やっと母の様態が安定した。いや,夜中の2時30分にはわかっていたけど。
結論からいえば,救急外来は「早くて早すぎることはない」ということだ。
昨年末12/31にも,早朝に父が偏頭痛を起こしていた。
これに「すぐに病院に行ってきて」といったのが母。
神経が少し疲れているようで,安定剤を呑んだら落ちついた。12/31に出家したのは,このときの精神不安定があったのだろう。2016年度のGW以降の出家も父の体調不良が遠因としてあるように思う。
そして年が開けて1/2の夕方。自分は早朝から「吐き気がするし,寒気がする」で親戚新年会は欠席。
母が帰宅すると同時くらいに「腰回りがおかしい」と言い出した。時刻にして16時30分。
そこからどんどん症状は悪化して「痛くて立てない」というほどのものになる。
21時30分に救急外来を片っ端から探すが「痛み止めしか処方できない」とのこと。
結局,隣駅(いつも自分が毎朝歩いている距離)の病院に救急搬送。
毎度のことながら,救急救命隊の方々にはお世話になります。そして,救急外来ご担当の方々にも。
しかしながら,担当の内科医では「何もわからない」の一点張り。それでも無理に帰宅させようとするので「この痛みでは帰宅できません 入院手続きとらせてください」と依頼すると,CT撮影が始まった。
そして鼠径ヘルニアが判明したのは,勤務医が内科医から外科医に変わったときである。時刻は1時過ぎ。
病棟が決まって一通りの手続きを終えてみると,もう3時近い。釣りでも徹夜したことはないが,もうマジでこちらが眠さ限界。
帰宅して3時間寝て,また病院に行く。23区のよさは,いうまでもなくこのインフラ。高い税金の代わりに,安心と便利が用意されている。深夜タクシーも800円で帰宅したほどで,今日の昼に再手続きをしたあとは25分で徒歩帰宅できたのだけれど。
なにより重要なのは「ちょっと待って,このまま帰宅できるわけなんかないよ」と僕が主張したこと。外科医曰く,遅れていたらやっぱり「ヤバイ」事案になっていたそうだ。
明日1/4の午前中には一旦退院し,1月下旬に腹腔鏡手術を行う。
自分も他人に病状を説明するのは難しい。ましてや,既往症がありすぎる80歳の母には「疑いが多すぎて」わけがわからない。だから,とにかく状況を伝えるしかない。患者は痛みで言葉さえないのだから。痛む場所がどんどん変わっていくのも鼠径ヘルニアの症状だというのだから。
本当に父でなく,息子の自分がついていって正解だった。
みなさん,くれぐれも「救急外来等は少しでも早く。何より,不満があったらはっきり主張する。」ことだけは御薦めしておきます。
それにしても,救急車が朝10時くらいからひっきりなしに来る...。地域主要拠点病院らしいけど,ホント,関わる仕事をされているみなさんには深謝申し上げます。