楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

思い出せるということ

2018-05-14 00:18:54 | むかしばなし

自分にとって 過去のことを 思い出せたり 話をしてみようと思うようになるころには 過去の出来事がたとえ 自分に良い思い出でなくても 気持ちの整理ができていて 解決策が見えてきていたりするものです。

我が家では 精神障害となってしまった息子ですが 良い精神科医や 協力してくれた数々の人たちのおかげで 自分らしいおちついた生活を取り戻し 将来起きてくるかもしれない事態もふくめて 親子で何事も気軽に話し合えるようになっています。

思い出せる幸せなできごとは無論ですが 不幸中の幸いだったと思えることは かなり幸せにしてくれます。

良きも悪しきも 思い出して 説明できるようになってれば それは楽しいといってもいいかもしれません。あいまいだった自分の気持ちも 過去のことを話すことで 自分にとって必要な体験だったと はっきりしてくることがあります。

働ける世代なら 達成感をもって仕事ができないと 仕事をし続けられませんし 病気の原因になったりもします。

とかく完璧をもとめて失敗やできの悪いところをしがちな日本人ですが 現状をよく見ると かならず解決すべき課題が見つかるものです。まずは 達成できていることをよくみて それから改善すべきをゆっくり落ち着いて探すべきで あわてると 幸せは逃げて行ってしまいます。仕事に慣れてくるのは 3年はかかるもので できる人を探すより いまある人手を 育ててゆくほうがよいと思うのです。

そして 互いにつづけた仕事を 思い出せるということは 幸せにしてくれるはずです。

 

 

 

 

 


歴史に学ぶべき

2018-05-03 22:07:30 | むかしばなし

民主国家である日本と 政治家の方々はいわれますが 内閣総理大臣が憲法の発議を起こす方向で会見を国民に報道をつかってするなど 大丈夫なんでしょうか。

アメリカでさえ 多くの国民が世界情勢を各々理解して 国の在り方を議論できて議会がなりたっているか 疑問が起きています。理想を掲げても 現実はなかなか困難が立ちはだかるので いくら勉強していたとしても 活かせるとは限りませんしましてや どのような教育が どのように影響して国が動いてゆくのか 難しい。

日本では 民主教育といっても 軍国主義教育から急変させて突貫工事で始まったのでしょう。だれも民主主義を知らない。 多くの教師は昨日まで お国のためと生徒を軍需工場で働かせていたような状況から その同じスタッフが教師として残って 本日から教科書を黒塗りして始めた民主教育だったはずで そこから徐々に改善をして今があるはずです。どうしても あちこちで分裂して教育がなされることは否めないのではと思っています。

江戸時代や 明治時代 大正時代のほうが 民主的なところもあったかもしれません。

戦後の家庭でも それぞれの価値観もあいまって 未だに修身教育の残骸がよしとされることも 否めません。

安倍首相の奥様が 幼稚園児がそろって合唱をする姿に感動された様子を見て 戦後の日本は 未だにあいまいに ごまかしで民主化を始めたために 政治家の奥様でさえ これが現実なんだと愕然とした次第です。何が民主教育に必要で 国はそう運営すべきか なにが あの軍国主義国家にしたのかの 検証はいまだはっきり示せていないのではないでしょうか。地方によっては 村社会のままで 違いもくらべることすら していないかもしれません。

歴史に学ぶべきは 第二次世界大戦のさなか 陸軍が食料の確保も想定できないまま 南アジアに強制派兵がなされ 戦えずして国民はジャングルで餓死していった過去です。

いまや 国は中東など外交で援助を約束しつづけていますが 国の在り方も 方向性も示せないまま 庶民をないがしろにしていないでしょうか。 大きな想定能力は ちいさな観察から可能だと思います。自分の感じは 戦時中の構図と 今の状況は似ているのです。

AIのルールも 電話や電気のルールも 農業生産物のルールーも 今の現状で大丈夫なんでしょうか。コンビニでさえ たたむ 農業や中小産業は継承できず 気が付けば できない約束ばかりがのこることには ならないでしょうか。

 

いまや 国民年金保険料は年間20万に及んでいます。十年前から随分増えている気がしています。今の現状維持で 大丈夫なんかなあ。

 


