楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

神様に選ばれたかの命

2016-08-10 00:17:24 | むかしばなし
つらい誰もが助からないだろう状況におかれた人々の中に わずかな可能性を
生き抜く人がいる。
たとえば 広島の原爆被爆者 坪井氏のような方だ。
そして そのつらい体験をのり超えて 後生に伝える役目をになっておられる。
想像するだけでも心は はりさけそう。

理解されぬ原子爆弾の無意味さ。地球をふきとばすほどの原子爆弾を所有してどうするんだろう。
大地を 生き物を寄せ付けぬ地面にし 
長年にわたって ありとあらゆる遺伝子に影響を及ぼし
原子炉も原子爆弾も ただの電気をおこす機械でも ただの大きな爆弾ではないのに
 なぜその存在を必要とするのか
人の愚かさに 愕然とする。

この地球は限りある命だから すこしでも協力して大切にすべき
そう地球が悲鳴をあげているのに 残念でならない。
どんな環境で生活すると 戦車を動かしたくなり 人を撃ち殺したくなるのだろう。
みんな誰しも死ぬんですから 生きてることを大切にしないとねえ。
領有権とか領土とか クジラも鰯も主張しない。生きるためだけ食すだけ。

さらに 歴史をぬりかえる役目を果たす命もある。
あたかも神様から選ばれたかのような命だったりする。
誰かぬりかえてほしいよ。


誰しも人に言えない表現しきれない体験を一度や二度するのだけれど
必ずや乗り越えていなければ生き残れなかったりするのだけれど
その道のりは それぞれで まちまちで
わかりあえるところまで
親子でも 兄弟でもいかないものなのかもしれない。

とはいえ 少しでもあきらめず
たゆまなく理解しあえるよう努力したいものだけれど
距離があるほうが 過ごしやすかったりするもの。

自分にも ひとつやふたつ御役目いただいて 
生かされているはずなんだよなあ。



お金と権力

2016-07-31 23:23:03 | むかしばなし
人はお金のこととなると 人格がかわるのではと
良く思ったことが何度かあります。
兄弟げんかや 親とのいさかいに お金は火種を作るようです。
そんな性格のお金 経済学という学問は どのように勉強するんだろうと
この年になってやっと 興味がわいてきました。
今までは 働いた分をこつこつ始末して使って 貯蓄といってもわずかなもの
儲かる話しにのると損をし 第一に興味がなかった。
でも 人生の最後で そのつけがまわるのかもしれない。
そんな予感がしているのです。

理由は国の借金が いつどのように襲うのかと感じているからかもしれない。
税金を拠出して それを待ち構えている運用者がいて
働いた対価に相当しないお金が株価となって化け物のように動いているようにみえるんです。

国の巨額なお金を短期に動かして運用で利益を望めば
多くのあぶく銭ができて まじめにコツコツ働いてあげる利益を
吹き飛ばしてしまわないのだろうか。
いってみれば 国王が牧場の餌をたくさん購入し 
ちいさな牧場主に高値で売るような状況。
地道なこつこつとして利益をあげる店の商品を 
もうかるからとたくさん買ってたくさん売れば
とどのつまり安値になるのではと。
アメリカは経済学的な運用で 貧富の差がおおきくなりすぎ
使いきれないお金をもつひとと 仕事で給料をもらう人との差がありすぎて
お金が生活上で うまく動かないのではないかしら。なんてね。

政治は今まで お願いがあるとき
聞く耳をもってもらうために 物やお金をもっていってたけれど
それは できなくなったんですよね。
自分の利益になることを お願いするのは 利権がからんで
いけないとも。

これからは 政治家にしてもらいたいことを主張するには それなりの哲学的動機
説得できる内容 必要であることに論理的理由が成立しないと
聞き耳をもってもらえない。そうなったのかなあ。
運用は地道にって どこにどうお願いするのかしら、


