楽しい日々

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文学の意義

2018-01-01 00:07:52 | むかしばなし
小説を読んだり 他人の見解を聞いたりする時間をとることは 
主婦にはなかなか難しかったりするのです。
姑とて多分同じで ついつい掃除や洗濯がきになり 庭の草取りのほうが優先です。
でもケガをしたり 病気になると 長い一人の時間が生まれ 
本を手に取って読むことができるようになったりします。
今回姑がけがをして 90歳になるのだけれども
病室で 本を枕元に置いているようでしたので 
そんな時間がやっと訪れているのかもしれないと 
少しほっとした気持ちでいます。

その文学をするということは 実は自分の考えを 他者の観点から眺める機会になったりするものです。今まで 何度か自分の考る方向性とか つらい日を過ごすとき浮かぶ考えとかを
軌道修正したり 危機を避けたりするには 文学はとても役に立ってくれていた気がしています。テレビドラマでもそうなのですが  映像で見てしまうと やはり他人ごとで終わりがちで ゆっくり小説で想像するようなわけには いかない気がしています。
  
人生は一度だけで つらいことも毎度ちがう困難だったりするものです。
文学で自分の経験できていなかった体験を読み解いておくと 
立ち直るヒントがあったり
さらなる悲劇を回避することを思いついたりできる気がしています。

私は 子供のころは 両親が死んでしまったら明日からどうしようとか考える癖のある
とても悲観的な子供だったのですが
本質的には常に 今おきる最悪は何かと考えやすいのですが
小説で困難に立ち向かうひとは 楽天的なことが多く そんな小説を読み重ねてきたことで
自分の体験も重なって 今では結構楽天的に動けるようになっています。

姑の癖は 他人の欠点がみつかると ほっておけず 何度もくりかえし攻めてしまったり
困難な状況におかれているのに 欠点を指摘して 二度と会いたくないと思われてしまったり癖があるようでした。でも 90歳であっても 自分のおかれた状況をうけいれて
人のお世話にならなけらばならなくなれば 他人のしてくれることが許せなければ生活していけません。

年老いたら 自分で何でもできることが立派ではなく 他人にお願いするためのおもんばかる気持ちも お願いして、たとえ思うようにならずとも だいたいで許し、感謝に変える力が必要になります。

健康で何の苦も無く過ごしてきても いつ襲われるかもしれない災難に
立ち向かう工夫や 人間の本質をとらえて 自分のおきている心の状況を判断するには
やはり小説のような疑似体験が 役立ってくれる気がしています。

正月でも今年はろくに準備もできず 暮れからの掃除も終えられませんでしたが
姑の本に興味を持ってもらえたことが ちょっとした喜びになっています。