重定古墳は、6世紀後半の築造されたと考えられており、
幕末久留米藩の国学者・矢野一貞による 「 筑後将士軍談 」 に紹介され、
古くから知られていた。
古墳の形状は長51m、後円部径44m・高さ8.5mの前方後円墳。
周辺の宅地化等の影響により墳丘はかなり変形している。
埋葬施設は南に入口をもつ横穴式石室で、
全長約15m、玄室・前室・羨道からなる複室構造となっており、
玄室の腰石や天井石には巨石が使用され、奥壁には巨大な石棚が設けられている。
装飾は、玄室、全室、羨道部にかけて赤、緑によって同心円文、蕨手文や
靭、鞆、三角文が描かれているが、戦時中に防空壕として使用されたほか、
戦後の考古学ブームで壁面は落書きや直接手で触っていたため退色が著しく、
肉眼では容易に観察できなくなっている。
国指定史跡 ( 楠名・重定古墳 ) 、1922 ( 大正11 ) 年に指定されている。