よほどの勉強を国民一人一人がしないことには
利権がからむ政治からの脱却はむずかしそうです。

アフリカで治安維持の教育って どうゆうこと その先どうなるの。
教育とは安易な実践だけになると おそろしいですよね。
そんな こんなが 妄想できちゃいます。 






個人年金に所得税と市民税

2016-07-27 14:38:02 | むかしばなし
もう二十年も前だろうか
個人年金が節税になるとききはじめた
確定型の個人年金
年齢がきて 支払われた
その 利益部分に所得税がかかり年間七十万ほどの年金に
四万ほどの所得税がかかっていた。
あーあ あきらめろ 貧乏gamiは受け入れろ。
そう思ってきた。

それが 主人が60を過ぎても働くこととなり
収入がないから主人の扶養になったと思っていた。
ところが この収入で扶養にならなくなり さらに 
個人の所得として市民税も支払うこととなった、
年間七十万でですよ。
むろん 支払い済みの四万の所得税は税率が高く
個人の所得として 申告すればかなり帰るらしいが
その 煩雑さと 利のなさとを考えると ため息が出る。

とにかく 個人年金のかなりの方は 所得とみなされることをお忘れなく
ということなのだろうか。

税金を支払った所得で貯めたお金を 運用すれば運用した利益に
税金がかかるということなのだけれど
そんな話は 加入時にはないので お知らせいたします。

上をむいてあるこう

2016-07-13 13:26:34 | むかしばなし
時代の転換期には その時々の代表的な人物もこの世から
先に行くことが多い気がしていました。

戦争がどうやって進んだのか 教えてくれずに この世を去ってしまうのです。

私の父も ろくに何も語らずに 自分だけ民主教育とは何かと懸命に模索して
あがいて 病んで止んでいきました。

ひたひたと 暴力の時代が 確実な足音をたてて やってきています。

暴力はいつまでもふるい続けると 食べることも寝ることもかなわぬようになり
とどのつまり 反省と後悔にさいなまれて逝くことになるのですが。
暴力を始めるのは いともかんたんなのです。
私と お前とは違う。
これです。

人々は 目も鼻もおなじようにあり 口も声も発し合うことができて
食べて排便して寝るのは生きている限りするのに 
理解し合えない言葉と
脅しと蔑視によって この世のほんのわずかな時間を 勿体ないことに
費やすものなのでしょうか。

どうしたら わずかな食料をわけあい ともにいきる時間を分かち合い
喜びの連鎖をうみだすことが できるのでしょう。

政治に 意見を戦わせる必要があるのでしょうか
戦うのではなく すりあわせる 理解しあう方法を見出す
それこそが 必要とされていて 二分したり ののしり合ったり
溝を深めたりする必要は 全くない時代に入っているのではないのでしょうか。
安部首相が権力が絶大なのにもかかわらず アナウンサーを
野党を誹謗するのを目の当たりにして
 残念で悲しくてたまらない気持ちで拝見しています。

戦後は 思い出したくもない時代です。
でも 稚拙ではありましたが 戦後を耐えて
テレビがうまれ みんなで笑いあい 理解し合い
勉強になる存在ではありました。
若者の先行き不安は 以前も同じだったかもしれませんが
大人は戦争の終結は 負けで残念でも あかりがともった時には
ほっとしたはずなのです。

おわすれ

2016-07-04 22:10:47 | むかしばなし
国会前で安保法制の反対をしたことも
もう テレビ報道は 忘れてしまったことのようです。

東日本大震災で 原発の事故処理に困っていることも
どの政治家にも聞いてもらえない 忘れてしまったようです。

阪神淡路大震災で 多くの倒壊家屋が 非シンメトリーの構造家屋だったことも
小さな安普請の御家がどんどんできて 忘れてしまったようです。

そして 架空の税収で 国を運営したいという
驚きの発言が記者の前で 素通りです。

家計でいえば 収入が入る予定だという父ちゃんの昇進をもって 家計が潤うまで
子供の給食費も 犬のえさ代も 待てという政策。

そんな国の運営を掲げる政権が 第一党だなんて
 戦時下の国民じゃあるまいに残念すぎませんか。

でも 投票したいところが ない。
なぜなら 
これから どうするのか できないことは言えないから
どこの政党も 本当の打開策が示せない。
失敗を恐れるからなんでしょうね。
どうせ 負けるなら 大風呂敷でまけたらいいじゃない。

