【京大iPS論文捏造】相次ぐ論文の不正 問われる研究者倫理
これは,研究者の倫理問題ではない
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事の本質は,「好調と思われるときほど,足元からすくわれる」という史実の再現である
iPS細胞についての様々な論文捏造があったのは,「いま話題になっているから,それを利用する」という浅ましい心理が働いたからである。
しかし,これを「研究者の倫理問題」といって片付けるのは,「失敗論」として”失敗”である。
わかりやすくいえば,「注意すれば捏造は防げるのか」という問題である。
もちろんそんなことはない。
昨日の大雪で,都内では交通事故が600件以上生じたが,みな「自分は注意しているから」と運転していたはずである。
しかし,事故は精神的注意では防げない。
解決するには「チェーン規制」「通行止め」など物理的手段が有効なのはいうまでもない。
これが「失敗論」の本質で,「解決を精神的ではなく物理的にする」ことが最大のポイントである。
したがって,論文捏造にあるのは「これをやればうける」という仕組みをなくすこと以外にない。
そもそも,これだけWEBの時代になって,簡単に世界中で検証される「論文」は,捏造してもすぐにバレるに決まっている。
それでも行うのは,論文捏造元ネタの足元が危ういからである。
つまり,iPS細胞研究所・山中教授の「足元がすくわれている」のである。
人は,好調のときこそ自分の足元を意識できない。僕が「釣れた!」と叫んでいるとしばしば竿が水没しているが
,これと同じなのだ。
今回の捏造について,山中教授に非はないと考えるが,「つけこまれる隙」があったことは否めないだろう
。
川上哲治という偉大な監督・野球人は,上記のようなことを体感していた人物。
そしてそれが『侍ジャアンツ』にて「土手っ腹を開くような型破りの人間を求めた」川上監督の姿勢だったと,改めて見入った
。