記憶 共感

2018-05-01 16:58:23 | むかしばなし

幼かったころの記憶や 若かったときの記憶はどうやってしまわれていて

思い起こすのはどんな経路をたどるのでしょう。

年老いて今のことはすぐ忘れるのに 昔の人の名前は覚えていたり 農作業は上手にできたりするものです。

実は 核になる経験や 体験を ことあるごとに繰り返しつなげて 書き足しているのかもしれません。

パソコンで記事を書いて記憶しておきたくても せいぜい10年もすると 企業側から疎まれ 移動や置き換えをせまられて そのうちごみとなって消えるのです。

一方 60年もの間 人の記憶は 風景や声や音を イメージで思い起こすことができます。

いつも作り変えられているはずの60年後の体でイメージが再現できているのが 不思議でなりません。

そして記憶は 必要な時や きっかけのようなものを得ると 自分を助けるように思い起こすのです。いや自分を壊すことに働くこともあるのでしょう。

 父親のひげをなでながら ちらりと視線を向けるしぐさが イメージで見えますし

ヤギの自分を見る様子が 土手の石畳と草むらと共に 匂いも一緒に思い起こすことができます。この熱効率のよさは 半端ではないはずです。

 

コミュニケーションが苦手な人が 一日のうちの一定の時間を割いて 空き缶やごみ拾いをしてくれています。その人とは 話したことも 目を合わせたこともないのですが

我が家の駐車場のごみも たいていは拾ってくれます。

ところが 以前 クリスマスの時期にシャンプーの空き瓶を飾りとして利用したことがありました。どうも そのことを 覚えてくれているようです。

 最近同じシャンプーの空き瓶を 花壇の縁取りに使うため転がしていました。

本来ならごみですから 拾ってくれるはずですが 乱雑におかれているのにもかかわらず 落ちたままになっていて そっとしておいてくれています。

これは 本当のコミュニケーションが 話はしないが 実際できているということだと思います。

一方 姑とのコミュニケーションは 言葉の上では 誤解が誤解を生み 互いにゆがんだままです。記憶に基づいて お互いを批判の方向で思い起こしているということなのでしょう。話をしてきていても 共感していなかったがために お互いのコミュニケーションはバラバラなままだったということのでしょう。

しかし 実は 姑が言葉にしていることは 本当の気持ちを表しているのではないかもしれないと 思い始めました。

いままでどおりの言葉を発して 年老いたわたしの面倒をみてくれないと非難しているのですが 実は今まで通り 面倒を見てくれないと非難できている自分を 再確認しているのかもしれないと思うようになりました。

なぜなら 本当に面倒を見にいけば 無くなったものが私のせいだといい

 いつもと違うものが存在すれば 自分のものではないから 置いてはいけないといい

してほしいことを進言したりすれば ヘント返しすると言い始め 

料理を作ろうとすれば そんなものは食べられないしいらないというのです。

手伝ったり 手を差しのべようとすると 戸惑って腹を立てだすんです。

実のところ 今のところ 思うようにすごして 思い付くことを発言して過ごせているのです。

そして 面倒を見てもらうようになるのは もう一年後だと 毎年言い続けて もう

少なくとも20年にはなるのです。

で 私の判断は 大きな失敗が始まるまで 現状維持で行くことにします。

ありがたいし 立派なものです。

 

 


今年の春

2018-04-18 23:37:42 | むかしばなし

今年の春は もう初夏といっしょになっているようです。

クリスマスローズが咲いているかと思えば

五月の連休あたりに咲くサツキが咲き始めました。

いまだに チュウリップも咲いています。あまりに 多くの花が競うように咲くので

いよいよ地球の危機がやってくるのではなんて 妄想してしまっています。

花はちょっといじめられるほうが 良く咲きます。

野菜でも はじめの初生り物は早く収穫すると 多くの実がつくものです。

 

春になると 決まって食べたくなるのが ウドです。

生でスライスしたものを 父がシャキシャキ音を立てて食べるのを見て

自分も楽しくなっていたものです。

大人になって 富山出身の人から だしで煮て食べることを教わり

ほとんど 捨てるところなく味わえるようになり ほろ苦い春の味を堪能します。

 

 今年は カラスよりトンビのほうが優勢です。環境が変化しているせいでしょうか。

多くのトンビが棲んでくれている蒲郡ですが 今工事が進んでいます。雑木林ができてきていた埋立地が 建造物に変えられていく様は 私には なんとさみしいことか。

以前稲沢市でも 水路がが道路のようにセメンになり カメも鯉も カモたちも死んだり 棲めなくなったりしたことを思い起こさせます。

昔 62歳の私が小学一年生の遠足の時は 丸山公園だったラグナシアのあたりにやってきて 岩の磯で ウミウシや イソギンチャクで遊んだものです。

温暖化で長い暑い夏なのに 木々のない炎天下で 何をして遊んでもつまらないと思うけどなあ。なんて 年寄りだからでしょうかね。

お金をかけて三十年後にはごみになる建物をたてるより とんびがくらせる環境を残すほうが 価値が高いとおもうんだけど 建設業生活がかかった税金の行き先は本当にやっかいです。