できないことも まず 口にしないと 始まらない。

沖縄の基地から 始めたから失敗した民主党。そうですよ
でも 避けられない。
原発の処理は 誰がやっても難しいから政策にできない。
どうしてくれるんです。このままどんどん避難解除でいいんですか。
それが 問題なんです。質問して下さいよ。

政治で ボタンの掛け遅れをしていたら
小さな国に どんな先行きが待つんでしょう。

環境問題 もう待ったなしですよね。



孫の水着

2016-06-05 00:41:18 | むかしばなし
娘の孫が水着を用意すると聞いて 思い出しました。
もう成人している子供が 小学校一年生 四年生 五年生と引っ越しでした。
学用品が少しずつ違い 毎度新学期だったので 助かったけれど
いろいろ 何度も買い直したような気がします。

生きてるだけで精一杯で 細かいことはというか
引っ越ししてきたことすら 忘れているというのが 実情なんです。
でも 振り返れば 良くも悪くも
すごく日本的な学用品という存在です。

どの地域も 長年親の代から住んで 制服や必要な学用品を
長きにわたって仕入れてきた地域の衣料品店がありました。

その衣料品店が商工会で認められると 制服とか靴など仕入れをして
必ず売れる商品ということで 長きにわたって規定になり
そういったお店で
買うようになっていたようにおもいます。
ですから 必ずご近所で踏み込んで細かい先まで
聞きまくる癖になっています。
子供の単身も含めば9回は引っ越ししているので
何十年も前から住んでいる人のようだと よく言われるようになりました、

さておき
今では 地域の商店も 制服だけを扱うだけになったり 
商売を引き上げているところも 多いかもしれません。
でも 商工会で必ず責任もって用意されるはずです。
地域の方に相談すると 教えてくれたものです。

いやはや 利便性から
既得権ってものが 学校から
すでに はじまっていたんだと そして 今でも結構
脈々と 平等とは 同じ物を身につけ同じものを食べる
そのように扱うことと 勘違いされているのかもしれません。

平等とは サイズや外見 持ち物や能力が同じでないといけないのではなく
違いも認めて解りあう権利のことなのではと 思うのですが
ちょっとした違いを 平等でないと騒ぎ
スマホで授業する時代になっても
教師自らいじめの種にする そんな学校の用品では
残念なことです。

 

税金の使われ方

2016-05-17 23:59:22 | むかしばなし
税金も命も差し出して 戦争をしていたのも
つい70年前。
それに比べれば どんな使われ方でも ましというものです。
それにしても 国ごと コンサルタントに一杯食わされて 
オリンピック招致成功って感じなのでしょうか。
心配です。

そして 子供のころは 近所のおじさんとて
松の木の手入れの仕方は ご存知で 存じない方は馬鹿にされて
よく知るお方に お願いできました。

この時期になると 脚立にのって 松のみどりつみをしていたものです。
松は切っても新芽をふくことはないことぐらい 誰しもの常識でした。
松の手入れは 幼木期にしっかりすると その後は美しいので
子育てと同じように 夕べに投影した姿をみて 払う枝を決めるのだと
爺様たちの会話で聞いたこともあります。

ところが 今では税金で維持される公園の松でさえ このありさまです。
こうしたいのなら 植えないほうが良い。

勉強もせず 調べてみようともせず
手入れをする人の 知らぬということを お許しください。
ちょっとした本屋に スマホの検索に
 松の手入れの仕方くらい見つかるんでしょうにね。
まさか 松島の松は大丈夫よね。

 

ペンキ塗り

2016-05-08 23:39:13 | むかしばなし
もうBESSの家にすんで
一年と半年もたってしまったので いよいよ
外壁の塗装をと いさんでペンキ塗りをはじめました。

まずは 足場をと
おおきな脚立を買って 貸出軽トラで帰ってきたのですが
いざ 使おうとすると 小回りが利かず 不便なことがわかりました。
被災すれば 必要になるかもしれませんから  返しませんが
息子の勧めのように 中くらいの脚立も買うほうが良いことがわかりました。

