楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

90歳の人々

2017-12-25 23:25:50 | むかしばなし
60歳ともなれば 昔は少し腰が曲がり
70歳になると 寝込む人もおおくなり 
母たちが介護をした時代は食事の量が抑制が効かなくなったり徘徊を始めた老人を
 家の一部屋に閉じ込めたり 
今のように 紙おむつを利用することはできず 
近所の手前 昼間の洗濯場の使用ははばかられ
夜中に汚れ物を洗ったりしたものでした。

それからすれば 介護環境は格段にすすみ 夢のような状況なのに
介護施設の利用をできれば避けたいのが 現代の90歳代の人の
心のうちらしいです。
自分のことを真剣に自分でして あるひ急変して亡くなる人も多くなっているようですが
介護施設で預かっている人の話では90歳はまだ若いという話も聞きます。

介護施設に入所したくない90歳代に限って 自分のこだわりが強く 
なかなか若い者の説得を聞いてもらえないところがあるようです。
現代の60歳代は 目下自分の衰えもさることながら
生き延びる力にたけた90歳代の攻略に四苦八苦している人も多いのかもしれません。

若くても 明日は 生きられるかどうか 本当は約束されたものではないのです。
でも 若い人に介護を期待されることは事実です。

60歳になった今日をとにかく心静かに過ごしたい。
さらに 自分の人生を大切にして 遠慮なく自分のペースで過ごしてゆくつもりでいるのですが かなうのでしょうか。
 困った状況は家族である以上 手を差し伸べて 介護もしてゆくのですが
 現代に積み上げてくれた社会の仕組みを利用させてもらって 
お互いに傷つけあうことのない毎日をすごすことを目指そうと考えています。

年を取ると自分の置かれた状況を 相手の立場で考えることができなくなるものです。
自分が息をしていることでせいいっぱいなら
 だれしも 自分のペースを守ろうとするものです。
さらに 老齢になって脳の抑制が効かなくなるものです。
 遠慮や配慮ができにくくなるものですから
思ったとおりしてもらいたいことも 自分中心ですし
はきだすセリフも 若き日にもどって以前から思っていたままになってしまいがちです。
これが 結構おつきあいするに堪えられなくなるんですね。

家族でないほうが 慣れない人のほうが 介護者の人格が保てたりするので
いまでは 看護もローテーションが頻繁になり 
ナイフ ハサミは病院に持ち込めなくなっているようです。

私もどうどこまで つきあえるかわかりませんが
表現のしかたで 状況は違って見えたりするものです。
姑と よい表現を思いつく距離を保ちたいですし 
神仏のご加護もお借りして 姑との格闘に突入することになりそうです。
昔の介護に比べれば なんくるないさで。
まずは 老夫婦がすごした台所の清掃に格闘しています。





たてつづく葬儀

2017-12-05 20:29:48 | むかしばなし
戦時中を生き抜てきた人たちの人生が終焉を迎えてきています。
我が家でも 叔母さん 義父 叔父さんと 今日で三人が亡くなりました。
見事に 長病みするでなく ことりと。
戦時という 生きるか死ぬかの瀬戸際を乗り越えていきてきた後を
夢のような世界に ひょうひょうと毎日をすごして 老後も
たゆまず日々を大切にし 私には とても素敵なプレゼントをもらった気がしています。

毎日 庭を掃き 部屋を掃除し 食事を作り 家屋、衣服のほころびを直し
お金儲けにならずとも 怠りなくすごしていた姿は これからの
老いに向かう私にとって 安堵する姿です。

それは 死んでいった家族 友への 真摯な姿勢だったと
感じ入っています。
各国のお偉い方も ぜひぜひ真摯に日々の暮らしの続く生活を
大切に考えてほしいものです。 


姑の災難

2017-11-24 23:41:35 | むかしばなし
主人の日曜参観が 姑が一人住む家に続いていました。
ところが 水曜日 自転車に載せてゴミ出しをしに 自転車ごと転んで
とうとう 二本目の大腿骨手術を受けることになりました。
今後はどうなるか 本人 とても不安そうです。
主人次第ですが 自己主張の強い 筋金入りの姑ですから
世話に奔走するにあたって 心しないと自分を見失います。

姑に以前から 乳母車で 生活移動をするよう勧めていたのですが
いただいた乳母車はお蔵入りでした。
そうはいっても 自分で足腰のメンテナンスできていたのです。

どうやら姑はせっかちで 四十代から車でどこでも移動し 夫婦でいつも過ごしてきたために すぐに思うことが運ばないと不安なようです。
自転車が得意ということもあって 90歳になっても
電動自転車を購入して 2キロの範囲なら どこでも移動していたのです。