 

 

 


登喜子姉さん

2018-04-12 16:37:33 | むかしばなし

最近おもいだしておきたいのは 姉さんの死と政治は とても関連があったということです。

昭和20年代は 貧困と民主主義への戸惑いの時代だったかもしれないとうことです。

父は戦後兵役をとかれ 親元にかえって トヨタに就職したそうですが続かず 英語の教師になりました。当時 結婚しても 給与は安く毎日の食事が満足にできなかったそうです。我が家だけでなく どの家庭も 貧困だったはずです。

そんな時代にうまれた姉は 利発で 夕食時間には 尋ねて質問にやってきた生徒に

お兄ちゃん ご飯を炊く煙が出てきたから おかえりと 帰宅するよう促したそうです。

自分の家族の食事が減るからです。

そんな状況下 母が私を出産するとすぐに肋膜炎をおこし 実家で生死をさまよったそうです。父は姉を最初は学校に連れ歩き その後耐えかねて両親にあずけ働いたようですが 大変だったろうとおもいます。

姉を守るこころのゆとりは 誰ももちあわせていなかったはずです。

 5歳で赤痢にかかり やっとなおって学校に入学しても

わずか夏休みまでの命でした。

両親は岡崎に小さな新居をかまえていたのですが 急に祖父の家ではなく 新居に帰りたいと言い出したそうです。その新居に帰ることができた日の夜 話ができなくなり 高熱で受診したら日本脳炎であることが判明し わずか三日で亡くなったそうです。

私が姉の死後四年たって 小学校に入学すると 決まって先生たちが私を 姉の名でときちゃんとよびました。今でも 姉の同級生は ときちゃんを覚えているそうです。三羽烏といわれるやんちゃな可愛い一年生のひとりだったそうです。

このちいさな子供の死は 戦争のあと 貧困とたたかわねばならなかったことを教えてくれています。

利権を奪い合う悪行の仕置きを将来をになう子供がうけることを 教えてくれています。 あらゆる手段で利益を求める必要が 本当に必要なのでしょうか。

 欲しがりません勝つまでは そう旗を振って 餓死をすること明白で戦争しつづけた原因を いまこの時代につきとめて 本当の勇気とは 将来の子供たちのために持つべきです。

英語を話すは非国民国賊 そんな恥ずかしい常識が 闊歩していた日本中で

良しとしていたことを 忘れず 恥ずべきは 偽りを正せぬことにありと

肝に銘じねばなりません。

 

姉の死は その後の家族に 死はいつやって来るやもしれないことを 教えてくれます。そして 生き延びられるのは 今を大切に 本当のことを大事にする人と

幸せを願ってくらすべきです。 本当のことを探して国を運営しないと まわりまわって自分の将来に災いをもたらすということです。

 

 

 

 


そぎ落とす

2018-04-01 00:54:53 | むかしばなし

人生で困ったことがおきたとき 無意識のうちに 情報をそぎ落とし 生活の食と寝ることに専念してきていたように おもっています。

心配が膨らむのをなだめて 力を抜いて呆然とし 食べて寝ることだけを確保していました。

危機が目前で 回避したいときも 最短でベストな選択をするには 一気に情報をそぎおとします。

ぶつかりそうな車を止める 自分が落ちそうならどう動くか決めるとかです。

 

で 素人のおばさんは AIなるものは どう情報を短絡させ最善な決定をするよう学習させるんんだろう。と不思議でなりません。

 

昨日 4歳の孫がおもちゃのサイコロを見つけました。そのサイコロはすごろくに使うはずのものだから すごろくはないのかというのです。

すごろくなるものを探しているうちに ミニカーがみつかりました。

欲しくなった孫はそのミニカーも手に入れました。

すごろくは見つからなかったので 紙にママに書いて作ってもらうことにしました。

20ほどでゴールするすごろくをつくってもらうと サイコロをころがして

ミニカーを駒にして たのしそうに遊び始めたのです。

 

