3着だった優勝戦のゴール前 ( 一番外の赤緑 )
優勝戦3着だったこの高知競輪の開催は今でもよく憶えている。
福岡空港から高知へ行く時に、
手荷物を預けようとバッグを持ち上げた瞬間、
ギックリ腰になってしまった。
それからと言うものどうにもならない状況での参加になった。
時間が経てば経つだけひどくなるばかりで、
「 これでは走れない! 」 と真剣に思った。
でも搭乗手続きをしているし、当日欠場はなるべくならばしたくない。と思い、
脂汗をかきながら何とか高知空港まで行ったが、
そこから同県の後輩に状況を話して荷物を持ってもらい、
なんとか競輪場までたどり着いた。
「 とにかく早く横になりたい 。横になって腰を伸ばしたい。 」 それだけだった。
後輩に自転車を組んでもらい、
自転車を杖代わりに体重を支えながら検車は自分で受けた。
後は練習どころか、アイシングをしながら横になったままで、
ほぼ毎日過ごした。
それでも走る時は気合が入っているからか?
初日特選を6着。二日目の準決勝を3着でクリアして優勝戦にコマを進めた。
3日目になると腰の状態も良くなり、この日初めて練習で軽く乗ってみた。
多少違和感はあったが、それでも前検日に比べれば ” 雲泥の差 ” である。
レースは6番手くらいから3コーナーから外を捲くり上げての3着だった。
ゴールして敢闘門に帰って来たら、
「 腰が悪い方が動きがいいやないね 」 って冷やかされたが、
走った本人にしてみれば、「 主催者に迷惑をかけなくて良かった 」 というのが
偽らざる心境である。
松阪や立川もそうだが、高知は初参加から6連勝した好きなバンクであった。