英彦山神宮にある 「 谺して山ほととぎす・・・ 」 の句碑
英彦山神宮へ続く参道
『 谺 ( こだま ) して 山ほととぎす ほしいまゝ 』
杉田久女は、高浜虚子門下の俳人である。
結婚後、二十代後半になって兄から俳句の手ほどきを受けて、
「 ホトトギス 」 に投稿を始め、
頭角を現し、大正中期から昭和初期の俳壇に久女旋風を巻き起こした。
当時は婦人運動の台頭期であり、新しい時代の風を感じ取る鋭い感性を持ち、
芸術的衝撃を俳句に結晶させた人といえる。
谺して山ほととぎすほしいまゝ
この句は昭和6年 ( 1931年 ) の 「 日本新名勝俳句 」 募集で、
帝国風景院賞金賞を受賞して話題になった句で、彼女の代表句でもある。
久女は何度も英彦山に足を運び、幽玄な雰囲気の中で彼女の言葉を借りれば、
「 嶮谷 ( けんこく ) に谺してじつに悠々と、また切々と自由に 」
ほととぎすが鳴いている様子を詠んでいる。
久女は、この句をきっかけに俳誌 「 ホトトギス 」 の巻頭を何度も飾り、
「 ホトトギス 」 同人に推された。
そんな久女が通った英彦山に神宮奉幣殿 ( ほうへいでん ) 下にこの句碑がある。
英彦山は、大峰山 ( 大和 ) 、 羽黒山 ( 出羽 ) と並ぶ我が国三大修験道の山で、
最盛期には三千の衆徒が住み、八百の坊舎があったといわれ、
参道両側の修験者屋敷跡に、その面影がしのばれる。
また、奇岩奇石に富み、山頂付近のブナの原生林や
南岳の南腹の鬼杉など、植物の宝庫である。
その英彦山一帯は国定公園第一号の指定を受けている。
英彦山神宮は、天忍穂耳命 ( あめのおしほみみのみこと ) を祭っており、
奉幣殿 ( 国の重要文化財 ) が最大の社殿である。
他に倉庫である板倉や銅の鳥居、
雪舟が築いたといわれる旧亀石坊庭園などがある。
豊前坊の高住神社 には久女のもうひとつの句碑がある。
高住神社にある 「 橡の実つぶて・・・ 」 の句碑
橡 ( とち ) の実の つぶて颪 ( おろし ) や 豊前坊
トチの実が風にあおられて小石のように降ってくる様子を細密に詠んでいる。
杉田久女、本名 杉田久子。
明治23年 ( 1890年 )鹿児島に生まれる。
明治41年 ( 1908年 ) 東京のお茶の水高女を卒業。
翌年、画家の杉田宇内と結婚する。
「 ホトトギス 」 に初出句後、虚子に会い、師事する。
昭和11年 ( 1936年 ) 虚子の拒絶に遭い、
昭和21年 ( 1946年 ) 57歳で没した。