職務怠慢・囲碁会場申込み

2013-01-07 21:50:12 | タナカ君的日常
 久しぶりに荒唐無稽な夢を見た。 僕の実家の近く、利根川の支流「烏川」の土手の上から対岸に向かって何の装備も付けないで滑空して川の流れを越え、対岸の河川敷に着陸した。 その時に肩に斜かいに掛けていた最近買ったばかりのカメラが何故かバラバラに壊れたのだ。 「困ったなあ・・・」 そう想いながら目が覚めた。 そんな夢の中の出来事を妻に話しながら朝食を摂り、 9時からは正月休み明けも活況をていしていた株式市場の週明け月曜日の取引開始直後の値動きを追い、 9時半近くになってから散歩に出た。 歩き始めて15分もした頃に「いけねー! 今日は2月分の公民館囲碁の会場予約申し込みをする日だった」 と思い出したが後の祭り。 既に受付終了時刻を過ぎていました。 どうしようもなく、落ち着かない気分のまま散歩を続けて家に戻りましたよ。

 公民館の会場取りの幹事さんには、昨日の別れ際に「タナカさん、明日は申し込みの日ですからね」 と言われて 「うん、判ってますから」そう答えて別れて来たのに今朝は全くその事を忘れていたのです。

 僕の担当は火曜日の申し込み、 他に金曜・土曜・日曜の会場を申し込む3人の担当者が居ます。 その彼等が申し込み会場に僕が姿を現さない事に気付いて、火曜日の分の申し込み手続きを進めてくれていることに期待するしかありません。

 散歩から戻って直ぐに電話をしてみました。 最初の2人は呼び出し音を12回鳴らしても電話に出て来ない。 3人目のNさんには電話がつながった。 「申し込み日を忘れて欠席しちゃったけど、どうなったかな?」 そう聞いてみると、 「大丈夫、 代わりに申し込みは済ませてあるから安心して」との返事でした、 明日会った時に職務怠慢を咎められるかな?  そしたら「ごめんなさい」と素直に謝るしかないね。
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まるで新年会

2013-01-06 08:10:11 | タナカ君的日常
 「父からは、大掛かりな葬儀はするな!」 「そう言われていたから ”お別れ会 ” の形にさせていただきました」 そんな喪主となった洋一君の挨拶があって、 ”おとうちゃん”の遺骨と赤いTシャツ姿でビールのジョッキを傾けている遺影が飾られた小さなテーブルが祭壇として置かれただけの大広間で「お別れ会」が始まりました。

 そこは 坊主の読経の声、 焼香、 納棺の儀式、 そんな物の一切無い、まるで知らない人が傍を通りかかったら「随分賑やかな新年会だな?!」そう勘違いする様な雰囲気の場になりました。 

 お別れ会のはじめの喪主の挨拶、山の会の代表の大庭さんの献杯の音頭、 そのあたり迄は通常の告別式を終えた跡の精進落としの始まり的雰囲気はあったけれど・・・ その後からは、矢島さんのお別れ会の場に集った50人もの元山仲間のしゃべり声で会場となった落合斎場に程近い「木曽路・落合店」の広間はワンワンとうるさいほどになりました。 飲み放題コースでもあったコース料理で浮かれるほどに酒を飲んだ人も居て 「おいおい、ちょっと飲み過ぎ・ハシャギ過ぎだろ」そう思えるほどの状態の人もいて、 故人の身内の方に不快感を与えないか心配する気分にもなりました。

 でもまあ病院での2ケ月の闘病生活を支えて来たご家族の顔を覗うと、夫を亡くした ”おかあちゃん(故人の奥さん)”以外は、 どちらかと言うと安堵の表情にも見えました。 だから僕達の発する騒音もお許し願えるかと、 勝手に決めておきましょうか。

 遺影の前には参加あるいは参加予定だった、日本各地の歩け歩け大会の日程表が置かれていました。 緊急入院した2・3日後にもそんな大会への参加予定があって、息子さんには「航空券の手配は進めておいてくれ」と言いながら入院されたとか。 また、愛用していたNikonのGPS内蔵デジカメも置かれてましたが、 酸素吸入のための管などが取り憑いたままの病院生活の様子を小さなその画面で見られるようになってました。 それを見ると、「病院へのお見舞いは控えてもらった方が良い」 そう言った洋一君の言葉にも今更ながら納得です。