でも 90歳ですから 筋力体力は衰えていたのでしょう。大腿骨頭部破損です。
自損でしたので 幸いだったとしか慰めようがありません。

姑の様子を見ていて 自分に振り替えてみると 心掛けておくべきだと 感じています。

85歳までに獲得した習慣 危険安全に判断基準は とても重要だということです。
その後は 獲得した習慣を維持することはできても
 あらたに学習する能力が衰えてくるからです。ですから 世の中が便利になれば
85歳以上は取り残されるということです。

自分は そこまで いきれるかどうかは 別ですがね。

整形外科の世界は 目に見張るリハビリテーション力です。
大腿骨の金属補強術は いとも簡単に日常的におこなわれ
14日間で ルーティーンができているようです。
昔は大変で 術後の回復は見込まれないことも多かったものです。
姑が そのスケジュールに乗れるかどうか 
さらなる悲劇が起きないことを願っています。

主人に私の行動や言動が 先行することを避け 思いやりは少し発揮して 
姑のちょっとした勃発する挑発発言に翻弄されないよう 
何事も なるべく 言わず 聞かず 見て見ぬふりして 
過ごして協力してみたいと思っています。

姑の本心は 所詮わかりませんし 思い込んで努力を空回りさせていると
腹を立てることになりますから 達観してことに当たれるとよいのかもしれないと
思っています。




名古屋市の大塚屋さん

2017-11-16 00:13:20 | むかしばなし
主婦をしていた30年前は子供服を買うお金もあまりなく 夜なべをして自分で子供部ブティックなる雑誌を購入し 作ったりしたものでした。
同じ年頃の仲間と 工夫や情報を交換したりして お茶会したものです。

洋裁の技術は学校の家庭科と叔母から見様見真似で得たものだけですから 
困ると友達と よくデパートに購入ではなく 見学に行ったものです。
見返しの縫う手順 裏地の扱いなど 購入ふりして見てくるんです。
最大の功績は カシミヤウールのオーバーコートでした。

そんな痕跡である 新聞紙で作った型紙が 引っ越し残骸から出てきました。
3歳児 五歳児の綿ズボン 6歳女児の入学服 紳士のシャツ 
何度も繰り返し使った家族のパジャマの型紙です。
今より若かった分 几帳面に作った記憶がよみがえり 
懐かしくほろ苦い思い出がよみがえりました。
お出かけの旅費でいっぱいいっぱいだったので
 服は安い時期に購入した大塚屋さんの服地で 
高級にちょっと見える服をねらって勇気を出してワクワクしながら作ったものでした。
よほどたやすくできるが 値が張る定番の寝間着とか
生き地を安く購入して入学式の服とか スーツとかつくらなければ 
買ったほうが安いのでは割に合いません。
で 高い布を一発勝負 裁断に緊張したものです。
失敗すれば 自分の責任 家計に響きます。

今では 型紙はビニールにしたり クリアファイルにしたりできますが
わかりにくいけど 文字列でゆがみがわかるという理由から 新聞紙で型紙をノリで張り合わせて作ったものです。

チャコペーパーまで出てきました。( ´艸`)

そんな折 先日久しぶりに名古屋千種駅近くの服地店大塚屋さんに久しぶりに
出向きました。娘の三人目出産で 対費用として
 久しぶりにパジャマぐらい作らせてもらえるかもしれないと
思い始めたからです。
かわらない風情で当時あった店頭のたこ焼き屋さんかどうかわかりませんが
 お団子とたこ焼きを売っていて 購入してしまいました。うれしかった。
 
 今では 布地の購入単位が30センチという方が多いのですが
お客さんでにぎわっていました。

この激安衣服時代では作る意欲もわかず
服地を購入する人も少ないでしょうが
一時期から 立ち直って 元気を取り戻したように感じました。

日本の女性の洋裁へのあこがれは戦後すごくて それまでも自分で自分の衣服を縫うというこだわりは 歴代培われたいました。
その後の服飾の勉強は 財産だと思っています。
でも 一般の購入者が技術を読み取り評価できなければ 良いものは育ちません。
母や叔母たちが 洋裁指南書を片手に ミシンを動かして 細部にこだわっておしゃれを楽しんでいたことも
楽しい思い出となっています。
サイズ感 着心地 それに自分を美しく装う楽しさは
幼い時から 洋服 被服 服飾を 
知らなければ 楽しむことができないと思います。。



