毎週、週末になると
疲れがピークに達する
「 休みたい 」 けれど・・・
手一杯の状態で働いているので
そういうわけにも行かない
今日の順位は8位で
ラッキーポイントは
「 フォト加工アプリ 」 である
あと一日
がんばろう
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丘の上にある 「 大野教会堂 」
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所在地 / 長崎県長崎市下大野町
竣 工 / 1893年 ( 明治26年 )
設計者 / マルコ・ド・ロ神父
教会の保護者 / ロザリオの聖母
大野教会堂は外海地方の中心地出津から約4km北上した
五島灘を望む大野郷の山あいの中腹にある。
当教会堂は従来出津教会に所属していた信者が老弱等のため
出津まで出向くのに困難を来すごとから、
当時の神浦、大野の信者26戸のために明治26年 ( 1893 ) に
ド・ロ神父によって建設されたもので、同年10月クザン司教によって祝別された。
設計及び施工指導はド・ロ神父自身であり、建設費用は約千円と言われ、
ド・ロ神父の自費と信者の奉仕によって完成したものである。
創建時の大野教会堂は平面が長方形で、単廊式の会堂部のみで出来ており、
北側(入口側)正面に存するド・ロ石積の独立した壁体から
現祭壇のある位置までは概ね現況のままで、
更に東西壁面が南に延伸されて、上部半円アーチ形縦長窓各2個を追加し、
( 合計東西面の窓は各5個 ) 、南端はド・ロ石壁を築いておさめる、
現状よりやや小振りの石造建物であった。
また、天井は現在と同様棹縁天井であるが床板張りは無く、
土間仕上げとなっていたようで、
屋根はトラス架構の寄棟屋根であった。
その後、この教会堂は現祭壇のある位置より南側を一部取り壊したうえ
司祭部屋部分を増築して現在の姿となっている。
この増改築は出津教会第四代の神父として
佐賀県の馬渡島から赴任してきたヨゼフ・ブルトン神父によって、
大正15年 ( 1926 ) に行われた。
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一緒に 「 シーガル 」 に乗って久賀島の行った 「 歯医者さんの自転車 」
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自転車をお借りした 「 歯医者さん 」
先週、奈留島から福江に帰って来て、
わずか40分の間に久賀島に行く行程だったため、
レンタカー店でバイクを借りる予約をしていたが、
エンジントラブルでバイクはキャンセルになった。
それで、出航までの残った30分以内に代わりを探さねばならない。
ふと、見ると歯医者さんの向かいの床屋さんに自転車が置いてあったので、
「 スミマセン、この自転車をお借りしたいのですが・・・ 」 というと、
「 この自転車はパンクして乗れない 」 と、 速攻で返事が帰って来た。
それで半ば落胆していたら、歯医者さんの前に自転車が置いてあったので、
今度は歯医者さんに訊いてみた。
すると、 「 ちゃんと時間までに返してくれたらいいよ 」 という。
そんな温かい返事をもらった。
それで港の桟橋まで一気にペダルを漕いだ。
久賀島の田の浦港から五輪教会まで自転車で往復したが、
3時間踏みっぱなしだった。
自慢じゃないが、競輪選手のなかでもロードワークは抜きん出た存在だった。
それなのに、五輪教会までの17キロの距離は山坂の連続で、
心も腰も折れるくらい厳しいものだった。
自転車でこれだけキツいのだから、
徒歩では2時間以内にとてもたどり着ける場所ではなかった。
そんなこんなで、かなりカラダを酷使したが、
それでも自転車を貸してくれたことに感謝している。
お礼は帰ってすぐに手紙を書いてお礼の品を送ったが、
それ以外にまた、福江に行った時に手みやげを持って挨拶に行きたいと思っている。
予定ではあるが、7月、9月に続いて来月も五島に行きたいと思っている。