大江港から山の中腹に天主堂が見える。
所在地 / 熊本県天草市天草町大江
竣 工 / 1933年 ( 昭和8年 )
設計者 / 鉄川与助
教会の保護者 / お告げの聖母
丘の上に立つ白亜の天主堂は同じ鉄川与助の設計でも崎津の和洋の調和とは違い、
異国情緒たっぷりの造りになっている。
特に気持ちが良いほど硬く伸びた輪郭の直線を
窓枠のリズミカルな曲線が柔軟に演出して、見る者を飽きさせない。
天草キリシタンの歴史は、聖フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えてから
17年経った1566年 ( 永禄9年 ) に、
当時の志岐(現、苓北町)の領主であった志岐鎮経 ( しきしげつね ) の招きによって
ポルトガル人の医師で修道士のルイス・デ・アルメイダ氏によって伝道された。
数多くの教会が残る鉄川与助の故郷である
長崎県五島にキリスト教が伝道されたのが同年であり、
天草同様アルメイダ氏によるものであることは非常に興味深い。
その後、信仰は伝承され明治25年に着任した
フランス人のガニエル神父が私財を投じて
昭和8年に完成させた新聖堂が現在の大江天主堂である。
この大江天主堂とガルニエ神父は、日本文学史上にもゆかりが深い。
ガルニエ神父が大江天主堂に着任して16年目の夏、
"五人づれ"の青年たちが神父を訪れた。
明治40年(1907)にキリシタン遺跡探訪の旅に東京から
夜行列車に乗り込んだ五人の青年たちがここを訪れ、
その旅行記「五足の靴」が匿名"五人づれ"で東京の新聞に掲載されたのだ。
その五人の若者こそが後の日本の文豪・与謝野鉄幹をはじめとする
北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里たちであった。
ここを訪れ、異国の地で布教を熱心に続けるガルニエ神父との語らいは、
若者たちに大きな影響を与えたという。
なかで日本を代表する詩人・北原白秋は、この経験が大きく影響されたであろう処女作
「 邪宗門 ( じゃしゅうもん ) 」 を明治43年に発表している。