僻地に”優しさを秘めた教会”
半泊教会へは戸岐大橋を渡り、
観音平から車1台通るのがやっとの細い山道を抜け、半泊の入江を目指す。
目の前に広がる美しい入江のすぐ脇に、
防風石垣に守られひっそりと建っているのが半泊教会です。
移住、潜伏など五島キリシタンの苦難の歴史を秘めた教会だからこそ
優しさを秘めている。
江戸時代末期、キリシタン弾圧から逃れるため
大村藩領から五島へやってきた数家族が、福江島北西部の小さな浜に上陸しました。
しかしこれだけの人数が住み着くには狭いので
その半数だけがここにとどまり、
残りの半数は三井楽方面へと向かったことから
この地は半泊と呼ばれるようになりました。
半泊集落では大正9(1920)年から教会の建築計画が具体化し、
アイルランドからの浄財が建設資金にあてられることになりました。
信徒たちも間伏や、キビナゴ網代の山から建築資材を伐り出したり
、船をしたて、持ち寄りの食糧を積み込み中五島の神之浦に向かい、
柱やタルキにあてるための杉材の伐採作業にあたるなど
貪しい生活の中から奉仕作業に精を出しました。
大工は細石流(ざざれ)教会の建築を終えたばかりの名工鉄川与助で、
教会用地は信徒の畑が買収され、工期三ヶ年を要し大正11(1922)年に完成しました。
一見して民家ではと思われる建物の中は素朴な木材、
飾りがほとんどない祭壇と壁で構成され、
すっきりとした清潔感が感じられます。
折上げ天井で3廊式、飾りを抑えた祭壇の前には
白い壁に水色で縁取りされた清々しい祈りの空間が広がっています。
献堂式はコンバス司教を迎え盛大に行われ、
信徒達は基金を送ってくれたアイルランドの人々に感謝し、
自分達の教会をアイルランドの守護の聖人である聖パトリックに捧げました。
また当時外国人司教を迎えるというので、ごちそうの肉の入手に困った信徒たちは、
赤牛の子を買い取ってもてなしたり、
教会新築を祝って十字架の道行の14額を信徒が寄贈するなど
当時の喜びの様子が伝えられています。
新築から五年後、信徒たちは教会を台風の被害から守るため、
半泊海岸の石を集め、教会正面に防風石垣を築きました。
その後も、大がかりな修復工事が施され、
昭和45年には敷地の境にブロック壁が設置されるなど現在に至るまで
大切に維持管理がなされています。
所在地 / 長崎県五島市戸岐町半泊
教会の保護者 / 聖パトリック