勝山古墳群 「 三号墳 」
わずかだが石室の入り口が見える
三角形になった入り口
勝山神社が位置する丘陵上には低墳丘の古墳が数基目視できるが、
ここで報告する古墳群はその南東裾に位置するものである。
神社鳥居のすぐ西に大破して石室が露出した古墳が一基あり、
その東の住宅裏手に三基の古墳がほぼ南北方向に並んでいる。
古墳群はいずれも西側に大規模な周溝を掘削して山塊から切り離されるが、
更に周溝を利用して深い排水溝が新しく掘削されている。
東から1~3号墳として報告するが、
今日は三号墳を紹介したい。
墳丘
三号墳丘は、石室入り口の両側で大きく土取りがなされている。
石室最前部の石材が埋もれて詳細を確認できないが、
北西の墳裾から石室最前面の規模を測ると約19mとなる。
これも排水溝北西側に最大幅5mほどの周溝の痕跡が見える。
主体部
三室構造となる横穴式石室であり、一号・二号墳とは主軸が異なる。
長さ12.3mまで確認できるが、なお左右に石材が埋没している。
玄室は長さ3m、幅2.6m、高さ2.9mほどの規模となるが、
これも床面は埋没している。
腰石に使用する石材は最も大きく、奥壁のそれは高さが2.8mを越え、
両側壁もほぼ一枚石で、幅2.6m~2.8m、高さ2.4m以上の巨大なものである。
また、ここで奥壁と左右両側壁の腰石の高さが揃えられている。
中室は長さ約2m、幅2m、高さ2.2mを測る。
腰石は左右ともに一枚で、その上に乱れるが2m前後、高さは三室の中でも最も低く2mとなる。
石材も玄室、中室、前室の順に小型化している。
以上のことから、紹介した三基は石材の大きさや積み方に注目すれば、
二号墳→、一号墳→、三号墳の順に築造されたことが推測される。
三号墳は同じ理由から橘塚古墳と綾塚古墳の間に位置づけられようか。