対岸の三井楽から見た打折教会
教会の前の浜
地元の古老によると打折の集落に住んでいる人たちの殆どは、
江戸時代末期に大村藩から移住して来た潜伏キリシタンの子孫や、
姫島や水ノ浦などへ定住した後打折に再移住した者の子孫とのことです。
下五島にキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れた明治初期、
打折地区の信徒も他の岐宿地区の信徒らと同様捕えられ、
水ノ浦の牢に入れられ苦難に耐えねばなりませんでした。
禁教の高札が撤去されると、
島内各地区に教会が次々に建設されていきましたが、
打折の集落には長い間教会がありませんでした。
信徒達は日曜日のミサに参加するため、徒歩で2時間かけて楠原教会に行くか、
船で水ノ浦教会に通っていました。
信徒達の念願であった打折教会の建設は昭和10 ( 1935 ) 年のことで、
年に一度の黙想会のために集落裏手の山の中腹に建てられ、
その後定期的にミサが捧げられていました。
当時、近くには共同墓地もありましたが道らしい道もなく
田と畑のあぜ道を通って教会へ行き来していました。
その後老朽化により昭和47 ( 1972 ) 年、
海辺に場所を移して建設されたのが現在の打折教会です。
教会の建設は、水ノ浦小教区における昭和46 ( 1971 ) 年の
『信仰の自由記念祭』行事の一環として位置づけられていて、
同時期に集落の共同墓地も海岸近くの便利な場所に移されました。
打折教会は切妻をかけた単純な形式で、
小規模ながら壁は白色のペンキで仕上げられた質素な教会です。
三井楽半島の対岸の入江に面し、京岳を背景にして建ち、
教会前面に広がる浜辺では海の幸を求める地元の人の姿も見られ、
自然に囲まれた四季折々の生活が、
五島キリシタンの苦難の歴史を乗り越え今に受け継がれています。
また打折教会を中心に集落を形成しているこの地区は、
全戸カトリック信徒の世帯で、大半が漁業により生計を立てています 。
世帯数は多くありませんが、信仰を生活の基盤に据え、
月2回捧げられる日曜日のミサはもとより、水ノ浦教会の巡回
所在地 / 長崎県五島市岐宿町川原打折
教会の保護者 / 諸聖人