伊藤伝右衛門邸や蔵内邸。
それにホテルニュー田川などの庭を思わせる松寿園。
柳川藩5代藩主、立花貞俶 ( さだよし ) は政務の疲れを癒し、
家族と和やかな時を過ごすための場所としてこの地に別邸を設けました。
当時この辺りは 「 御花畑 」 と言われていたことから
柳川の人々は親しみを込めて 「 御花 」 と呼ぶようになりました。
明治時代になると立花伯爵家の邸宅となり十四代当主寛治 ( ともはる ) は
明治42年~43年にかけて迎賓館としての西洋館と
それに続く和館の大広間という当時流行の形式の邸宅を整えました。
クロマツに囲まれた華やかな池庭 「 松寿園 」 は昭和53年、国の名勝に指定されています。