楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

学校の授業という場

2013-01-23 12:58:53 | Weblog
先週のイタリア語講座を 偶然きいていると
イタリアでは 音楽の授業がないという。
楽譜の読めない歌手も 立派に存在しているという。

そーだ 実は 昔から なぜ 授業がこんなに 窮屈で
覚えていることがこれほどまでに 必要とされるのか 
心の奥底で抵抗を続ける自分がいた。

本当の音楽は 楽譜の上にはあらわれない。
また 教えて理解するものではなく わきあがる情熱なのだという。
その音楽を 共有し 身近な毎日に 音楽との付き合いがあって
授業なるものが 必要ないというのが 
イタリアの状況だと受け取れるお話だった。

実は 日本文化が 消え入る状況に 
以前から心を痛めていた。

日本舞踊 着物の着こなし
礼儀作法 書。
上げ始めれば 心配な状況のものばかり。

でも これを 教えられるかといえば 
教えられるものではないのではないだろうか。

感じとり 受け入れ 状況で駆使できて はじめて
文化といえるもの。

イタリアの音楽に授業がないように
書や 作法も 実は 教養の範疇で
教育には 向かないのかもしれないと 思い始めた。

イタリア語をならうきはなかったけれど
聞かせていただいたお話は 貴重なものだった。


話をするときに

2013-01-23 12:44:45 | Weblog
実は 今日まで 主語がない 状況がつかめない。
と よく言われ続けてきた。

あー えーっと そのお
っと 話の最中に言われることが嫌いだった。
自分は 相手にとって 遠い話だろうが 無関心なことだろうが
思いつくまま しゃべってきた。

ところが 最近息子に わかりにくいと 注意されることが多くなり
時間をかけて 相手の話を咀嚼し しっかり イメージが固まった段階で
人に話しかけるように 最近何度もいわれる。

これが 意外に苦痛で 話をすることをやめようかと 思うほどだった、

でも 合間が人の意思疎通に時間を与え わかりあうことが大切だ。
どうやら 政治など 人前でインタビューなど受けるかたは
あー えーっと そのー が 連発されていること気がついた。

話題のほんの少し先を よーく探して 相手に提示するには
 この時間の設け方も 必要だということなのだろうと
この年になって やっと 気がつく。