 

しあわせな親子関係

2017-11-04 23:52:22 | むかしばなし
子育てをする時期に いつも心掛けていたことがあるのです。
 
子供の失敗や いたずらや トラブルを起こしたとき
訪れる戸惑いや 直面する不安に襲われるものです。
足りない自分の知るべきことは何かとか
 自分の子供ではないとしたら どう考えるかとか あれこれ

足りないことなんて ごまんとあって 解決できるわけもなかったです。
自分の子供でないとしたら 悩むことなんてない ほんの小さな親の取り越し苦労だと
思うこともしばしばでした。

でも 襲ってくるのが 
小さなささいな過ちの延長線上に 何が待ち受けるかという不安でした。

たとえ小さな過ちでも 見逃し続けてしまったら 盗みを犯したり 人を欺いてしまう人になるかもしれないとか 
こんな判断をつづけて大人になったらどうなるんだろうとか。

そんなとき
どこかに 授かりものなのだから 責任は自分にあるけれども 
いつか自立して生きてゆく人なのだと考えように心掛けていました。
そのために なすべき叱る行為とか さとすべきかとか
子供には迷惑な話だったことでしょう。状況はこどもにあって 自分にはないのですから

今思えば 子育てに成功も失敗もありません
ただ懸命に今をいきて いっしょに家族としてすごすだけのことでした、
子供というのは
どんな状況が待ち受けていようと 共に過ごす覚悟を与えてくれる 愛すべき対象であって 良いとか悪いとか 結果を求める対象ではなかったということです。

今思えば よりよい人生を送ってほしいと祈ることで 自分を高めてくれる 本当の自分を見つめなおさせてくれるのが 子供なのかもしれないと思っています。

で 長年心掛けていた 授かりものだから 自分から巣立つに役立つようにと考えていたことは 自分を見つめなおすのに役立ってくれていただけ
ということのようです。

教育の無償化

2017-10-10 07:55:22 | むかしばなし
自由で闊達な経済活動をうみだすには 広い分野で 互いの特化した経験や発想をやり取りして
行く必要がありそうです。
いってみれば 古くて新しい生活をしていくことを めざすのがいいのではとも思っています。

生命を食べ 空気を吸い生きています。
 人間ももつ遺伝子を より良い状態で継承して保つためには
何が必要かと考えれば もう少しいますべきことが見えてくるのではないでしょうか。

子供のころ 同級生に網本の漁師の息子がいました。
彼は勉強も良くでき おおくの人から信頼されていました。
漁師になるのだから 大学へは進学しなくともよいといわれていたのですが
時代が高学歴を良しとするふうちょうでしたし 優秀でしたので進学したようでした。

一方 あみもとではありませんでしたが 毎日網の手入れをし 着々と漁をする父親を持つ人がいました。子供ながらに その親子の誇らしいほどの手さばきと 沈着な視線を今でも思い起こせるほどです。

ここまで各間に何度もチェックが入るように 記事が破棄復元を求めてくるのですが これって言論統制ですか どうなってるん。

網本の嫡男は 時代にのって職を得て幸せになりましたが
性として漁を受け継いだ方は 海岸の埋め立てで 漁場は漁協に従うこととなり
どうしても 漁をなりわいとして 売りに行ってしまい 自分を失ってしまわれました。

人と同じことをして育つことが これからの世代を 本当の意味で幸せにするか
勉強の内容をどうすれば 多くの生き方を肯定して 互いを高めていける世の中になるのかを
一度確認しておかないと いけないような気がしています。

無償化となれば 誰もが学べるように感じ 聞こえはよいのですが
そのことで 一辺とうな教育になることは否めません。
遺残 国の統率のもとで 戦争をしていた時代勝つまではと教育していたことを 忘れてはいけません。
さらに 農業を家庭で継承し 漁業を親子で伝授することが 失われたことも
思い起こして 国の施策をきめてほしいものだと 思ったりしています。 

千手観音

2017-10-05 00:16:25 | むかしばなし
千手観音

高校受験のころ 合格祈願に訪れた時は 荒れたちいさなお寺でした。
かわいい地蔵様が並ぶ 明るい寺となり さっぱりしすぎた感があるほどです。
今日は 娘の安産を願って お参りに来たのですが
あまりに稲穂が美しく スズメバチやトンボ とんび モズにヒヨドリと
人は見当たりませんでしたが 多くの動物に出会えて 豊かな一日となりました。

