8日に熊本の石橋を巡りに行った帰りに弟子の家へ立ち寄った。
前もって連絡すれば、食事や何かに気を使うだろうと思い、
何の連絡をせずにいきなり立ち寄った。
家に行けば気を使うのをわかっていたので、工場の方へ行くと、
お母さんがひとりで事務所に居たのでおみやげを渡して帰ろうと思っていたら、
息子が〇〇さんに会いたがってるから、是非とも家に寄って行って下さい。と言う。
電話では練習内容や精神的な助言をしているが、
長いこと会っていないので、 「 久しぶりに会って話そう 」 と、
今回の訪問になったわけである。
練習内容はもちろん、自転車理論や精神的なコントロールなど・・・
語り尽くせないほど話した。
お互い良い時間を過ごせたと思うし、ボクも刺激になった。
「 今度は、ゆっくり飲もう 」 と別れたが、
弟子の成長はいくつになっても嬉しいものである。
以下の文は、熊本時代に熊本日日新聞にエッセイを連載していた時の掲載文である。
去年の暮れ、熊本競輪場で行なわれたルーキーチャンピオンレースで、
繰り上がりながらその栄冠に輝いた福永 ( 田川 ) 辰二。
福永は九州学院高校の自転車部に入部以来、
この私が師匠としてプロになるまで面倒をみてきた。
今までに弟子として面倒をみて、一緒に練習をした若者は5人。
福永をはじめ、宮本豊、福田博文、河添信也、本島真輝と、
どの子も素直な頑張り屋ばかりで、指導者として恵まれていたと思う。
この5人のうちプロ試験を受け、最終試験まで行ったが、
惜しくも合格しなかった宮本と福田はプロの道を断念したが、
残る3人は頑張ってプロ試験を突破してくれた。
練習中は随分と厳しいことを言ったと思うし、苦しいこともさせたと思う。
とにかく鍛えに鍛えた。もちろん、現役である私もみんなと同じように練習をした。
プロになって自立して競輪選手という同じ土俵に上ったら
『 やるか、やられるか 』 の勝負が待っているのだから、甘いことは言ってられない。
これからは、もっと苦しい試練が待っている。
プロ試験くらいでヘコたれていては、プロ選手として長くやってゆけない。
一番弟子の宮本が競輪選手の道をあきらめて最後の挨拶に来たとき、
泣きながら 「 長い間お世話になりました。 」 と言って、
それから先が言葉にならなかった自分の弟子を見るときほど辛いものはなかった。
自分にもう少し力があったらと考えるだけで、何もしてあげられない自分が悔しかった。
でも、ただ無駄に時間を費やすだけのプロ試験のチャレンジは、
どこかで誰かが引導を渡してやらなければならない。
これは大変に辛いものである。
だからではないが、宮本には敗者になってほしくなかった。
中国の故事に 『 泣いて馬謖を斬る 』 というのがある。
馬謖。これは三国時代の蜀の武将の名である。
諸葛孔明が自分の命にそむいて失敗した武将の馬謖を、
日ごろの信頼と寵愛にかかわらず、軍律を守るために衆前で斬らせたことからきている。
ここでこれが相応しいかどうか分からないが、
競輪選手の世界に入って来た福永、河添、本島、
そしてほかの仕事についた宮本と福田に言いたい。
『 一度の失敗で命を絶たれる 』 ことはないが、どの世界に生きても厳しさはつきまとう。
『 馬謖にはならぬ 』 という覚悟を持ち続けてほしい。
私も一年前に難病であるバージャー氏病にかかり、
ほとんど練習もできないまま競輪選手を続けている。
少しでも気を抜けば、ガタガタッといきそうな心理状態になったときは弟子たちを思い、
『 俺もまだ斬られるわけにはいかない 』 と思う。