「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第5位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 レモンティー 」

2015-10-08 05:59:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ


     周囲に頼りにされ評価アップな日になるとか?
     そんな水瓶座の順位は5位で
     ラッキーポイントは
     「 レモンティー 」 である

     週の折り返し点
     今日も頑張ろう!




長崎県五島市 ・ 五島最古の天主堂 「 堂崎天主堂 」

2015-10-08 02:35:41 | 教会




















































  五島で最初にクリスマスが行われた地に建つ教会



寛政9(1797)年大村藩から五島への移住が始まり、
約3年の間に3,000人が移り住みました。
その中から奥浦地区に住み着いたキリシタンは、
平蔵、浦頭、大泊、浜泊、堂崎、嵯峨瀬、宮原、観音平、半泊、間伏に住み着き、
地区の寺の壇徒となり仏教徒を装い、
密かにキリスト教の信仰を守っていたといわれています。
絵踏は嘉永元(1848)年ごろから2~3年おきに行われていました。
信徒発見後まもなく禁教政策の続く中、
危険を顧みず堂崎、浦頭、大泊の信徒が大浦天主堂に行って密かに教理を学んで帰りました。

 明治に入り、元(1868)年の久賀島牢屋の窄殉教事件をきっかけに
奥浦地区でもキリシタンに対する拷問や捕縛、入牢などの迫害が行われました。

 明治6(1873)年、ようやく禁教の高札撤去がなされるといち早くフレノー師が来島し、
堂崎の浜辺で五島初のクリスマスミサが捧げられたことが地元で語り継がれています。
先祖代々、神父の来島を待ちかねた信徒達にとって最上の喜びであったに違いありません。
明治10年には司祭が常駐するようになり、五島での本格的な司牧が開始され、
以後島内各地に小教区制度が整うまで、
堂崎は五島キリシタン復活後の拠点としての重要な役割を果たすことになるのです。

 明治13(1880)年パリ外国宣教会マルマン師によって、堂崎に仮聖堂が建立されました。
後任のペルー師によって建て替え工事が行われ、
明治40(1907)年現在の赤レンガ、ゴシック様式の本格的洋風建築の教会が完成し、
翌明治41(1908)年5月10日、クーザン司教によって祝別され日本二十六聖人に捧げられました。
落着きと安定感のある美しい内外観を有しており、
五島の他の同型教会のモデルになりました。

 内陣には26聖人の一人聖ヨハネ五島(五島出身の青年)の聖骨が安置されています。
堂崎教会の施工は野原与吉棟梁で、
野原の下で修行中であった後の教会建築の名工・鉄川与助も建設に参加しています。
当時の建築技術を物語る証しとして昭和49(1974)年4月9日、長崎県の文化財に指定されました。

また昭和52(1977)年、内部に堂崎天主堂キリシタン資料館が開設され、
布教時代から迫害を経て復活に至る信仰の歴史が展示されています。
迫害下、潜伏せざるを得なかったキリシタンたちの苦悩や密かに信仰を守るための知恵、
また復活後の宣教師達の布教にかける思いなどを感じていただけると思います。

 更にこの地は宣教再開と同時期に宣教師の指導のもとに始まった子部屋と、
その事業母体となった女部屋発祥の地でもあり、
信仰に貫かれたもう一つの歴史が刻まれています。

 宣教師達が五島にやってきた明治の初期、当時の五島の人々の暮らしは非常に貧しく、
赤子が生まれても食べさせることができず、
間引きといって密かに闇に葬らざるを得ないほどの状況にありました。
この悲惨な状況に心を痛めた宣教師はすぐに子どもを引き取り、
近隣のキリシタンの乙女達を集め世話をさせました。
その頃、宣教師が通りそうな道端には赤子がそっと置かれていたこともありました。
彼女達の何人かは独身のまま子ども達に奉仕する道を選びました。
困難に満ちた子育ての日々を、彼女達は希望を持って命の尊さを賛美し、
祈りながら多くの子どもを育て上げ社会に送り出してきました。

 こうして、信仰の道に生涯を捧げた宣教師達と
協力を惜しまないキリシタンの乙女達によって始められた救済事業は、
時の流れの中で場所と形を変えながら児童養護施設奥浦慈恵院と
お告げのマリア修道会奥浦修道院となり現在に至っています。



所在地  /  長崎県五島市奥浦町堂崎2019

教会の保護者  /  日本二十六聖殉教者




「 出る人 と 入る人 」 松中信彦と島尻安伊子

2015-10-08 01:00:41 | ニュース



もうこのユニホームを着ることもないかもしれない松中信彦








沖縄北方相に任命された初入閣の島尻安伊子




      
      世の中は
      動いている
      これが
      良い方に行くのか
      悪い方に行くのかは
      定かではないが

      今よりも
      安定した幸福が続く
      世の中にして欲しい



山口県萩市 「 萩椿 ・ HAGITSUBAKI 」 赤米巻き

2015-10-08 00:41:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子











萩焼で作られた店の陶器の看板







































先日、紹介した 「 KEN MATSIICHI 」 から
200mほどの場所にある 『 萩 椿 』 。

ここは松陰神社前の道路に面した店屋さんで、
ハイカラな店の造りが目に止まる。

萩椿は、「日本人が作るお菓子だもん。みんな和菓子なんだよ。」をコンセプトに、
和の素材を活かした製法にこだわり、
和菓子・洋菓子の垣根をはずしたお菓子作りをしている。

中でも、萩市産の赤米とはちみつを使ったロールケーキ【赤米巻き】や、
萩城下の夏みかんと土塀をイメージした焼き菓子【萩小路】は、
萩市内外を問わず人気の商品である。

店は、全体的に落ちついた和テイストな作りになっており、
看板の萩焼でできた椿のエンブレムが特徴的です。
2010年には、萩市より「萩景観賞 看板部門」で表彰を受けている。

和菓子屋で生まれたオーナーは、関東・中部などの有名洋菓子店で修業ののち帰萩。
和・洋の技法を巧みに使い今に至り、
1989年、第32回スプラウトデザインコンテスト第1位 秀功技術大賞受賞。
また1991年には、韓国で行われた国際菓子展に日本代表として作品を出展。
その他、多数受賞あるそうです。


所在地  /  山口県萩市椿東1068-3
電話  /  0838-26-9300
営業時間  /   9:00~19:00
定休日  /  水曜日
駐車台数  /  普通車4台

ちなみにJR東萩駅から徒歩約15分です。