窓と 腰をマスキングして 
脚立を動かしたり 降りたり登ったり 婆ばには ちょいと堪えました。
あー 業者さんにお願いするほうが 安全でよかったかもともおもいました。
しかし 動けるうちは なんでも挑戦するのが
私の流儀。
それにしても 昔の梯子は便利だったなーなんて
おもっちゃいました、
多分いろんな
事故で より安全なものにとなったのでしょう。
保障もついてるのかもしれません。
でも 自分の責任で はずれそうな古い梯子を使って
屋根のていれや 雨といの掃除をしていたころが
 懐かしくおもいます。

ヒーふーしたたら さすがの主人も洗濯ものを干したり 
出かけず お手伝いしてくれました。
苦手なことを やってくれとせがむより 自分からそのきになってくれることが
一番です、

ペンキは どこから塗っても どんなふうに塗っても
たいして 失敗しない処方になっているので 適当で一面だけで今日は終了です。
しかも 上は脚立選択不全のため
塗れずに終わりました。

また 良い天気に気が向いたらにします。 




2016-05-01 23:17:46 | むかしばなし
今日の散歩で ゴールデンレトリバーと歩く男性と出くわしました。
その犬は 結構年齢が言っているようにも 思えました。

もう 公園を出ようとしていた様子でしたが
犬は 私の姿を二三度振り返り 知り合いかなーといった様子で
見つめてきました。尾を下ろし ゆっくりとした足取りで 歩いていたのですが
立ちどまろうとしました。
飼い主さんは 理解してか いっしょに立ちどまり
私が近づいて歩くのを 少し待ってくれるようでした。

すると 待てを指示されたかのように おすわりし 
にっこり笑うように 見つめてくれたのです。

驚きました。
こんな経験は初めてでしたので 
あら ご挨拶してくださるのと 声が出てしまいました。
驚く様子もなく 座る犬に 飼い主さんは 人間が好きなんですと 答えてくれました。

思い出をひたるように 犬と飼い主さんは ゆっくり歩いて
帰って行かれました。

何故か いまになって 奥様の姿を私に重ね見たのかもしれないと
勝手に 思ってしまうほどです。

犬といえば
私の父親は大の犬好きでした。
犬は好いてくれる人を理解するのか よくなついたものです。
父の指示に応え それを喜びとし ボール拾いも
お手や伏せも 餌をあげるでもなく
どの犬も 聞いてくれ 
父はよくブラッシングしてあげていました。
私の方は どうも おっかなびっくりでしたが。

穏やかで よい時間だったとなあ。 

孫の一年生で思いだしたこと

2016-04-14 23:53:47 | むかしばなし
孫が一年生になり 娘は自分の当時を思い出したようです。

二十数年前 お金がなかったので 徹夜で親子の晴れ着を
縫いました。

娘は 薄いグリーンのセーラー襟のワンピース
私は チドリ格子のシャネル風上着 スカートは技術がないので
黒いものを使いました。

それでも そんな貧乏だった訳ではないのです。

それが 父兄会も よく説明を聞いていなかったのか
娘は 金曜のお米の日に 私にご飯を持たしてもらえず
ひもじく おかずだけを 当分の間食べていたらしいのです。
つい先日聞いて びっくりでした。
のんきな 親だったようです。

あれまー そんなだったかしらと
息子に尋ねると 僕は経験ないよ とのことでした。

息子は 入学翌日には 自由帳に 友達の名前と
電話番号が並び 帰宅と同時に
電話攻勢で遊べる友達を探していた人ですから
たとえ ご飯を持たせなくても 分けてもらっていたのかもしれません。

五十四年前の自分は 学校のトイレが怖くていけず
一日中我慢していて 帰宅寸前になると おもらししているような 
情けない子だったようです。

弟は 新学期始まって 一月立たたずの時期に
シーソーに足を挟み 
学校から はいはいして 
複雑骨折したかかとを ひきずって帰ってきた記憶があります。1.5キロの道のりです。

困ったことがおきても まだ表現できない時期です。
頼るという判断も できない時期でもあり
親からはなれて ほんのわずかな無防備な瞬間に
危険が襲う時期でもあります。

孫は保育園で鍛えられていて きっと上手に過ごしていけると
感じてます。
さらに 親は 少し のんきなほうが よく育つのかもしれません。