江戸幕府からキリスト教禁教政策を引き継いだ明治政府により、
明治元(1868)年、この地で久賀島内の信徒達が捕えられ、
残酷な責め苦を受けました。
後に ” 五島くずれ ” と呼ばれ五島における弾圧のきっかけともなった出来事です。
彼らは自らキリスト教(カトリック)の信仰を表明したために捕えられたもので、
12畳ほどの狭い牢に200名余が押し込められました。
これは畳1枚あたり17人という狭さで、横になることも出来ず、
排泄もその場にしなければならないという想像を絶する惨状でした。
更に男女を問わず牢から引き出され、
子どもまでも厳しく棄教を迫られ苦しい拷問を受けました。
信徒達は8ヶ月にわたりこの状況を耐えしのびましたが、
飢えや病、拷問のために39名が死亡し、
出牢後の死者3名を加えると42名の信徒が命を落としました。
棄教を迫られても信仰を守り抜いた 「 殉教 」 でした。
現在敷地内には先祖の信仰の強さを讃える『信仰の碑』が建てられ、
内部には迫害を受けた人々の遺骨が子孫の手で納められています。
また殉教者には子供も多く含まれており、
殉教した一人ひとりの年齢と名を刻んだ碑が並んでいます。
この中には殉教時の様子を記したものもあり、
当時の様子をうかがうことができます。
彼らの残した最後の言葉からは、
神を信じる子どものひたむきな純粋さが伝わってきます。
この殉教の場所に建てられているのが現在の牢屋の窄殉教記念教会です。
最初の教会は、殉教者を顕彰するために、
昭和44(1969)年3月九州電力発電所の建物を利用して、
現在の場所ではなく平地の少し離れた場所に建てられていました。
昭和44年当時、牢屋の窄殉教記念教会の創設は久賀島内の細石流教会、
永里教会、赤仁田教会の3教会を統合する意味もあり、
牢屋の窄殉教記念教会の創設と同時に3教会は閉鎖された経緯があります。
その後老朽化により昭和59(1984)年、実際に牢屋があった場所に
教会が建設され現在に至っています。
この地では毎年秋に、殉教者をたたえ先祖の信仰に倣うため、
五島内外の信徒や巡礼者が集まり牢屋の窄殉教祭が行われています。
平成10(1998)年には、駐日教皇大使アンブローズ・デ・パオリ大司教を迎え、
盛大な殉教130周年記念祭が行われました。
秋の久賀路にロザリオの祈りがこだまし、大きな十字架を男性が担ぎ、
司祭団が聖体を顕示し、殉教地まで行列が行われました。
殉教者の子孫による顕花、記念ミサなどが行なわれ、
かつての牢屋の跡地は、全五島のみならず、
島内外のゆかりの人々であふれました。
現在、牢屋の窄殉教記念教会の内部は床のじゅうたんが色分けされ、
牢の広さが一目でわかるようになっており、
当時の彼らの苦しみを雄弁に物語っています。
地元信徒によると、ここに立つ巡礼者の中には殉教者の苦しみを思い、
また命よりも信仰を優先した壮絶な生き方に感動し涙ぐむ人の姿もあるとのことです。
【参考文献】
カトリック長崎大司教区発行カトリック教報
地元信徒からの聞き取り
牢死者の碑
ノレンソ 利八 5歳
ジワンナ いそ 34歳
マリア いよ 36歳
カタリナ サキ 24歳
イザベリナ よも 42歳
ジワンナ のわ 56歳
ジワンナ まつ 56歳
マリア はつ 57歳
フランシスコ 好蔵 58歳
ジワンナ ゑつ 85歳
トメイ 政次郎 6歳
ジワンナ つい 7歳
ドミニカ ふみ 9歳
ドミンゴ 三助 6歳
テクラ はつ 13歳
ジワンナ しな 15歳
マダレナ のい 19歳
マダレナ なよ 21歳
ジワンナ しも 22歳
クララ ふい 22歳
ドミニカ たせ 12歳
パウロ 助一 79歳
マリア たき 10歳
フランシスコ 力蔵 55歳
ジワン 藤七 1歳
ルチア すゑ 59歳
マリア サヨ 46歳
ジワンナ ゑつ 9歳
マリア ノシ 7歳
なよ 5歳
ジュリアナ とし 4歳
氏名不詳 幼児
マリア さも 8歳
ジワン 十蔵 59歳
マリア せの 33歳
カタリナ そめ 9歳
ジワンナ かね 9歳
テカラ もよ 5歳
トマス 又次郎 4歳
ペトロ 三蔵 4歳
パウロ 力松 3歳
ジワンナ しも 1歳
カタリナ よし 1歳
同じ人間でありながら、宗教弾圧とはいえ、あまりにも屈辱的な弾圧であり、
地獄以上の人道を外れた仕打ちである。
亡くなった方はもちろんだが、牢屋に入れられ生き延びた方のことを思うと胸が痛む。
所在地 / 長崎県五島市久賀町大開
教会の保護者 / 殉教者の元后