「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第9位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント「 オシャレな看板の店 」

2015-09-08 06:03:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ


        ひと台風
        ひと雨ごとに
        秋に近づく

        そんな今日のみずがめ座は9位で
        ラッキーポイントは
        「 オシャレな看板の店 」 であるが

        今日はけなされても
        めげずに頑張りましょう





長崎市 ・ 三菱重工長崎造船所 「 ジャイアント・カンチレバークレーン」

2015-09-08 03:37:41 | 世界遺産





















明治日本の産業革命遺産で世界遺産となった
ジャイアント・カンチレバークレーンは、
同型としては日本に初めて設置された最新式電動クレーンで、
英国アップルビー社で製造されました。

クレーンは150トンの吊上能力を持ち、大型重機の荷重に耐え、
電動モーターで駆動するもので、
英国マザーウエル社が仮組、解体の上輸送し、
1909(明治42)年に長崎造船所飽の浦岸壁に再組立てし竣工しました。
英国人技師ガードナー・ロジャーがマザーウエル社から派遣され、
クレーン設置工事の監督及び技術指導を行いました。
 
このクレーンを設置した頃には、長崎造船所は東洋最大の民間造船所となっており、
1908(明治41)年には世界最高クラスの豪華客船「天洋丸」が完成しました。
 
機械部門では、1904(明治37)年に英国のパーソンズ社と
陸上及び舶用蒸気タービンの製造ライセンス契約を締結し、
1908(明治41)年には国産第一号の陸用及び舶用タービンが完成しました。
 
ジャイアント・カンチレバークレーンは、
舶用主機等の大型機械の船舶への搭載或いは陸揚げのため、
飽の浦事務所の前面に設置しました。
設置場所では機械・仕上げ工場の海側係船岸壁を強化し、
既設の100トンクレーン岸壁の東に岩盤の浅い位置を選定し基礎を建設しました。
基礎工事は1908(明治41)年9月に竣工、
そして、クレーンは1909年12月に竣工ました。
1961(昭和36)年には、機械工場拡張でクレーン周辺が埋め立てられたため
水の浦岸壁に移設、現在も機械工場で製造した蒸気タービンや
大型船舶用プロペラの船積み用に使用しています。( 非公開施設 )



馬の詩より ・ 『 母に続く 』  アルーリングボイス

2015-09-08 01:44:41 | 馬の詩 ・ それぞれ...
















   『 母に続く 』  アルーリングボイス



      かつて母は
      2才の夏 小倉で輝いた

      そして
      その娘も
      母と同じ道を進む

      小倉2才ステークス
      このレースを勝つために
      生まれて来たような
      そんな目に見えない親子の糸が
      イットー
      ハギノトップレディに続く
      母娘同一重賞制覇へと導いた



アルーリングボイス

父 フレンチデピュティ
母 アルーリングアクト

生年月日 / 2003年1月23日
調教師 / 野村彰彦 (栗東)
馬主 / サンデーレーシング
生産者 / 白老ファーム
産地 / 白老町
中央獲得賞金 / 13,488.6万円
通算成績 / 21戦4勝 [ 4-2-1-14 ]
主な勝鞍 / 小倉2歳S( GⅢ ) ・ 05'ファンタジーS ( GⅢ )
近親馬 / アメージングタクト、アルティシムス


長崎県新上五島町若松郷 「 ヘボ島 」

2015-09-08 01:01:41 | 離島めぐり















九州の西に、仙人(せんにん)がすむ島があったんだと。
 仙人といえば、それはそれはながい間、おく山やはなれ島で、
きびしいしゅぎょうをしてな、どんなこんなんにも、がまんできるんだそうな。
 この島にすみついた仙人もな、どこかのはなれ島でしゅぎょうをつんできて、
いまでは村人をしあわせにすることを仕事としていたんだと。

 ところが、あたたかなこの土地では、人びとが、なにふじゆうなく、
くらしているもんで、仙人はしごともなく、
しゅぎょうもせずに、ひまをもてあましていたんだな。

 ある日、どうくつの中で、いつものようにひるねをしていると。
これもまた、どうくつの住人(じゅうにん)であるネズミが、
えさをはこんで、うろちょろしていたんだと。
 きげんがわるかったのだろうかの、ひるねをじゃまされた仙人は、
「うるさーい」とどなったんだと。
 「そんなこといわないでください。ここはあなただけのすまいではなく、
私たちねずみや、てんじょうにいるコーモリさんのすみかでもあるんですから」

 「ほんとうに、仙人なのかな。このじいさまは?」
 一ぴきのネズミが、小さな声で、いったのが聞こえたようだったと。
 「なんだと、わしがにせもの仙人だというのか」
 しわだらけの顔をまっかにして、ネズミたちの上に、
もっていた”つえ”をふり下ろそうとした。
 「待ってください」
 一ぴきの若いネズミがとめたんだ。
 「あなたが、仙人であることは、うたがいのないことです。
で、ひとつお願いがあります。
私たちは、この山おくにすむ大山猫(おおやまねこ)におどされて、こまっています。
 まい日のように、なかまがつかまっています。なんとかしていただけませんか」
 と、思い切ってたのんでみたんだと。

 「うーん、いたずらする大山猫だといっても、
しあわせをあたえるのが仕事の私に、猫をころすことはできない」
 と、仙人はいったと。

 若いネズミは、かまわずにいった。
 「仙人さまには、かんたんなことだと思います。
里に下りてこないように、大山猫をおどかすだけでもけっこうです。お願いします」
 「そうか、おどろかすのだな。
わたしのつえで、大山猫のしっぽを切り落とすなどして、こらしめてあげよう」
 「さすが仙人(せんにん)さまだ」
と、ネズミたちはおだてたんだと。
「かんたんなことさ」
 仙人はやくそくした。
 でも、ふだんのひるねのようすを見ていたネズミたちは、
それほどきたいしていなかった。

 それからいく日かして、仙人は海べの岩山で大山猫を見つけた。
すばやく、つえをふりかざし、ねらいをさだめてふり下ろしたんだ。
 ところが、大山猫のしっぽどころか、毛の一本にもさわることなく、
にげられてしまったんだと。
 それどころか、ばか力で大山猫を切ろうとして、岩山を切ってしまった。
そして、大切なつえさえもおってしまい、
あげくのはてに海へ落ちて、ぬれネズミ?になってしまったんだと。
 ふだんのしゅぎょうがたりなくて、ただの人になっていたんだな。

 つえももたない、水でよごれた、
ただのひげじいさんになってしまった仙人は、とてもネズミ会わす顔はない。
 ネズミとのやくそく以上に、力のなさにすっかりじしんをなくした仙人は、
どうくつをすて、島をすて、どこかにしゅぎょうのやり直しに出かけたんだそうな。

 その後、ネズミたちは大山猫(おおやまねこ)に食べられてしまったのだろうかね。
この島にはネズミが少ないのだと。
 仙人が、ばか力をふり下ろしたみさきは、銅切崎(ずんぎりざき)とよばれてな。
切り落とされた岩も、おきにのこっていて、それはヘボ(仙人)島とよばれているそうな。

 そう、そののち仙人はな、しばらくの間、
このヘボ(仙人)島にすんでいての、しゅぎょうのかたわらで、
そうなんしかけた船や漁師(りょうし)を助けていたんだと。

 しゅぎょうした仙人の力が今ものこっているのだろうかね。
あらしのときに、この島かげに入るとふしぎと風はやみ、
助かることが多いといいつたえられているんだそうな。