「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎市 ・ 世界遺産 「 旧グラバー住宅 」

2015-10-12 03:32:41 | 世界遺産











  日本に西洋技術を伝えた拠点、旧グラバー住宅 


スコットランド出身の起業家トーマス・ブレーク・グラバー(1838-1911)は、
1859(安政6)年、開港と同時に上海から長崎に来て
グラバー商会を設立し貿易に従事しました。

 幕末から明治にかけて、薩摩藩や佐賀藩と協力して
小菅修船場や高島炭坑の建設や事業化に協力し、
後に三菱の経営にもアドバイスを与え、
石炭・造船・鉄道などの分野で外国の機械技術を導入し、
日本の近代文明の進展に尽力しました。

 また、幕末の激動の時代の中、
坂本龍馬を始めとする志士達を陰で支え伊藤博文らの支援など、
若い人々への多大な援助を惜しまず、明治維新を推進した陰の立役者でもありました。

 グラバーは、当初居住地がいくつか変わり、
その後、南山手3番地の広大な敷地(1619坪)に庭園と木造洋風の住宅を建てました。
この南山手の高台からは、
長崎の港と対岸に現在の三菱重工業(株) 長崎造船所が一望できます。

 建設年代は主屋より発見された墨書により1863(文久3)年であることが確認され、
木造洋風建築としては現存する日本最古の遺構になります。
 棟梁は大浦天主堂等を請負った天草の小山秀(こやまひいで)であったと思われます。

 旧グラバー住宅の主屋は、建築当初の平面は逆L字型をしており、
その後の増築で、逆L字型からT字型へと変化し、さらに四つ葉のクローバーのように広がりました。

 旧グラバー住宅は、英国コロニアル様式と日本の伝統的な建築技術の融合を示しています。
日本瓦や土壁を用い、半円形を描く寄棟式屋根、石畳の床面に木製の独立円柱があり、
柱間には吊束を持つアーチ型欄間、化粧軒、木造菱格子の天井を持つ広いベランダが特徴です。

 当時の写真の一つに、グラバー住宅下の日本庭園に商品を並べ、
グラバーと数人の西洋人、ビジネス相手らしき武士を写したものがあります。

 グラバーは、居住や文化交流だけでなく、
ビジネスの場としてもこの場所を活用していたことがうかがえます。

 1908(明治41)年、日本の近代化に大きく貢献したグラバーの功績が認められ、
日本政府は勲二等旭日重光賞という、栄誉ある勲章を与えました。
当時、外国人に対して勲章を授与することは異例なことでした。

 その功績があり、1961(昭和36)年、主屋と附属屋が国の重要文化財に指定されました。
1974(昭和49)年には、外国人居留地であったこの地に
元々あった国指定重要文化財の旧リンガー住宅・旧オルト住宅や
市内の移築復元した6つの明治期の洋館とともに、
「グラバー園」の中心となる施設として開園し、今日に至っています。



沖縄県八重瀬町東風平 ・ 琉球競馬 「 東風平 ( こちんだ ) 馬場跡 」

2015-10-12 02:00:41 | 琉球競馬



一面に芝を敷き詰めた馬場跡







今も石段の観覧席が残る




合併して八重瀬町になった東風平 ( こちんだ ) 。
その東風平も戦前に競馬が盛んに行われていたという村営東風平馬場に行ってみた。
合併して現在の八重瀬町役場近くの東風平集落の中心部にある公民館の敷地一帯が馬場であり、
馬場は一面に芝を敷き詰めた広場になっている。
そのすぐ脇には石段の観覧席が残っており、旧暦のお盆には豊年祭が行われ、
250年の伝統を誇る棒術や獅子舞、村芝居などの舞台になるという。

明治13年の沖縄統計概表によると、東風平馬場の直線は1.4町 ( 約152m ) で、
幅が9.3間 ( 16m ) であったと言われている。




長崎県奈留島 「 奈留島のお菓子 」

2015-10-12 00:36:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子





















奈留港のターミナルにある小さな売店で買った奈留島のお菓子。
ユーミン歌碑と江上教会で有名な島だけに
それをモチーフに使った物はここだけで、
ちょっぴり誇らしげに感じた。