じがいっぱいかいてある むずかしいすごろくでないこと

アイテムが 少ないこと

あそびに必要なものが明確で 理解しやすいこと

とにかく そぎ落とされていると おちついて 結構難解なはずの

すごろくも 4歳でしくみが理解できるんですよね。

ミニカーが すごろくの駒にすぐ転換したのに 人生のヒントがある。

 

認識で得た情報を いかにそぎ落とすか 次の一手の回答を得やすくするには

このそぎ落としが 人生でも役立つ気がしています。

 

 


つばめの飛来

2018-03-29 00:49:05 | むかしばなし

今日三谷北通りに 燕がやってきました。

くちゅくちゅぎーっと 電線で鳴いています。

いつもの年なら 4月すぎてやってくるはずですが 今年は暑いのでしょう。

花見とチュウリップと 5月のネモフィラと 寒かった冬から一気に初夏までの花がさきはじめました。梅雨に燕が飛び交っていっせいにねぐら入りしていたころのワクワクした気持ちを 思い起こしています。

いまでは 気の毒なほど 虫も消え 巣を作る土もなく 子育てに困ることでしょう。

水田がひろがっていたころとかわらず 燕はどんな環境になろうと かわることなく帰ってくるのですが 申し訳ない。

私の人生一世代で 思いやりのない 感謝のない仕打ちです。

人間だけの都合で 魚も 鳥も 獣も 自分が生産するという 命はそだってくれるのを

都合よく利用するだけなのに 生み出せないのに 生産するという。

いまに 思い知らされるときが やってくるはずです。

 うなぎのように かわりがあるうちはいいけれど 環境の喪失は 多くの命が 一気に生きる場所を失い 大量の命が奪われるんですよね。


クリスマスローズ

2018-03-07 09:53:36 | むかしばなし

初めてこの花を知ったのは 友人のお庭でした。

カナダの赤毛のアンのお家のよううなお住まいで とてもバラやウッドブレアがお似合いで この花も寒い中咲くのがとても印象的でした。

その出会い以来 どこに引っ越してもかならず連れて テラスや庭の一角で過ごしてもらっています。

 

生きていると うつむいて耐えねばならぬ時期が 結構頻繁にやってきます。

この花の姿で 地味でも 毎日の生活をみつめてすごす姿は 美しいものだと

思い返していました。日向ですごす花にはない魅力を感じたものです。

 

三谷の地に引っ越してすぐに植えたクリスマスローズが 三年でよい株にそだちました。たくさんの花を 準備していることがわかり 写真にしておくことにしました。

 

家の裏で わずかな時間 朝日が当たるだけですが とても寒いこの冬を元気にしていたようです。白い花が 人知れず咲いていました。手を痛めて以来 世話もできていなかったのですが 春はやってきていました。

ピンぼけですが 右手の初仕事ということで 妥協して残します。


うかぶ考えの癖

2018-01-03 04:40:56 | むかしばなし
誰しも打開するべき事件がおきると どうするとよいか真剣に考えます。
でも答えがないと 不安と焦燥が襲ってパニックに陥ります。
そんなとき 考えてゆく順序が人によって個性がそれぞれあり 
対応も変わってくるものだと思っています。

自分や友人が 思いついてくれる打開策が 自分をどう導いてくれるのか
順序だてて考えることができるようになると たとえ何が起きてきていても
落ち着いてくるような気がしています。

その友人の打開策を自分のものにできる人は 意外に少ないかもしれません。
でも自分が思いつかないアドバイスを 何度も友人からいただいて今を生きている気がしています。

娘時代には 長い春の恋路を成就して 結婚するまで 現実には思い込みの視野の狭い恋路でも 応援してくれた友人があって 今があります。
難解な主人の母親との格闘が始まりますが この年齢まで結婚生活を続けられたのも
幾多の若き日の友人たちのおかげだと思っているのです。

子育て期に 長い人生があるとして何をするのがよいのか
家をいつ持つべきか 親世代とどうつきあうのがよいのか
教わった気がしています。
ケースワーカーを長年している友人でも 自分の親たちとは距離を保っているようです。
狭い家庭という世界で 親たち世代がしてきたとおりに何事も維持してほしいと願われてもかなわぬことですから 自分のペースを保てる距離を持つ必要はあると思うのです。 

