的日常
ブログを見た、友人から電話があった。

友 :「タナカ君さー、 自転車に乗ってるそうだけど、 両手でハンドル握れるのかい?」

タ :「イヤ、 右手は三角巾で吊ったまま、 左手だけで乗ってます」

友 :「それは、危ないよ、止めた方がいいな」
友 :「とにかく、今は歩く事だよ。 血の巡りを良くするのが、回復へ大事なことだから」

 自身も過去に自転車事故で顔面の骨折するという大事故を経験した友人は、ひと通りの骨折の心配をしてくれる話の後で、ゲレンデ整備の圧雪車が無い東北地方のスキー場から戻って来たばかりだとの近況や、「花の時期に夏油温泉付近の山に行こうよ・・・」と僕の骨折が完治した後の計画まで話を飛躍させてくれる。

 僕も調子を合わせて電話でシャベってましたけれど、 骨折の完治に一抹の不安もあるのです。

 転倒骨折してスキー場のパトロール隊の事務所で副木の処置をしてもらった後に訪れた大町の病院の医師は 「東京に戻って、 医師と相談して、ばらけている骨を手術をして、きちんとしてもらった方が良いでしょう」 「このままでも骨は着くでしょうけど、腕が肩より上に上がらなくなったり、するかもしれない・・・」 そんな意見を述べてくれました。 手術しないで保存治療を選択して1ヶ月経過した今も、その言葉は、ずーっと頭から離れずにいます。

 ところで、リハビリ運動での肩を支点にして腕を柱時計の振り子の様に直線的にブラブラさせる動作、 肩関節を頂点とした円錐状にクルクル回しをさせる動作は出来ているから、 「頭からの命令は神経を通して肩関節から上腕の筋肉に間違いなく伝えられている」と思えます。

 しかし就寝中には、布団に横臥した状態で血流等が滞り、主として小指と薬指が痺れてくる。 それを助けるために、横たわったままで、上腕を布団から少しでも浮き上がらせて血流を回復させようと試みても、なんだか腕が石の様に重く感じて、自力ではピクリとも動かせないのです。

 その痺れ感を解消するために、今は就寝中の夜間にも2・3度、電動ベッドを操作して上体を起し、腕の自重で圧迫されて血流やリンパの流れを阻害していると思われる、肘の周辺組織を左手を使って揉み解す作業がかかせません。 そんな事もあって、「右腕は本当に元通りに動かせる様になるのかな?」と不安になったりもしているのです。
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メルクマニュアル医学百科

2011-02-01 12:38:55 | タナカ君的日常
WEB上に公開されている、米国の製薬企業メルク社が発行するメルクマニュアル医学百科、 これは本当に役立つ無料で閲覧可能な医学百科辞典で、時々拾い読みしています。 今は当然、骨折に関するページです。

 その 62章 骨折 からのコピペです。

************    傷ついた骨の修復プロセス    ***************

皮膚、筋肉、内臓などの組織が損傷を受けると、健康な組織に代わって瘢痕組織が生じ、欠損部を埋めて修復します。瘢痕組織はしばしば、その部分の外観や機能に影響します。これに対し、骨に損傷が生じた場合には瘢痕組織ではなく、新しい骨の組織に置き換わるのが特徴です。折れた骨はこの独自の再生能力によって自然に治癒するので、小さく砕けてしまった骨のかけらでさえも、適切な治療を行えば正常な機能を取り戻します。

骨折の治癒過程では、炎症期、修復期、リモデリング期の3段階が少しずつ重なりあいながら進行します。骨折が起こるとその直後から、炎症期とともに治癒過程が始まります。損傷を受けた軟部組織や骨のかけら、内出血した血液などが免疫細胞によって取り除かれます。免疫細胞の活動と血流量の増加によって、骨折部位の周囲は腫れて圧痛を生じます。炎症は骨折後2~3日でピークを迎えますが、治まるまでには数週間かかります。

修復期は骨折から数日のうちに始まり、数週間から数カ月を要します。修復された新しい骨(外仮骨)がこの時期に形成されます。仮骨は最初にできたときにはカルシウムを含んでいないため、ゴムのように軟らかく弾力があり、X線画像には映りません。この仮骨は強さや安定性に欠け、わずかな力でも変形や位置のずれを生じます。3~6週間たつと、この仮骨にカルシウムが沈着して石灰化し、硬く強くなってX線画像にも映るようになります。

リモデリング期(骨が元の正常な状態に修復される時期)は、何カ月間も続きます。密度の低い外仮骨が少しずつ再吸収されて、通常の強い骨に置き換わり、その骨が本来もっていた正常な形や構造が回復されていきます。この時期になると再び骨折することはまずありませんが、その部位を動かすと軽い痛みを感じることはあります。
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 ここに記載された内容からすると、 僕の現状は未だX線画像には映らない ”仮骨 ”が形成されつつある修復期にあるものと思われます。 昨日の通院はリハビリだけで、X線撮影は有りませんでした。 来週の月曜日の通院では、その撮影も予約項目に入っています、 その時には日柄的には多分うっすらと新しい骨が撮影画像上に見えて来る頃ではないかと、期待しています。
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