平成のおわる その時に主人は定年で長年勤めてきた地方病院を退職します。
おもえば 最も外科医が過酷な時代を よくぞ無事に最後の患者さんの手術を
終えることができたと 胸をなでおろしています。
研修医として一日に処方箋が3000枚を超える地方病院で外科医をめざしはじめました。
地方研修7年の間に 年300ほどの手術記事を書いていたようにおもいます。
一週間帰らぬ日も多かったです。
患者さんも 過酷を極めた時代で 癌などは大きな創で予後の管理も大変でした。
大学病院で博士論文を目指すころは 研究のための実験時間も長く
アルバイト先の病院勤務や ICUの仕事も連立してあり
明日は倒れてくるのではと 心配したものです。
地方病院を転々し 退職してあくる日には次の病院に赴任していました。
体も精神もよくもった。
年休はとったことが あまりないかもしれません。
50歳を超えて 腹腔鏡下手術となり 顕微鏡下の手術となったために
今日定年を迎えるまで仕事ができ まさしく外科医を全うしてくれたと
手前味噌ですが 傍にいられた幸せをかみしめています。
これからも 仕事をしてゆく手はずになっていますが
この平成のおわりに 定年退職という仕事終わりを区切ることができたのも
粘りずよく 急がず 手を抜かず仕事してきたご褒美のような気がしています。
外科の夜明けという小説本を二人でよみふけった若き日を はじめてふりかえっています。
患者さんが 寿命を全うしようとする力がなければ 手術も役立ちません。
外科手術の進化も 医者だけが積み上げたものではなく
おおくの苦しんだ先人あっての進化であることも 忘れてはならないことでしょう。
さらに よい医療が誰しも受けられるよう良い時代となるよう
願ってやみません。
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