子供の思春期に隣人とうまくゆかなくなったとき 助けてくれた友人は
いつもフランス人のように論理思考で 尊敬しています。
娘と私とは人格も志向も違うのに 親だから同じように管理されているはずと
思われがちです。そこを 勇気をもって表現してくれたおかげで 今があります。
どうしてもいい人ブル私に対して 娘もおなじと勘違いし 誤解を生んでいたのです。
そんな飛躍をかなえてくれた人ですから 
活躍の場をさらにひろげてほしいと 願っています。

助けてくれたひとは 他にもたくさんいるのです。
存在してくれているだけで うれしい気持ちになる人も たくさんいます。

で これから 素の自分が 何者なのか どんな思考経路が癖なのか
みきわめて 姑との格闘にいどまなくては ならないきがしています。
どうやら私は 起きてもいない最悪を最初に想定しがちです。
そして 起きてきたことを どんどん人に話して忘れていく はきだして忘れて
おもいついたことを 淡々とこなす感じでしょうか いやいやでも 決めたことは
だれだって 続けていくものですよね。で 高跳びができない。
逃げるか 突き放すかしなければならないときの一発がないんです。

誰も傷つけたくはない 穏便に豊かに暮らしたいのです。
でも それは相手あってのこと 穏便ばかりが解決ではなく どこまで
自分をどう表現し 妥協や打開にもちこめるか いよいよ自分の正念場になりそうです。

実は結婚当初から この危機をつねにかかえて生きてきました。
自分の恋路を成就させたはずが とんだおまけがついてきた感じで
時代の違う 考えの違う家族を どうまとめていくのか 苦心惨憺してきたつもりです。
幸い主人が 離れる逃げるを繰り返してくれたおかげで助かっています。 
主人の父も 言葉にはしなかったのですが 多分助けてくれていたとおもうのです。
どんなお宅の嫁姑でも 多少の違いはあっても多分同じように課題があるでしょう。 
自分に残されたのは あと少し でもあと少しが結構過酷です。




文学の意義

2018-01-01 00:07:52 | むかしばなし
小説を読んだり 他人の見解を聞いたりする時間をとることは 
主婦にはなかなか難しかったりするのです。
姑とて多分同じで ついつい掃除や洗濯がきになり 庭の草取りのほうが優先です。
でもケガをしたり 病気になると 長い一人の時間が生まれ 
本を手に取って読むことができるようになったりします。
今回姑がけがをして 90歳になるのだけれども
病室で 本を枕元に置いているようでしたので 
そんな時間がやっと訪れているのかもしれないと 
少しほっとした気持ちでいます。

その文学をするということは 実は自分の考えを 他者の観点から眺める機会になったりするものです。今まで 何度か自分の考る方向性とか つらい日を過ごすとき浮かぶ考えとかを
軌道修正したり 危機を避けたりするには 文学はとても役に立ってくれていた気がしています。テレビドラマでもそうなのですが  映像で見てしまうと やはり他人ごとで終わりがちで ゆっくり小説で想像するようなわけには いかない気がしています。
  
人生は一度だけで つらいことも毎度ちがう困難だったりするものです。
文学で自分の経験できていなかった体験を読み解いておくと 
立ち直るヒントがあったり
さらなる悲劇を回避することを思いついたりできる気がしています。

私は 子供のころは 両親が死んでしまったら明日からどうしようとか考える癖のある
とても悲観的な子供だったのですが
本質的には常に 今おきる最悪は何かと考えやすいのですが
小説で困難に立ち向かうひとは 楽天的なことが多く そんな小説を読み重ねてきたことで
自分の体験も重なって 今では結構楽天的に動けるようになっています。

姑の癖は 他人の欠点がみつかると ほっておけず 何度もくりかえし攻めてしまったり
困難な状況におかれているのに 欠点を指摘して 二度と会いたくないと思われてしまったり癖があるようでした。でも 90歳であっても 自分のおかれた状況をうけいれて
人のお世話にならなけらばならなくなれば 他人のしてくれることが許せなければ生活していけません。

年老いたら 自分で何でもできることが立派ではなく 他人にお願いするためのおもんばかる気持ちも お願いして、たとえ思うようにならずとも だいたいで許し、感謝に変える力が必要になります。

健康で何の苦も無く過ごしてきても いつ襲われるかもしれない災難に
立ち向かう工夫や 人間の本質をとらえて 自分のおきている心の状況を判断するには
やはり小説のような疑似体験が 役立ってくれる気がしています。

正月でも今年はろくに準備もできず 暮れからの掃除も終えられませんでしたが
姑の本に興味を持ってもらえたことが ちょっとした喜びになっています。