 最後に山の会のメンバーの集合写真を載せておきますのでご覧下さい。
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マクロレンズ

2013-01-05 12:10:30 | タナカ君的日常
 一眼レフを買って、マクロレンズを買って、それを持って散歩にでると、今までなら撮影対象にしなかった物に対して、ついカメラを向けてしまいます。 植物の接写、 猫の様な動物、 なんだかレンズに振り回されている感じです。 でもまーいいか、 たっぷり遊べているんだから。


けやきの樹の枝を切った跡に出来たウロですが・・・
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賞品が当たったぞ!!

2013-01-04 23:43:02 | タナカ君的日常
 何かのキャンペーンに応募して商品が当たる、そんな経験を友人からは何回か聞かされていたけれど。 そう言った類いの応募行動を取ることの殆ど無かった僕。 ところがOLYMPUSのOM-Dを購入以来アンケートに答えたり、キャンペーンに応募したり、こまめに色々やり始めました。  そして年越しの旅から戻ってみると・・・ なんと! 32GBの大容量SDメモリが送られて来てました。 
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矢島さんの訃報

2013-01-03 20:32:35 | タナカ君的日常
 我々が活動してきた山歩きの会でなくてはならない位置を占めていた「矢島のおとうちゃん」、 11月初旬に緊急入院して以来、3度程の手術を経て危ぶまれた命を取り留めて療養中であった事は知っていた。 しかし年が明けて早々に旅だったと連絡がはいりました。

 そして「お別れ会」が今度の5日(土)に行われる事になりました。 築地の寿司屋での会合の際に作った2年前の名簿をもとにして、 会員だった方には手分けして連絡を入れ、 出欠の確認作業が進行中です。 僕が分担した中での出席希望者を世話役の”てっちゃん”に伝えた際の話では40人程の出席が見込まれている様です。

 「おとうちゃん」そう呼ばれる方が多かった矢島さん。 それは会創立以来の重鎮的な存在で有ったことの他に、山の会の会報の発行にあたっての多くの会員との深い交流の結果でもありました。 印刷所を経営されていた矢島さんは毎月の例会で発行されるチラシ、 そして年に2~4回発行された季刊の会報の発行に尽力して下さったのです。 特に編集などのために家に押しかける山仲間を奥さんと共に大瓶のサントリーレッドで気さくにもてなしてくれました。 そして泊まり込みを決め込む者が出ても嫌な顔なんかせずに受け入れてくれました。 その様子は昔あったと聞く「若者宿」そのものだったような・・・ だから僕だって「お父ちゃん」と呼びかけることに何の違和感も有りませんでした。


 今日の午後から始めた電話連絡、正月休みの最中のことで連絡がつかない人も居る中で、「お別れ会」に40人もの人数が集まるとは、 全てお父ちゃんの人徳以外の何者でもないでしょう。

 さてTopの写真は例会の都度発行された「ヤッホー」そして時には20p前後、多い時は80pほどになった会報の一部です。 そして右に積み重ねた黒い背表紙の2冊は、タイトルを金箔で押して作った会報の合本です。

  これらの資料を今迄は単に山登りの活動記録として見ていましたが、 今迄以上にお父ちゃんの想い出の詰まった記念の会報集となりました。

 特に黒背表紙の合本ですが、 お父ちゃんが自分用に製作した物を見て「俺も欲しいな!」そう呟いたら、僕がまだ入会していなかった為に持っていなかった時期の初号からの分を含めて僕に作ってくれた物なのですから。 
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2013新年@鹿島槍ゲレンデ

2013-01-01 17:34:30 | ヤナバ生活
 あけましておめでとう御座います!!

もう歳なんだから寒いところに行くこと無いのに・・・ そんな気持ちも有るけれど、
大晦日の深夜、鹿島槍ゲレンデのカウントダウンイベントに参加して、そこで新年を迎えてきました。 

 シーズン券や一日券を獲得できる「じゃんけん大会」等で新年を待ち、 新年と同時に打ち上げ花火がありました。 こんなイベントに参加できる元気さが永く続くと良いのだけれど、いつまで続くか? ブログの読者の皆さんも、良い一年で有りますように!!



 新年を一緒に迎えたメンバーです。
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