大板山たたら製鉄遺跡一帯
不純物を取り除いた 「 砂鉄洗い場 」
砂鉄を乾かした 「 砂鉄焙焼炉 」
鉄を溶かすために火を起こしていた 「 鞴 ( ふいご ) 」
溶けた鉄を流し入れた 「 鉄池 ( かないけ ) 」
「 たたら 」 の伝統技術によって支えられた、自力による近代化
大板山たたら製鉄遺跡は、江戸時代の中・後期に操業された鉄の生産現場です。
ここで生産された鉄は、幕末、萩(長州)藩の洋式軍艦建造に役立てられました。
この遺跡は、在来の製鉄技術により洋式造船を支援したという、
自力でのユニークな近代化を証明するものです。
「たたら」は、日本で独特の発展をとげた伝統的な製鉄技術です。
とくに中国地方は、良質な砂鉄を産出することから、
江戸時代には製鉄の中心地となっていました。
大板山たたら製鉄遺跡には、製鉄用の炉跡、天秤ふいご跡など
関連施設の遺構が良好に残っています。
これらの遺構は1991(平成3)年~1992(平成4)年に行われた発掘調査により確認されました。
大板山で「たたら」が操業された時期は、次の3回が確認されています。
(1) 宝暦期
(2) 文化・文政期
(3) 幕末期
最後の時期は、石見国渡津村(いわみのくにわたづむら)(島根県江津市)の原屋家により
経営されていました。
原料の砂鉄は、石見国井野村(いわみのくにいのむら)(浜田市)から船で
奈古(なご)(山口県阿武郡阿武町)まで運ばれ、
大板山まで「鉄の道」と称される道を使って馬で運んだとされています。
また、大板山が「たたら」を営む拠点に選ばれたのは、
木炭を大量に消費するため、豊富な森林資源を必要としたからです。
古来「砂鉄七里に炭三里」という言葉が伝わっています。
「たたら」を営むには、原料の砂鉄よりも、燃料の木炭の入手を重視したことがわかります。
これまで、大板山の「たたら」で生産された鉄が使用されたのは、
萩(長州)藩が1860(万延元)年に建造した洋式軍艦「庚申丸(こうしんまる)」とされてきました。
しかし最近、山口県文書館にて保管されている古文書を精査したところ、
1856(安政3)年建造の「丙辰丸(へいしんまる)」に使用されたことが判明しました。
いずれにせよ、萩(長州)藩は恵美須ヶ鼻(えびすがはな)造船所において、
洋式軍艦の建造に一応は成功しましたが、
そこで使われた技術は、製鉄をはじめ伝統的な在来技術が中心でした。
このように、大板山たたら製鉄遺跡は、恵美須ヶ鼻造船所跡と関連をもつ資産であり、
自力による近代化を証明するものであります。
製鉄炉等の遺構がよく保存され、規模は県内最大級で、
2012(平成24)年9月に国の史跡に指定されました。
所在地 / 〒758-0501 山口県萩市大字紫福257-5(山地番)
TEL / 0838-25-3139(萩市観光課)
入館料 / 無料
開館時間 / 常時公開
休館日 / 年中無休
アクセス
・松陰神社横の県道11号・10号を北上し、
山の口ダム方面に向かう道路(大型車通行不可)の突き当たり
・JR東萩駅から車30分
・萩/石見空港から車60分
駐車場 / 有(乗用車5台)