八月九日をすぎると 秋の気配残暑ということになるらしいのですが。
自然の動物たちは 確実に身体でとらえているようです。
トンボが飛び トンビが神社の杜にやってきていました。
この年になるまで 落ち着いて過去の戦争の記録を見ていられなかったのですが
今年は家を実家近くにでき 落ち着けたので 考え直しながら見ています。
それにしても
何故 特攻と山本五十六様の記録が 報道は優先になるのか
不思議でなりません。
立派な人の子孫であるとでも思いたいからなのか
どんな報道であるべきか 検証するとそうなるのか。不
思議でなりません。
今では滑稽にみえる 嘘で塗り固めた報道を 復習してみましょうよ。
しっかり検証して 史実と並行して国民の前に明らかにして欲しいし
どうして
欲しがりません勝つまでは
と 軍国主義が浸透していったか
検証して おかなければならないと思うのです。
字も習えぬまま 食料の調達に明け暮れた日々も
軍隊のように 女学校も工廠も生活していたことも
今の世代は知らなくてよいのでしょうか。
ところが 戦地で餓死をした遺骨収集もしないまま
五十六さまの遺骨は帰還し 国でまつられたことを一つとっても
いかに 国民は使い捨てであったか、
戦争を知る世代が減ってきた今 戦後の整理を やっとできると おもうのです。
戦後でさえ 国は誰の国かわからないですね。
しかも 昨日 自民党の幹事長のホームページを拝見したいと思っても
私には開くことができませんでした。
実は 司馬遼太郎さんの戦争と国土を 今 少しずつ読んでいるのですが
軍の行動規範が曖昧であったこと
拡大した守備範囲が 無理を極めていた。
そう読み取れる部分が 多いのです。
今の安保法案におきかえると
アメリカでさえ 維持しかねる平和。
それを アメリカと際限なく追随するには あまりに稚拙な法案だと思うのは
どうやら 広島 長崎の人々も 感じてみえるようでした。
武器 戦艦を作ってきた街でも 一旦原爆の被害にあえば
国は12年も どうすることもできなかった史実を 涙しました。
どんなアメリカとの約束でも
国民主権ですから
日本としてどうするかは 国民の総意のもとに 決めてほしいものです。
自然の動物たちは 確実に身体でとらえているようです。
トンボが飛び トンビが神社の杜にやってきていました。
この年になるまで 落ち着いて過去の戦争の記録を見ていられなかったのですが
今年は家を実家近くにでき 落ち着けたので 考え直しながら見ています。
それにしても
何故 特攻と山本五十六様の記録が 報道は優先になるのか
不思議でなりません。
立派な人の子孫であるとでも思いたいからなのか
どんな報道であるべきか 検証するとそうなるのか。不
思議でなりません。
今では滑稽にみえる 嘘で塗り固めた報道を 復習してみましょうよ。
しっかり検証して 史実と並行して国民の前に明らかにして欲しいし
どうして
欲しがりません勝つまでは
と 軍国主義が浸透していったか
検証して おかなければならないと思うのです。
字も習えぬまま 食料の調達に明け暮れた日々も
軍隊のように 女学校も工廠も生活していたことも
今の世代は知らなくてよいのでしょうか。
ところが 戦地で餓死をした遺骨収集もしないまま
五十六さまの遺骨は帰還し 国でまつられたことを一つとっても
いかに 国民は使い捨てであったか、
戦争を知る世代が減ってきた今 戦後の整理を やっとできると おもうのです。
戦後でさえ 国は誰の国かわからないですね。
しかも 昨日 自民党の幹事長のホームページを拝見したいと思っても
私には開くことができませんでした。
実は 司馬遼太郎さんの戦争と国土を 今 少しずつ読んでいるのですが
軍の行動規範が曖昧であったこと
拡大した守備範囲が 無理を極めていた。
そう読み取れる部分が 多いのです。
今の安保法案におきかえると
アメリカでさえ 維持しかねる平和。
それを アメリカと際限なく追随するには あまりに稚拙な法案だと思うのは
どうやら 広島 長崎の人々も 感じてみえるようでした。
武器 戦艦を作ってきた街でも 一旦原爆の被害にあえば
国は12年も どうすることもできなかった史実を 涙しました。
どんなアメリカとの約束でも
国民主権ですから
日本としてどうするかは 国民の総意のもとに 決めてほしいものです。
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