夕方 散歩にでかけると 満月がきれいに大きく見え 
夕焼けがきれいに広がっていました。

けちけち

2017-09-20 19:37:12 | むかしばなし

以前使用していた電子レンジは 自動機能が失われ さらに あたためがあやしくなってきたので処分しました。その基本トレーを できごころで台所で使って見ました。

 まな板も 食材も このトレー内で処理することで 調理台の天板がよごれません。
調理中のこぼしも このスペースでおさまります。
きれいな白の鋳造の焼き物なのか 汚れにくく 熱いものも置くことができ
天板に 調理中の水が とめどなく広がることはなく 快適調理ができます。

なんども お皿からこぼれる量を このトレーで受け止められるよう 
実験済みのサイズなのでしょうね。
今 使っているレンジは もう こんなトレーはなく フラットです。
でも このトレーは これからずーっと 私の調理を助けてくれる気がします。

何気ないことですが おろそかにしない工夫が 歴代の家電に
足跡が残っている気がします。

古い時代のアナログ的な商品でも いざ被災すれば貴重なアイテムですから
どんどん実態が消えるデジタル記録だけにしてしまうのは 残念過ぎる気がしています。

電話でも せっかくある信用と 電気がなくても使えるメリットは
きっと いつの世になっても 役立つんじゃないのかなあ。
なんて 老婆心を起こしています。  

結婚してこころがけてきた事

2017-09-10 23:38:51 | むかしばなし
誰にも打ち明けたことはありませんが
二つの願いをもって かなうよう結婚以来 心掛けてきました。

一つは 自分が家族に求めることを実行
主人の両親に 自分の親にしてあげたいことはする。

もう一つは 子供が授かったのだから この命が社会で歓迎される人となるよう
育てさせてもらおう。

この二つです。

主人の両親が感じることをおもんばかったところで
違いや行き違いや 誤解が生じることは 避けられません。

ならば してあげたいことを最大限考えて 自分が納得できることを
後悔しないようすれば 良しとしようということです。

時代は 母たちのころのように 嫁ひとりが抱え込むことは求められず
不満はいろいろあるとしても 社会が協力してくれるようになり
その恩恵は 我が家を幸せにしてくれています。

子供の悩みは どうしたら迷惑をかけたり犯罪を犯したりしない人間が育つだろうか
その 一点でした。異常だったかもしれません。
立派な人のお子さんでも 時として犯罪を犯してしまう子息が育つことは
不思議であり 自分には恐怖でした。
親が 言葉でいくら説明しても 時として額面通りには伝わりません。
子供が自分から 身内や社会に対して肯定的に育ってくれなくてはなりませんが
どうすればよいのか その確証はどこにもないと 感じていたのです。
勉強の成績とか 運動の結果とか 立派に活躍してくれていたのですが
喜びには至らず
こころ そこにあらずでした。

今 子供も三十路を過ぎて 安堵できるように やっとなっています。
でも この心配は この世を去るまで 心配してゆくことになりそうです。
心というのは 追いつめられると 急変する
何事も 追いつめない工夫をするのも肝要で
あるときは 神様仏様に心をあずけ 苦難の日を通り過ぎることも 一手です。  
信心するのは ご先祖の知恵というものなのでしょう。    

流用マット

2017-09-10 00:12:23 | むかしばなし
引っ越しをすると 三年は何かと物の置き場所や 部屋のレイアウトがしっくりこず
三年くらいごそごそ工夫を繰り返すと 落ち着いてきます。
そのせいもあって 歴代のマットや敷物 家具は 引っ越し時は急がず過去のものを流用し
3年の間にゆるり決めることにしていました。

で 我が家では 流しのすのことして売っていて 散々使ったマットを 玄関階段の泥除けに
十年使ってきたヨガマットを 濡れる台所とかお風呂の脱衣場に 流用してきました。
ヨガマットは さらに 寝ころび場所に好きなサイズにハサミで切って 飾り切を施したりして
無地のものを買い足しました。

使ってみたら 安くて長持ちで 快適です。
ヨガマットは洗えますが 水をよく吸い絞るのも大変で乾きにくいです。
でも その分 床は守られ 薄手のものなら比較的転倒も防げます。

そして 三年使ったよごれ 洗剤に十薬、ドクダミの生葉をすり込んで入れたもので洗ったところ きれいになりました。

以前 古屋で活躍したどくだみが 復活です。
化合物ものに うってつけです。